優等生をやめた日

今日、生まれて初めてさぼりというやつをした。

休むと決めて昨日はわくわくしてしょうがなかった。今日になって自分のいない場所を想像してだんだんと怖くなった。

多くの人にとって予備校の授業を休むなんて、なんてことないかもしれない。ただ私にとっては大きな決断だった。

休んだ理由は、疲れたから、だ。今までだましだましコップに水を足してやってきたけれど、最近少しずつ溢れるようになってきていた。

原因ははっきりとはわからない。友達がいない。受験競争に疲れた。将来の不安。きっとどれも正しくてどれも正しくないのだろう。ただ他の人がみんな憎らしく思えてきて、ごはんもおいしく食べられなくなっている自分がいやだった。

母に誘われて昼食を食べに行った。母は気を遣ってかあまり何も聞かなかった。私はなにか寂しくてじわじわと涙が出てきた。びっくりした。そうか、だれかに聞いて欲しかったのか。
パーカーの袖で必死に涙をぬぐった。

帰り道、ユニクロに寄って服を見ていたら、また急に涙が出てきた。新しくて気持ちがいい服がたくさんそこあることが、なにかの希望のように思えた。

私はこんなに心が弱い人だと認めたくなかった。優等生でいたかった。でも、もうそれを続けることにも疲れた。

思えば、私は、これからどうすればいいか、母に答えを出して欲しいと思っていた。

いつもそうだった。母の意見は私の意見だった。母が止めた方がいいと言えば、やりたいこともやらないほうがいいのだと思い直した。やりたくないことも、母が言うならそうなのだと思って当たり前のようにやった。髪型も、服も、友達との遊ぶ約束も、受験も、学校、将来も。

そのうちやりたいとやりたくないの区別がなくなった。

しかし、本を読んだり、誰かの話を聞くと、心の奥底にあるものは抑えきれずにたまに溢れ出す。そんなとき、しばらく悩んだ後、理性で蓋をしてきた。適当な理由をつけて。

私は母の批判がしたいのではない。単に私がずるい人間だということだ。やりたくないことは、母がやるなというから、と言い訳してやらず、どうすればいいかわからないときは母に聞いて、母がやれというから、と言って従った。

自分で決めるのが怖い。失敗したくない。

さて、これからどうするか。
そろそろ自分で決めなきゃいけない。
私が大事にしたいものはなにか。
自分の体、学歴、家族、友人、好きなこと、地位、やりたいこと、お金。

とりあえず「秋にやりたいこと」に書いたように、好きなことや、やりたいことについていろいろと書いてみようと思う。

若いうちはそんなこと考えずに勉強しろ、と思われるのはわかっている。もちろん勉強したことが無駄にはならないと思う。

ただ考えずにはいられない。
自分の人生は自分でおもしろくしたいから。

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