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感想文に寄せた宣言

 私が彼の作品が好きな理由は、正直な言葉が並んでいるからだ。嫌なことは嫌といい、好きなことは好きという。ぼんやりした生きづらさを抱える側の人間として、彼が前著で卒業宣言をしたことに嬉しさと寂しさを感じ、半ば意地のように読むことを拒んでいたこの本。しかしインスタグラムで突然掲載された、モンゴルやアイスランドの旅行記はむさぶるようにして読んでいた。これらの文章が追加されて文庫化したと聞きこれは読むしかないと、発売日に書店に走った。(が、残念ながらまだ置いてなかったのでネットでぽちった。)


あのスピーチのこと

 彼の正直な言葉が綴る旅行記を読みながら思いだしたのは、あるスピーチのことだった。あれから、今の自分が始まった気がする。

 5年ほど前、このグローバル時代において自分の意見を言えるようになろう、夢に向かって努力しよう、自分に自信を持とうという趣旨の留学プログラムに参加した。

 当時高校生の私には魅力的に感じ、何か変われるかもしれないと希望を胸に向かったが、私は私のままだった。プログラムに参加した人に話しかけることもできず、授業で手を挙げて発言することもできず、みんなでダンスを踊っても楽しめなかった。いつも誰かの目を気にして、自分の目を気にしてうじうじしていた。

 昔から誰かの求める正解を探すことが得意だった。親や教師の言うことを聞く優等生だったし、答えのある学校のテストはいつもそこそこは取れた。アンケートなどで感想を求められると、思ってもいないのに「〜を知ることができて、よかったです。」なんて書いてしまう。

 全行程が終わった翌日、今までの成果発表のスピーチをすることになっていた。前日の夜に具体的な課題が提示され、次の日の夜にはメモを見ずに発表できるように準備しなくてはならなかった。

 いつものように課題をこなすだけなら、このプログラムで自分の意見を言えるようになりました、これからも夢に向かってがんばります!と原稿を作って話せばいいと思った。でもさすがにそれではここに来た意味がない。

 ちょうどその夜、一緒に来ていた友人とけんかした。(親以外の人にきついことを言ってしまったのは後にも先にもこれだけ)疲れていたのもあって、つまらないことをきっかけに何も変わらない自分へのイライラをぶつけてしまった。その後すぐ謝り行って、そのまま初めてお互いのことをちゃんと話した。将来のこと、今悩んでいることなど、今まで誰にも話したことが無かったことが堰を切ったように出てきた。気がついたら外が明るくなっていた。スピーチの準備は何もできていなかったが、少しだけ寝て次の日を迎えた。

 彼女と話したことで、自ずとスピーチで話すべきことはわかった。それは、正直に「自分は変わらなかった。」ということ。恥ずかしいし、怒られるかもしれないけど、英語だったのもあって話すことができた。

 話した内容は多くの人が受け入れてくれて、たくさんのメッセージをくれた。英語で書かれたメッセージを今でもたまに見返して元気になる。受け入れられたことは運がよかった。正解と違うことを言っても大丈夫、という安心感をこのとき得られたことは確かだ。日本にいてこの感覚を持ち続けるのは難しいことだったが、このときから求められる正解ではなく、自分の気持ちを確かめるようになった。正解を探すことが得意だったとしても、それは学校のテストだけに役立てようと決めた。

どこかに行きたい

 話は変わるが、関東出身の私は小さい頃から「いつか北海道に行きたい」と言っていた。紆余曲折あり私はいま九州にいる。そして「いつかドイツに行きたい」と言っている。もちろんその土地に魅力を感じてはいるが、この「いつか」はあまり具体的な目標ではなく、ただぼんやりと頭に浮かぶ将来だ。

