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あまり記憶が定かではない八丈島の思い出

人情味のある人たちのおかげで、予定どうりに八丈島行きのフェリーにも間に合い、無事に八丈島へ。

が…

着いた早々…

何か雲行きが怪しい…


八丈島って結構雨が多いのね、知らなかった…


雨が上がった隙を見て外に出たりしてたけど

二日間テントの中で過ごす羽目に…

いやーとにかく暇、持ってきた本もすぐ読み終わるし、トランプで時間を潰すとは言っても二人でするトランプ、やはり限りがある…いやはや何にもできない。

4日ほど滞在したけども、雨が降るは寒いはで海にも入れなかったしで、何しにきたんだろうという感じだった…とほほ

八丈島登山道


それでも晴れ間を見つけ、八丈富士の名称で知られる西山に登った。
やはりここは北海道とは違った草や木が茂っていて、そして蒸し暑くやっと南の島にいるんだなあと実感。

北海道で登山しても蒸し暑く感じることなんてあまりないもんね。熊笹も生息してないし。

西山の登頂から見る景色は最高みたいだけど、雲がかっててたからか、あまり覚えていないんだよなあ。残念なことに。とにかく覚えているのは蒸し暑かったのと、至る所にある防空壕跡。

八丈島は沖縄や硫黄島のように戦闘は起こらなかったけども、生々しい戦争の傷跡がこうしてあるのを見て、しかもアメリカ人の彼氏と見て、ただただ無常の思い、時代の移り変わり、を深く心に感じたことを覚えている。

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せっかく大変な思いをして言った八丈島だけども、八丈島で過ごした思い出は残念ながらあまりない

多分飛行機で東京本土に戻ったと思うんだけども、旦那ともども記憶が定かではない。がフェリーで帰った記憶はないので、多分飛行機で帰ったと思う。

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東京に戻ってきて、旦那が言いやすい宿があるというのでそこに行くことに。

なんでも旦那が初めて日本に来た時に泊まった外人ハウスとのこと。
思い出の場所ということも兼ねて行きたかったみたい。

さて行ってみると、なんてことはない5階建ての雑居ビルの中にあって、3階から上が外人ハウスになっている。管理人と旦那が話していて部屋の空きはないけど、まあいいんじゃないと。部屋がないのに何がいいのかわからんが、階段をどんどん上がって行く旦那。

着いた場所は、なんと屋上!

屋上?

屋上でテントを張って泊まれということらしい…まあ、ここまでくるともう何も驚かない。

まあ旦那もここならタダでいいんだって、となんか嬉しそう。

しかし、ここに着いて10分ほど経って、もう何も驚かなくなっていた私でも、また、驚いたことが起きた…


屋上には物干し台と小さい物置があるだけの何も無い屋上。見晴らしもいいし疲れたから昼寝でも少しして、ご飯でも食べに行くかと話をしていたら、その物置がいきなり空いた

しかも中から!

もし、誰かが使っていたら、普通はドアを開けっ放しにするはず、でもその物置は私たちがついた時にはピタリとしまっていた…

そう!

その物置を部屋として使っている外人さんが出てきた

これにはほんとびっくり、旦那も私も誰もいないと思っていたから、一瞬何が起こったかわからず、その外人さんは何も言わず出てきて、スッとさっていたのでさらに頭の中は???だらけ。

もちろん旦那と顔を見合わせた後は、思いっきり腹を抱えて笑わせてもらいました。

もちろんその外人さんがいなくなった後にね。

でも、夏の東京、しかも屋上で物置の中で生活。蒸し暑くないのだろうか、電気はあるのだろうか…

今思い出してみてもこの時のことは本当に衝撃で、旦那もよく覚えていた。

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でも本当に、人間の記憶って曖昧で、ここから青森にどういったのか覚えていないんだよね、私だけじゃなく旦那も。

東京から次の記憶は、苫小牧のフェリー乗り場に車を置いてあるので、八戸のフェリー乗り場の近くの公園で休んでいること。

ヒッチハイクをしていると何かの記憶には残っていると思うので、深夜バスか汽車で行ったんだと思う。

なんで覚えていないんだろう…

そして面白いのが、旦那と私の記憶がほとんど同じこと。


必死に次の車を探してくれた優しいカップル、必死に飛ばしてフェリーに間に合うようにしてくれたトラックの運ちゃん、雨で二日間テントで過ごしたこと、そして西山登山と防空壕跡、物置小屋から出てきた外人さん、トータル1週間ほどの旅行だったけど、これ以外の記憶がお互いにない…

なんでだろう…

ヒッチハイクで行った八丈島の思い出がこれだけって…ちょっぴり残念…

でも20代の楽しいクレージーな思い出の一つなのは間違いない、あんまり覚えていないけど。




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