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合理化は手段であって目的ではないということ。

日曜日の朝。
先日渓流を遡上した後のけだるさがまだ残っていて。
妻に誘われ、朝早くに散歩がてら桜を見に身体を動かしたことで良い塩梅にほぐされた。

昨夏からとある小さな組織のお手伝いをしているのですがいろいろと思うことがあります。

グローバル化(合理化)は新陳代謝を促してがん細胞の如き可能性を排除し、新たな可能性を生み出すためのものだなと再認識。恒常性、健全さを保つためにそうあるべきであって、グロバール化が目的になるから行き過ぎた資本主義のようにおかしな、なんだかズレてしまった今の世の中なのだと思います。

そして日本人は基本的に職人気質なのに、近年は総合職ばかりを生み出そうとしてきたこともズレの原因の一つだと思います。
その結果なんとなく国民を管理する側の公務員(教員含む)や、逆に、可能な限り税金を払わないで済む方向性を目指すことも理解はできますが、真の公平性や志、思いやりの心を持ち得ないまま立場や権力を持つことも、やはり同じようにズレの原因だと思います。

ある程度不便な生活の中で、各々の創意工夫で日日を過ごすことが、どれほど幸せなのかということも再認識しました。

※写真は今朝の散歩道中の桜。もう散りかけですね。

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