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杉山和一と江戸時代と医学史

江戸時代で私が調べるべき人物。

杉山和一。

杉山和一は鍼灸の腕前が下手くそすぎて破門になり、江ノ島で『管鍼法』という下手くそでもできる方法を作って、将軍徳川綱吉の持病を治してえらくなった盲の人だ。

というわけで杉山和一記念館に行ってきた。

(杉山和一像の3Dレプリカ)

博物館の展示品を眺めてると鍼灸を含め医療の歴史が見えてきた。

医療の歴史(自説)

中国大陸

紀元前から鍼灸が発達。手足からの氣の出し入れで治療する。君主の健康を保つことが最優先。

(鍼管、古代九鍼)

西洋文明

アリストテレスの四体液説。体液の出し入れで病を治す。

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%9B%E4%BD%93%E6%B6%B2%E8%AA%AC

日本

江戸時代以前、日本から中国大陸に行き技術を持ち帰る(ex遣唐使)か、中国大陸から偉いさんを連れてくる(ex鑑真)の2択。

伝聞や相伝なので大陸の医療は門戸が狭かった。

江戸時代、木版印刷が盛んになる。優秀な鍼灸の本が量産される。

(類経、明堂灸経、難経本義)

更に杉山和一が管鍼法の開発、誰でも鍼を刺せるようになる。

徳川綱吉が各地に盲の人の職として鍼灸を広める。

(杉山和一の業績と年譜)


西洋

クリミア戦争(1853年~)でナイチンゲールが公衆衛生を考える。

感染症を予防し、衛生により発達した外科治療が外傷を克服していく。

これ以後、西洋医学がスタンダードになっていく。

(清潔なベッド、栄養を考えた食事、包帯は替える)

自説で雑な医療史終わり。

考察

東洋医学は健康な君主をより健康にするために生まれた医学。

西洋医学は兵士を素早く戦地に戻すために生まれた医学。

発達の仕方が違うと感じた。

江戸時代は平和で戦争が長く起きなかった。

それゆえ文化が広がり、健康をより健康にする鍼灸が発達したのだろう。

現在は感染症が広まってるのもあり東洋医学の出番は少ない。

しかし健康を極めるために東洋医学を扱うのは間違いではないだろう。

まとめ

鍼灸は外傷を受けない感染症にもならないえらい人、戦争をしない人のための治療だった。

江戸時代は、戦争がなく文化が広まり易い環境だった。

更に杉山和一が技法に革命が起こした。

結果、鍼灸が急速に進化した。

それを徳川綱吉が制度として浸透させた。


(終)


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