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演技

「なぁ、兄ちゃん。」

若くて線の細い弱そうな男がこちらを振り向く。よし、釣れた。山田尚樹の苛立ちが少し和らぐ。

「南千住までの道、教えてくれんけ。」

若い男はちょっと怪訝そうな顔をしながらも駅までの道を教えてくれる。

「ちょっと今どこにいるかもわからんから、わかるところまでほしいんや。あずさから東京まで来たはええんやけど、駅で財布を擦られてしまって、一日中歩き通しなんじゃ。」

ここが大事なのだ。尚樹は塩らしそうに疲れを表現してみせた。この動作が慎ましやかであればあるほど、なよなよした男は引っかかる。俺を爪弾きにしたこの国で、痛い目にあったことのない危機感の薄い輩はついて行っていい奴と悪い奴の区別すらついていない。

バカな若い男が親切に線路沿いまで釣れて行ってくれるようだ。ここまでくれば、この男はカモAでしかない。

「いや、ほんとに踏んだり蹴ったりじゃ。警察行ってもおんなじことの繰り返しやし、呼吸器の発作もこの足もあるじゃろ。お兄さんが道教えてくれてほんま助かるわ」

尚樹は先ほどからわざとらしくびこを引いている。弱そうな男が逃げきれそうな可哀想な人を演じてみせる。まだ、もう少し。線路沿いにある公園までは、こいつの同情を引いておかなければ。

「俺この間まで社長やったんやけどな。副社長に裏切られて、さらに財布まで盗られて。もうなんも信じれん思っとったんやけど、ええ人もおるんやなぁ」

なんだか尚樹自身でさえ、最近まで社長だったという嘘を信じつつある。そうだ、自分はこんなところで燻ってていい人間じゃないんだ。話しながら自身もそれに陶酔する。

公園に着いた。

尚樹は疲れたから休ませてくれやと言って、尚樹はベンチに座る素振りを見せる。若い男が突っ立っているので、お前もまぁ座れやと言って多少苛立ちながら促す。カモAは警戒しているのか、バッグをベンチの逆側に置いてしまう。

「なぁ、金貸してくれんけ。さっき言ったみたいに財布を擦られて一文もないんじゃ。」

若い男から戸惑いを感じる。いやちょっとそれは…とかなんとかぐちゃぐちゃ言ってくる。収まっていた尚樹の苛立ちがまたムクムクと湧き上がってくる。

「いや、有り金全部出せ言うてるわけと違うねん。困ってるからなんぼか都合つけてくれへんかって頼んどんねんこっちは。なぁ。」

苛立ちが収まらない。カモAはそれでも金を出す素振りがない。

「これでもわしはこないだまでオツトメいっとったんやけど。ほんま焦らさんでくれや。」

バッグからキラと光るものを取りただす。ここでドスなんか出すのは2流である。こう言う学生にはサングラスで半グレかヤクザの存在を匂わせてやるだけでいい。

その実、この話も嘘である。尚樹は幸運にもまだ捕まったことがない。尚樹はしがない日雇であり、半グレですらない。しかし、この話をしているときだけ、尚樹は自分が強くなった気分になれる。

カモAが5000円を差し出して逃げていく。しみったれた額しか持ってなかったが、これでも10日分の家賃にはなる。とりあえず、一仕事を終えた自分を労うために一服しよう。タバコでも吸わないと落ち着けない。尚樹はメビウスを買う為にセブンイレブンに向かう。苛立ちはまだ収まらない。

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