「SUPERHEROISM」と「モボ朗読劇二十面相〜遠藤平吉って誰?〜」を見たオタクの独り言。

今回マッジで長いし「ここが良かった!」とか「◯◯が△△してた!」とかそう言う話全くしてません。私がこの二作品を見て思ったことをつらつらと書いているだけです。物好きだけ見てください。


私はこの舞台の前に、朝からバイトしていた。今日は「モボ朗読劇 二十面相〜遠藤平吉って誰?」の千穐楽だとソワソワしながら仕事をこなしていた。

私が働いてるところは、多分世間からは割と良いイメージ、もしくは陽キャという印象を持たれている某大手カフェチェーン店である。

入社前、キラキラして何の苦労もなさそうに楽しそうに働いているレジやバーの人を見て、「私もここで働きたい、キラキラしたい」と思った。

でも実際に働いてみると、覚えることは沢山あるし、かなりの頻度で新作は出るし、ピーク時はドタバタするし、シフトの前日は緊張してなかなか寝付けないほどストレスフルな日々を送る(これに関しては私がプレッシャーに弱いだけ)。

憧れの仕事についた私を待ち受けていたのは、キラキラしてない仕事だった。
晴れて“緑のエプロンをしたお姉さん”になった私はこの時、嬉しさと同時に ー思ったよりもキラキラしてないその現実によってー 虚しさも覚えたのである。


時を戻し本日朝8時頃、レジにてあるお客様にこう言われた。
「その髪型いいですね。似合ってます。」
突然言われてとてもビックリしたが、素直に嬉しかったので
「えっ、ありがとうございますデュフフ(照)」
みたいなキモい反応をしてしまった。
そのお客様は(少なくとも私は)見覚えのない、普段いらっしゃらない方だった。


たった3分程しかその方と対面することはなかった。しかしこの短時間で、その方の中に

・陽キャな店で働いている
・お客様と話す時に普段より声が高くなる
・接客中ずっとニコニコしているが笑い声がキモい
・黒髪ボブで緑のエプロンをしている

素晴らしく美化された私が出来上がっただろう。


でもあのお客様は、エプロンを外し私服で割と低めの声で友人と話す私を知らない。私がブランドイメージとはかけ離れた陰キャ、いや、陰の者であることも知らない。私が思う“本当の私”を知らず、“あの方が思う、もしくは理想とする私”のみを創り、去っていった。

いつかこの店をやめ髪を伸ばすであろう、あのお客様の希望に添えない私になるのに。



余談が長くなってしまった。舞台の話に戻そう。

今回、偶然にも同じグループの舞台の時期が2つ重なった。そしてこの2つが同時に行われたことによって新たな意味合いが生まれたと思う。



SUPERHEROISMの最後にゴタンダ(嶺亜さん)はこう言った。

「あの日僕が夢見たヒーローは思っていたよりも虚しいものです」(意訳)

この台詞の後、彼は普段我々に見せる爽やかな笑顔になった。その一連の流れは、考えさせられるものであった。

ジャニーズには何かの拍子で偶然アイドルになった人間と、自分から進んでアイドルになった人間がいる。どちらにせよ、現に彼らはアイドルとして活躍している。私たちにとってアイドルは、夢であり希望であり、応援したい人ないしは好きな人だ。

私はアイドルである彼らが好きだし、ずっとずっとアイドルでいてほしいと身勝手ながら思っている。だからこそ、あの台詞とあの笑顔は私に重くのしかかった。

「アイドルは思ってたよりも虚しいものだ」

私が恐れ目を背けていた「アイドルではなくなるかもしれない未来」があることを、あの台詞と中村嶺亜という綺麗で可愛くてかっこいい完璧なアイドルによってまざまざと見せつけられたのである。


江戸川乱歩の読者にそれぞれの明智や二十面相が存在するように、ファンの数だけ中村嶺亜/佐々木大光/矢花黎がいる。それはメディアを通して想像した彼と「彼はこうであってほしい」という各々の願望によって、多少のズレが生ずる(※1)。しかし我々の中の彼は、アイドルとしての彼から逸脱しない。もし彼がアイドルではなくなり我々の前からいなくなったとしても、我々の中のアイドルである彼は続くのだ。アイドルである彼が一瞬でもこの瞬間に存在した紛れもない事実によって、アイドルとしての彼は我々の記憶に存在する限り、それは一人歩きする。


我々ファンの中にいる彼は彼であり、しかし誰でもない。私たちは彼もしくはその虚像、誰でもない何かを愛している。心のどこかで、彼らがいつか消えてしまうかもしれない事実や、我々が知る彼が“本当の彼”でないことに気づき虚しさを抱えながらも、私たちは彼を愛し続けるのである。


毎度、着地点が行方不明になって不時着して申し訳ない。少しでも私が余韻に浸っていることが伝わっていたら嬉しい。

※1

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