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誕生日/10月3日

 台風の雲が雨を降らす。雨は街路灯に照らされてつやつやと光るアスファルトの道路をたたきつける。蛙は雨につられてはいだして、車はそれを石と間違え踏みつける。

 台風の雨が窓をたたきつける夜、僕はアパートの部屋で一人本を読んでいた。部屋の中は雨を避けるために逃げ込んで来た夜のせいで少し薄暗かった。最後の曲が止んだレコードはフルオートのプレーヤーが演奏を終わらせていた。わざわざ立ち上がってレコードを換えに行く必要もない。窓の外の雨と風の音が心地よく聞こえてくる。風が吹いていくたびに部屋じゅうがきしむような音がする。それでも僕の部屋に切り取られた空気はぴくりとも動こうとはしない。ときどき僕が本のページをめくるほかは、この部屋はまるで写真のように止まったままでいる。きっと僕がこのまま動かなかったら、いつまで経っても朝がこないだろう。

本を半分ほど読んだころ、ほんの少しだけ部屋の中の空気が動いて、雨の匂いがした。僕は振り向いて部屋の隅の薄暗がりに目を凝らした。影と光が渦巻いて、その中から一人の宇宙飛行士が現れた。飛行士のヘルメットと宇宙服からは雨の滴が垂れていた。

 「私の国を知りませんか。」

ヘルメットを通して少しくぐもった声がした。

 「石と金属とで作られた私たちの国を。

 「私たちはこの星にやってきてその国で暮らしていました。

 「その国からは、私のような飛行士が何人も、なんそうもの宇宙船にのってほかの星に出かけていました。

 「私の船は、運悪く途中で故障してしまいました。それで帰って来るのが少し遅くなってしまったのです。」

その国のことは歴史の教科書か何かで読んだ事はあるけど詳しくは知らないと僕は伝えた。

 「そうですか。私の家内や子どもたちや、ほかのみんながどうなったのか気になるのですが、どなたか知っている方はいないでしょうか。」

あいにく僕にはわからない。

 宇宙飛行士はちょっとかなしそうな声で言ってから、また部屋の暗がりを通って帰って行った。僕は机に向かって本の活字をいくつか拾い出したところで、今日が彼女の誕生日だったのを思い出した。電話をしてみよう。 

台風の残した雲は宇宙に飛び立つ船に似て、宇宙船は自分の事を雲と間違えてどこかで雨を降らせている。 
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