私の推し方

ちょっと予定を変更して書いていこうと思う。

何やらミセス界隈が不穏な空気を醸し出しているから。

【注記:書いていくうちに、話の脱線がひどくなっていっています。
支離滅裂なため、自分の考えを書き出したノート的な感じにしておきます。
きっと、読んでもためになりません。笑】


私はミセスの曲が好きだ。
曲がいいなと思って曲を次々聴いていくうちに、メンバーのビジュアルに出会った。へえー、こんなキラキラした人たちがこんな苦悩を書いている曲を作りあげているんだ、と。第一印象はそうだった。

しかし彼らはキラキラしている人たちに見えて、根っからのキラキラ人なわけではないことを、私はファンになって知った。
学生時代は「青と夏」のような青春は送ってきていない、と言及していた動画を見て、そんな人たちでもこんなキラキラした曲が書けるんだ…と思った。

私がミセスを好きになったのはつい最近、今年4月のことだ。
もともと「青と夏」は部活で演奏したことがあるし、「僕のこと」はおしらさん経由で知ったし。前々回の記事で書いた通り、「鯨の唄」はミセスの曲とは知らずに知った。「インフェルノ」もほかの推しが歌っていたため知っていた。あげるとキリがないが、様々な曲は知ってはいた。

そんな中、4月にリリースされた「ライラック」が私を沼に落としてきた。

「青と夏」のアンサーソング、として書かれたこの曲。
私は「青と夏」のような青春は送れなかったし、きっと「ライラック」のようなものでもなかったのだが、どうしてもミセスの書く「青春」に惹かれてしまうのだった。

そんな、しがないいちファンです。


本題に入りましょう。

この前の大森さんのインスタライブにて再三おっしゃっていたこと。

誰かを肯定すると誰かを否定することになるから、気を付けないと」という言葉(意訳かも)。
これがうまく伝わっていないことが、今回の件を引きおこしたのだと思う。

インディーズ時代からのファン、
フェ1からのファン、
フェ2からのファン、
フェ1だけが好きだ、というファン。

顔が好きだというファン、
服装やメイクが好きだというファン、
曲が好きだというファン。

バンドとしての側面が好きだというファン、
パフォーマンス系の側面が好きだというファン、
わちゃわちゃしている側面が好きだというファン。

このようにファンは様々な形があっていい。
もし知らないならノリ方だってわからなくていい。
もし知らないなら「青と夏」しか知らなくたっていい。

でもほかの曲や、ほかの部分も知っていってくれたら嬉しい。
そういうことを大森さんは言いたいんだな、と思う。


また、「自分の応援の仕方に自信があるならそれでいいんじゃないの?」という言葉(これまた意訳かも)。

自分は今まで様々な界隈を渡り歩いて、自分の推し方について考えたことはなかった。
ある界隈では絵を描いてみたり、ある界隈では動画投稿してみたり。様々なことをしてきたが、自分の推し方について考えたことは本当に無かった。
マジのガチで。

こんなに(界隈が)大きく、推しが有名な界隈に来たのはとても久しぶりだったので、推し方も限られてくるのかな~なんて思っていた。
しかし現実はアーティスト本人が推し方は自由だ、と示してくれている。

いろんな応援の仕方があるのだから、どんな形でも正しい。

私はそう思う。

しかし自信を持つということは、時折悪い方向に向かってしまうことがあると思っている節もあって。

自分が正しい、自分が正義だ、ということを振りかざして人を攻撃したり、強要したり、同調するよう強いたりすることにつながったりしてしまう。

だからこそ、良識の範囲内で、という話になってくる。

「どんな推し活の仕方でも、応援してくれていることには変わりなく、うれしい」というようなニュアンスのことを大森さんは言っていた(はず)。


長々と書いたが、私は今まで自分の推し方について考えたことがなかったため、今一度身の振り方をしっかり考えていこうと思う。

支離滅裂だったら申し訳ない。
自分の考えをまとめるノートとして、これを記しておきたい。

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