欲しかったもの


私は小さい頃から何も欲しがらなかった。ぬいぐるみも、おかしも。さりげなくいいなーと言って何かを買ってもらうことはあったけれど、自分の口からこれが欲しいと言うことはなかった。

きっと欲しいものはあったんだと思う。なのに自分の気持ちを押し込め過ぎて何が欲しいのか、何が好きで何が嫌いなのかもわからなくなった。

私の母は専業主婦でほとんど家にいたから、そんなに寂しい思いをしたこともなかった。母は完璧な「母親」だった。掃除も洗濯も料理も全部ひとりでてきぱきとこなす。いろいろな習い事もさせてもらって送り迎えもしてくれた。



思えばずっと私が探していたのは母が喜ぶことだった。母は危険なことをするとき以外はめったに怒らない。代わりに、そんなことをしたら恥ずかしい、そんなのはあなたには合わないからやめなさい、という言い方をする。母が悲しむ姿を見たくない私にとっては怒られるよりも強い言葉だ。

わかりやすく母が喜ぶのは、ありきたりだが勉強ができることだった。でも「親のために勉強するのはよくない」と頭ではわかっていた私は「勉強が好き」ということにした。(理解していくことの喜びは確かにあるけれど、全ての勉強が好きはずはない。)

私にとって母は絶対的な存在だったから、「心が冷たいから友達できないよ」「女の子らしくない、おばさんっぽい」と冗談まじりでも言われると、そうなんだと思い込んでいた。

私が欲しいものを言わない代わりに母は「私が好きそうなもの」をよく買ってきた。好きなものであったとしても、何の記念日でもないのにしょっちゅう買ってくれても罪悪感が残るし、特に好きでもないものも嬉しそうにしなければならないのが嫌だった。母は他にも学校の選択など、いろいろなことを先回りしてやってくれたが、そのあと「~してあげたんだから」と言われると、私は何も抵抗できなかった。本当は自分で決めたかったけど、私自身も決める責任を押し付けるようになっていた。

母は頭が良くて、どうでもいいくだらないことや、ちゃんとしていないことが嫌いだった。だからテレビでお笑い番組を見ても何がおもしろいの?と言っているし、(汚いと言う)床やソファーでごろごろすることもない。恋愛もののドラマを見ていても先の展開を予想してきたりする。

私は床でごろごろしながらテレビを見て、ドラマを見て感動して泣きたかった。が、家ではその気持ちを抑えた。その癖は外でも続いた。よく「冷静だね」と言われるがそれは違う。心が動かないようにしているうちに固まってしまったのだ。


こうなると世界が全体的に薄暗くなってくる

私は食べ物の好き嫌いがない。どれも好きでもないし嫌いでもない。どれもおいしい。食べられる。

修学旅行に行ったとき、旅館でたくさんの料理が出された。周りのみんなが好きなものだけをおいしく食べている一方で、私はお腹がいっぱいなのに意地になって完食した。誰も気にしていないのに、「残さず食べる」のが、いいのだと信じていた。

食べ物だけならまだいいが、何をしたいのか、の好き嫌いもあまりない。いや、ないと言うよりも、見つけたとしても母の基準に合わなければそれは見なかったことにした。

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何もしなくてもここにいていいと言ってもらいたかった。

私はずっとがんばらなきゃ生きている意味がないと思っていた。がんばって何かできないことをできるようにしなきゃいけないともがいていた(一時期LINEのひとことはずっと「がんばる」だった)そして勉強でしか親に認められる方法はないと思っていた。

高校のはじめの頃まで、ほぼずっとリビングで勉強していた
(自分の部屋もあったけれど、リビングで勉強する子は東大へ、みたいのを読んだせいかリビングにいる方が親が喜んだ)
だから、リビングなのにごろごろと寝っ転がることもできなかった。常に親の目を感じていた。(実際はそんなに見られているわけではない)

最近は自分の部屋にいるようになった。この前ふと思い付いて床に寝っ転がってみた。気持ちよかった。自分の部屋なのに何をしてもいいということに気づけなかった自分がおかしくて笑った。

(本当は思っているのかもしれないけれど)がんばらなくてもそのままでいい、と言ってほしかった。無理をしていることを知ってほしかった。

矛盾してるようだけど、

母に見せる外側じゃなくて、内側の自分を見てほしかった。

私は多分もともとの気質で、相手が聞く耳を持っている状況でないと主張することができない。だけど何も思っていない訳じゃない。

今年塾に入ってクラスの担任のような人とたまに話をするようになった。もともと人に自分をさらけだして相談したり親以外の人を頼ることは無かったけれど、かなり無理してちょくちょく話に行った。その人は、私が自分のだめなところをつらつらと話していると、そこまで言わなくてもそのままでいいんじゃない、もうがんばってるよ、と言ってくれた。志望校に関して私が思っていることをうまく言葉にできなくて、笑ってごまかそうとしても、目を見て話し出すまで待ってくれた。適当なことを言って逃げようとしても、それはどういうこと?と聞いてくれた。

私は本当はもっと内側の思っていることを表現したかった、話したかったのかもしれない。言葉にするのに時間がかかっても待っていてほしかった。その穴を埋めるように今noteで文章を書いているのかもしれない。


最近になってようやく、母が言う「恥ずかしい」とは、母が私の立場だったら恥ずかしい、しかも対象は実体のない世間、であって私とは全く関係がない。「合わない」とは母の基準では合わないだけで、自分が決めることで、やってみなきゃわからない、ということに気がついた。

私の内側は母のものではないし、同じである必要もない。そのことに気づくまでに時間がかかりすぎた。だから自分自身そこに何があるのかあまりよくわからない。これからは自分の揺れ動く気持ちに正直でありたい。それが母の価値観に合わなくても怖がらずに自分の心に寄り添えるようになりたい。

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私が通っていた高校では、友人の話を聞いていると、同じような、いやもっと強烈な家庭が多くあった。それでもみんな普通にしているから、私自身はたいした問題ではないと考えようとしていた。しかし、確かに私はつらかったのだ。親は同じようであっても子どもによって受け取り方が変わるのは当たり前だ。(その証拠におそらく兄は私ほどの影響は受けていない。)

また親もただの人間だ。母は祖母との関係がうまくいっていないようで、私は愛されなかった、というようなことをたまに言っている。

これは親の問題でもあるし子どもの問題でもある。一方に非があるということでもないと思う。だけど、これから私は一人で生きていかなきゃいけないし、もやもやした気持ちを引きずったままじゃだめだと思い、この文章を書いた。

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