この本の中で、キューバからの帰りの機内で

「ここで生活し続ける理由。それは血を通わせた人たちが、この街で生活しているからだ。」

という言葉があった。

私が思う「行きたい」は、「逃げたい」のかもしれないと思った。

 九州に来てすぐは、親戚も知り合いも誰もいない場所でひとりで友達を作り、暮らしていくのは大変だった。でもそんなつらさは感じないように強がっていた。部活に入ってひたすら体を酷使したり、家でひとりでゲームをしたり本を読んだり、ひとりの生活を楽しんでいる様に見せていた。その寂しさや辛さが「ドイツに行きたい」という気持ちを生んだのかもしれない。

 そんな生活を始めて一年目の冬、20歳の誕生日を迎えた。以前からの友達がメッセージを送ってくれたり、ここで知り合った人にたくさんおめでとうと言ってもらった。過去の自分が作ってきた縁で、今ここにいるということを実感してとてもうれしかった。いつも誕生日になると思い出す。自分の周りにはたくさんの人がいて、愛してもらっていることに。

 私は結局、愛されているかと怯え、愛してほしいと願って右往左往して、どこか遠くに行きたいと願っているのだと思う。そうではなく、今いる場所で人を愛したい。もし自分から遠くに行くことがあるとしたら、それはそこに愛するものがあるときだと思う。

父のこと

 旅行記を読み進める中で、彼のキューバ旅行の原点が、世界一の味方であり、親友だった父親にあることを知り、正直少し羨ましかった。

 私が小さい頃「北海道に行きたい」、つまりは逃げたいと思っていたのは、家庭でも愛されているか不安だったからだと思う。思春期の忘れてしまうほど小さなきっかけで、父と私たち兄弟は会話をなくしてしまった。当時の私は父のことが理由なく嫌いで、怒られるのが怖かった。何を考えているか汲んで、先回りして行動するようにしていたが、そんな毎日がつらかった。当時は気づいていなかったが、私は父親に愛されているのか、嫌われていないか不安だった。言葉は不十分なものだけど、気持ちを伝えあうのにはやっぱり必要なツールだった。

 1,2年前くらいにようやく、父のことが嫌いな訳ではないかもしれないと気づいた。むしろ趣味や考え方は似ているのでは、と思い始めた。もしかしたらよき理解者になっていたかもしれないと思うと残念だった。

 去年の冬、両親と私で旅行に行った。海が見えるきれいな場所だった。そこで偶然父と2人になる時間があり、数年ぶりに話をした。ここまで来るのに長い時間がかかってしまった。そのとき父は、血の繋がった親ではなくただの友人のように感じた。もっと知って仲良くなりたいと思った。もう一度出会い直したような気がした。離れて暮らす今も、こっそりと父のブログを読んでいる。

 何が言いたいかと言うと、血の繋がりがあるから家族ではないし、血の繋がりがあっても友達になれるし、ただの他人が友達になり家族になることもある。誰とどんな関係を作るかは自分で決めていいのだと思った。

そうはいっても

 決まった生活をする毎日は疲れるし、誰かを愛することはそう簡単にできない。何も変わらない自分にもやもやすることもある。そんなときひょいと旅行に行くこともできなくなってしまった。代わりになるのは、彼が言う「没頭」だろう。

 昔から周りの友人には好きなアイドルがいたり、趣味があったりと没頭できる人が多かった。そんな友人の全くわからない話を聞くのが好きだった。でもそれをきっかけにやってみることも無ければ、自分がはまることもなかった。失礼な話だが、どこかで現実的でないものにはまっている彼らをばかにしていたのだと思う。

 数年前から、ようやくそういったものの魅力を理解し、自分もやってみるようになった。好きなアーティストのライブに行ったり、初めて自分でゲームを買ってやったり、好きなドラマを一気見したり。熱中を止めるのはいつだって自分の目だ。まだその目を気にする自分もいるが、ようやく生きている感じがしてきた。

まとめるとこれは、疲れたら没頭に身を任せてもいい、だからいつも正直でいよう、大切な人を愛そう、という宣言みたいな文章だ。


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