集配センター

誰の参考になるのかわからないが、試みに私が経験した仕事(アルバイト)で印象に残ったものを紹介してみる。

・集配センターでの仕分け作業
 黒猫がマークの某運輸大手の集配センターでの仕事である。私は自給の良さにつられて、1カ月程度の短期バイトで応募したのだが、その1カ月は殊のほか長く感じた。以下、正確性は保証できないのだが、私が見た印象を報告する。集配センターは全国各地からそのエリア宛に、又はそのエリアから全国各地に、輸送される荷物が一挙に集積するところであり、積載10t以上もある大型トラックが、建物内部に向かって港湾の岸壁のように抉られたポイントに何十台も接岸して荷下ろしをする巨大な倉庫だ。トラックでそのエリア宛に届けられた荷物は、ベルトコンベアーに載せられ、さらにエリア内の細分化された区画ごとに仕分けられて、区画ごとの営業所に向けて再度出荷される。エリア内の営業所から他のエリアへの荷物も同様で、輸送の向きが反対になるだけである。
 荷物はまず、直線100mはあるであろう建物の中央を走っているベルトコンベアーをまっすぐに流れてゆき、そのベルトコンベアーの左右に付着して設えられた引き込み口に向かって、荷物の宛先ごとに引き込まれてゆく。引き込み口の先は滑り台のように伸びていて、荷物はローラーの上を滑ってゆき、最終的には行き先ごとの番号を示したカゴ台車に載せられ、行き先ごとのトラックへと載せられてまた運ばれてゆく。
 引き込み口にはシューターと呼ばれる人が配置されており、彼らは流れてくる荷物に貼られた伝票の番号を確認して、担当する番号を発見すると、即座に荷物を引き込み、滑り台の下の方へと流してゆく。言葉にすると簡単かもしれないが、これが結構難しく、荷物が少ない時は比較的余裕があるのだが、繁忙期になると目も当てられないことになる。人間の動体視力には限界がある。シューターは流れてくる荷物の伝票を確認して担当の引き込み口に引き込むのだが、その荷物がほとんど間隔を開けず、例えば2cm間隔で流れてきたとしたらどうか?1つの荷物を確認しているうちに直ぐ次の荷物が流れて行ってしまい、1つ1つの荷物を正確に引き入れることなど不可能である。しかも荷物は標準的なサイズのものばかりでなく、中には10キロ以上もする資材や、ビール瓶、電子機器、ゴルフバックなども混ざっているから、荷物に応じて臨機応変に対応しないと、掴みそこなったり、破損させてしまったりする。おまけに立て込んでいるときは、効率よくするためか1.5倍速くらいでベルトコンベアーが流れるものだから、わけもわからず呆然と立ちすくむか、番号関係なく滅茶苦茶に引き入れるかすることになる。
 さて、引き入れた先の滑り台に話を移す。滑り台と言っても緩い傾斜になっているのは引き込み口付近だけで、その先は水平になっており、台に着けられたローラーで手で押して荷物を奥まで運べるようになっている。ローラー付の台の両側にはカゴ台車が一列に配置されており、行き先を示す伝票番号の紙によって、それぞれ引き込まれた荷物が行き先ごとにカゴ台車に積まれるようになっている。カゴ台車に積む人員は少ない時で2人、多い時で3.4人が割り当てられており、流れてきた荷物を積んでは、満杯になった台車をトラックが待つ搬入口へ運んでゆく。
 繁忙時になると、この滑り台は処理しきれなかった荷物でパンクする。しかも先述の通り、シューターは半ば自棄になって荷物を引き入れるから、担当でない行き先の荷物も混在して溢れることになり、その分作業がさらに遅くなる。間違えて引き入れた荷物は投入口まで運び、再度ベルトコンベアーに流さなければならない。荷物は台の上を溢れかえり、投入口のところまで連なって、シューターはもうこれ以上荷物を引き込めなくなる。最終的に、お互い相手の不手際に意地の悪い目くばせをする。
 私はシューターもカゴ台車積みのもやったが、どちらも全く歯が立たなかった。引きこもりで運動など全くしなかった私は、荷物の重量と数量の多さに参ってしまい、堆積してゆく荷物の山を見ては呆然として、いつ終業時間になるのだろうとそればかり考えて働いていた。空調などない底冷えのするコンクリート敷きの倉庫の中で、疲労で地面に貼り付きそうな足引きずりながら、心を無にして私はひたすら荷物と格闘した。かなりきつい労働で、今思うとそこまでして働く必要ななかったと思う。しかし当時は私はそれ以外の選択肢など考えられなかった…。
 私が働いたのは、ちょうどクリスマスからお正月にかけての繁忙期と呼ばれる時期だった。この時期は例年プレゼントやらお歳暮やらで、荷物の流通が多くなる。流通量のピーク時の要員を確保するため、集配センターは臨時で仕分け作業員を募集したのだった。
 アルバイトの募集は一斉にかけられており、休暇中の学生か、お小遣い目当ての主婦がメインで応募していた。稼いだ金で旅行したり、欲しかったものを購入するのが理由らしかった。でなければ、苦労してこのような仕事はしないだろう。
 集配センターは24時間稼働しており、その他、夜になるとブラジル人やフィリピン人の男の子がやってきて夜勤特有の仕事をする。私がいた集配センターは東海地方のある県に立地しており、付近はブラジル人や南米系の労働者が働く工場などが数多く存在していた。かなりひどい労働環境にも関わらず、いつもむっつり神経をとがらせている日本人とは対照的に、彼らは陽気におしゃべりしながら働いていた。一度など私はバイトのリーダー格が、外国人の女の子の髪を鷲掴みにするのを見かけたことがある。かえって社員のほうが押しとどめていた。労働環境は確かに劣悪であったに違いない。しかし、何ゆえに弱者が弱者を痛めつけなければならないのか。人間の心理は不可解である。おそらく非人間的な労働や思考する暇もない程の多忙が、彼から他者への想像力や寛容の心を奪ってゆくのだろう。私は彼を軽蔑するとともにその資格が自分には全くないこともまた同時に自覚していた。

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