19歳になりました

19歳。こどもとおとなの境目のような年。

正直受験が終わるまであまり気持ちに区切りがつかないのだけれど、あえて今の気持ちを忘れないために書いておこうと思う。

まずは18歳のふりかえり。

この1年間は社会とちょっと離れて自分を見つめた一年だった。そこで見えてきたのは、なにか心の奥にあるものを必死に堅い殻で守っている自分だった。嘘を塗りたくってきれいに見せていた。殻に穴を開けて覗いてみると、自分の知らなかったものがたくさんあった。それを少しだけ書いてみる。

友達なんかいなくたっていい、と思っていたけれど本当は欲しかったこと。親がきらいだ、と思っていたけれど、ただ家族みんなで仲良く話してみたかったこと。目立つのはいやだ、と思っていたけれど、誰かに認めてもらいたかったこと。



食べるのが好き、なのではなく、
他の満たされない欲を埋めているだけだったこと。
(食べ物そのもの、好きな人と好きな場所で食べる空間、が好き)

運動がきらい、ではなく、
運動が下手なのを見られるのがきらいだったこと。
(体を動かす(筋トレ、歩く、泳ぐなど)と、驚くほど思考がクリアになってとても楽しかった)

なんとなく気がついてはいたけれど、

競いあうことが苦手で、ひとりで淡々とやると楽しみが見えて上達すること。
(人と比べると、悔しいがんばろう、ではなくて他人を妬む、または自分には才能がないんだと逃げてしまう)

予備校に1年間通っていたけれど、通うことが負担になっていた。(本末転倒すぎる)。少し前に授業がおわり、秋に感じていた苦しさが一気に無くなって自分でもびっくりした。(だからといってなにが正しい選択だったかはわからないのだけれど)もちろん試験が近づいてくる不安はあるけれど、あの他人を見て胸がざわざわする感覚が無くなり、本当の意味でちゃんと自分と向き合い始めた感じがする。

今までの私は、どうやら、家族や、誰か気が合う人なら自分のことをすべてわかってくれると思っていた。そして、他の人のことも、隅々まで知らないと気が済まず、仲良くなれない、と思っていた。

わかってもらえない!と不満に思っていたとき、よく考えれば自分のことを何も知らなかった。表現しようにもするものがわからなかった。noteに書いたり、いろいろと考えていると、一番近くにいる自分がまず自分を知り、そして言葉や行動で表して、周りの人に少しずつ知ってもらうしかない、ということに気がついた。ましてや、他人のことがすべてわかる、などできるわけがない。


今年、少しだけでも自分を知ることができたのは嬉しい。でもまだまだわからないことはたくさん残っている。この行為はきっと一生かけて続けていくしかないから、気長にやっていきたい。

こうして振り返ってみると、自分のことにしか興味がなくて、周りが見えていないのに大人になろうともがいていて、やっぱりまだまだこどもだなあ、と実感する。でも最近、たぶん今この気持ちは何十年かしたら確実になくなってしまう、という当たり前のことに気がついた。だったら、こどもならこどもでいいから、新鮮な気持ちを大事にしよう、と思い始めている。

ある日突然こどもからおとなになるわけではなく、毎日の行動が積み重なってできた状態をなんと呼ぶか、という問題に過ぎない。

今年初めて親の知らないところで、
他の大人や友達に相談した。貯めていた貯金を使って好きなものを買った。noteで文章を書いて公の場所に出した。

客観的に見ればたいしたことはないけれど、今思うとこれは暗闇のなかで殻を壊すために踏み出した小さな小さな一歩だったのかもしれない。失敗して守ってくれる人がいないという怖さとの戦い。でもその先には優しい世界とわずかな自信があった。この1年どん底にいるときに救ってくれたのはこの2つだった。いくら考えていても、行動することでしか変われない。少し変わると大きく世界が広がる。

私は小学生の頃からずっと、いつか楽しいことに出会えるから、それまでは我慢しようと思ってやってきた。けれど、今を楽しめなければずっと「楽しいこと」はやってこないのだ。(もちろん、たのしみ、があるからこそ前に進んでいけることもあるが。)

たった今できることは受験勉強しかないけれど、それをどうやってやるかは自分次第だ。試験への恐れや、先の見えない未来の不安も含めてまるごと全部楽しむことが、次へ進むために必要なことだと思う。

最後まで読んでくださってありがとうございます。
ということで、19歳の目標は、もっと自分のことを知る、心に従った行動をどんどんする、焦らずに今のこの一瞬を楽しむ
です。

今日も19歳はじめの日として、思う存分勉強を楽しむ予定です。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?