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息子へ譲ったSR400、そしてRallyへ。

次男にSRを譲った。

これまで何度もあったことなのだが……自分が想像していた道、辿ってきた道は、概ね誰かの道だった。

昨年11月、面倒がっていたそのくせ免許をとるなり、
「バイクが欲しい!」と言い出した次男。
物心つくころにはすでに父親が単車に跨る姿があり、その後ろに乗せられ、ふくらはぎをカブのマフラーで火傷したこともある。
二十歳になるまでその予兆はまるでなかった。

まずはCT125で公道デビュー。のち、
「バイトして返すから、中古のエストレヤ買ってくれ! 本当はSRがいいけど車検があるし」と。
普段からわがままを言わない彼で、しかも学費のあまりかからない道へ進んでくれた点でとても親孝行してくれている。

エストレヤも嫌いではないが、カワサキのW系含め、メグロもそうだがあの造形はどう見てもトライアンフや典型的な欧州車を踏襲しているはずで。
そういう意味で私が思うオリジナリティや個性という魅力を満たさない。中古相場が高騰している今の状況でエストレヤを買うくらいなら……風呂に浸かりながら一晩考えて、SRを次男に譲ることにした。
もちろん喜んでくれた次男。
父親として、息子に何かを残すことができるという意味でも、そうすることで親心も満たしてくれる。

かつて、英国や日本の古い単車の雑誌を読み漁った。
自分が書く小説にはBSAや初期型SRに跨る人物を登場させた。
なぜ、生き物のような鉄の塊に魅力を感じたのか、自分でもよくわからなかったが、それは次男へと繋げるためであったということだ。
父親以上にクラシカルなものへの憧れを持ち、理解もある。
当初は流行りのインジェクション仕様のネオクラシックに注意を向けていたが……ネットで調べまくり、私が読み漁った旧車雑誌を眺めたあとで、
「やっぱりSR以上にいいバイクはないわ」と放った。
旧車過ぎると高価であるし、メンテナンス性に欠く。
浪漫と現実の境目、ちょうどいいラインに存在するのがSRなのだ。

我が家にあるのは最終キャブ型でディスクブレーキの2005年式の限定車。
インジェクションのように手軽すぎず、ドラムブレーキよりも扱いやすく安全。始動はキックのみ。
Z世代であっても、社会には不要な不便さが、心の豊かさに繋がっていると感じているのだと思う。

さて。
先代も含めると、約20年乗ってきたSRを手放した私はどうしよう?
手元に残るのはCT125のみ。
近所周りや通勤には問題ないが、個人的には50キロ以上の距離を乗るのはちょっとキビシイ……。
もともと渓流釣りのために増車したCT125だったので長距離を想定していない。
しかし!
セローかハンターカブか|岡ぴよ (note.com)
本ブログ最初のエントリーで書いていたのが上記リンク、以下の言葉。

始めはSRを手放し、ホンダのCRF250ラリーに乗り換えようかとも思った。そのオートバイであれば、やや重そうではあるが山道はもちろん、通勤から長距離ツーリングまでこなせることはYouTubeで学習済みだ。そんな話しを妻にしたところ、「SRともう一台買えば良いじゃない?」などと、まるで慈悲深い神のような台詞を宣った。

次なる問題は車種の選別である。仮にSRを手元に置いたままもう一台となると、CRFでは大きすぎる。実際はかなり楽しいのだろうが、それではSRがかすんでしまうのではないかという懸念があるのだ。しかも私のSRに対する愛情は並々ならぬものがある故。その詳細はまた別の機会に。そこでの候補はヤマハのセロー、もしくはホンダのハンターカブである。

以上、引用終わり。
3年前からその答えは出ていて、選択肢はCRF250Rallyしかなかったのである。
そしてCT125ハンターカブを下取りに出し、まるで選ばれることを待ってくれていたかのような、中古で程度の良いRallyを購入したのである。
乗り換えてしばらく経つが、CT125に対する寂しさはない。

CT125に関して言えば、以前、まだ遼がいたころ、先代SRの後ろに心臓病を抱えた遼を乗せることにためらいがあったので、気になっていたCT110に乗り換えようとしたことがあった。
しかし、当時は売りに出ているCT110を探し出せず、しようがないのでカブラを80ccにボアアップしてしばらく乗っていたのだが、遼もいなくなり、乗る意味がなくなったので次男に譲ったSRに再度乗り換えた経緯がある。
本当に乗りたかったのはCT110であってCT125ではなかったのだ。

さて、Rallyに関してはまた次回。

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