note5周年(!)、休職は1周年(…。)
祝うべき対象ではないようなものにたいして「周年」という表現をすることが、こんなにも大きな違和感を誘うものだとは思いませんでした。何って、タイトルの話です。珍しくタイトルから書き始めたnoteの、はじまり、はじまり~。
具体的な日にちでいうと厳密にはまだだけれど、月換算で5年。その期間で236記事(下書き含む)ということは、平均すると毎年47ほどの投稿をしてきた計算になる。都道府県の数か?
ほんの些細なつぶやきもあれば、気楽に書いた長文、長くも短くもない文、まじめに書いた長文もある。2~3年目あたりでは、わりと積極的に企画ものにも参加してきたつもりだ。
noteを書くことが楽しくてしょうがなかったときも、悩みながらあるいは泣きながらキーボードを打っていたときもあるけれど、それはそれで、素の自分をここにさらけ出している証拠なのかな、と思う。
わたしは他人の目線を気にして取り繕う性格なので、余裕のあるときにしか書かないとか、きれいごとだけ書くようなことをしがちだから。そうではなく、波がありながらもいろんな状況のときに綴ってきた履歴があるのは、わたしにとって貴重なことなのだ。
そんなわけで、6年目もどうぞよろしくお願いします。
これまでnote歴の節目がきたタイミングでは、改めての自己紹介みたいなものを投稿することが多かったけれど、先日から好きなものを列挙する記事「2024年版すきなもの」シリーズを展開中なので、今年の自己紹介は割愛。
さて、問題はもうひとつの節目、「休職」である。
うつという病気の性質上、すぐに復職できないことは始めからわかっていたようなものだけれど、非正規雇用の立場のわたしに、長期にわたる休職が許されるとも思っていなかった。非正規とはいえフルタイムに近い勤務体系だったことから、保険料の負担等があるので、職場には感謝してもしきれない。
辞めなければならないだろうかと不安を募らせることもあったし、ちゃんと戻れる保証もないから。でも、やっぱり復職はひとつの目標に掲げたいと思っている。
療養期間において「何も考えないこと」は、頭を休める意味でとても大切だけれど、だからといって「なんの目標もない日々」を送り続けることには無理があるような気がする。これは個人の性格や思考にもよるので、一概には言えないものの、わたしの今の体調では「何かをすること」と「何もしないこと」のどちらにも、等しく苦痛が伴う。
どうしたらいいんだろうね。
よし、思い切って仕事してみよう!ともならないし、
もっともっと休むんじゃ~!とも思えない。
長期休職を経験した人なら、多くが通る道なんだろうか?
そういえば、病院で「もどかしいですよね」「そういう時期です」というような言葉をもらったことがある。うん、きっとわたしだけじゃないよね。
「何も考えずに休む」ところから「元気になるために休む」段階にシフトした、って考えることにしようかな。
あくまでも認識の差だけであって、実際には最初から「元気になるために休んでいた」に違いないんだけど、なんというか、休職初期の頃はそういう風に考えると「早く元気にならなきゃ」っていう焦りとか、休むことを妨げる思考になりがちだった。
だから、休むという現状は変わってなくても、そこに「元気になるため」という目標が加わること(加わっても差し支えないこと)は、好ましい変化なんじゃないかな。
うん。
なんだか、書いているうちに気持ちの整理がついてきました。よかった、よかった。
お付き合いいただき、ありがとうございました。
七志野さんかく△