フィクションの星
月の底に打ち捨てられた宇宙船を修理している。
いくつか光の輪の中に浮かぶ遊覧船を見付けては見送っている。
その要領で、生きにくさとずっと向き合い続けている。
表層を撫でるようなうわべだけの付き合いがどうも肌に合わねぇな、と思っていた。
あまりに人間を愛しすぎている。
見たもの、触れたもの、感じたことをすべて聞かせて欲しかった。
日常を取り込んでは、透き通ったうつわが光を反射するのを眺めていたら、全てが白に塗り変わっていた。思うよりずっと、人の心というものは茫洋としているみたいだった。
私が思うよりずっと、人間は適当に生きている。
誰かと関わることは、自分たちだけのプレイリストを共有することに近かった。
「好き」がガス欠を起こすことはないけれど、
時折同じだけの熱量を求めることがあって、
そこが致命的な弱さだった。
土台無理な話である。
あっけなくひさひさと音を立てて紙飛行機が沈むので、そういうのはやめることにした。
他人や世界を中心としないこと。
常に自分を中心とすること。
流星群の夜にひとりでも泣かないこと。
自分の全てを明け渡すタイミングは選ぶこと。
このどうしようもなさを愛すこと。
愛されるのにもそれなりに覚悟がいることに気付いたのは最近のことだった。
孤独であることの唯一のメリットは、同類同胞がやあやあ、と遥々遠くから自分を見つけてくれることらしい。
それはあなたのことが好きですと同義であり、それに私が頷けるようになったのも割と最近のことである。
愛されたい人ほど愛しているように思う。
あらゆる関係が終わる時、後悔するのは愛された側らしい。
愛する相手を失うより、
愛してくれる人間を失う方が被害は甚大とも。
好きに理由はいらないと思う。
であれば、嫌いにも理由はいらないと思う。
まあそりゃそうか。
さっさと海にダイブしてしまいたい夜に、
立ち止まれるようになったことは大きい。
ぬるい海に突っ込んだあと、
同じくらいぬるいビールを飲んでくれそうな人間に宛があることも大きい。
宇宙船のパーツを変え続けている。
ゆるく星を呼べたら。
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