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遠き春よ、瞼の裏で 220314

春はいつも遠くて、祝福され、あたたかくて、眩しい。


まるで春のようなあなた。


あなたにあげられる春はないけど、一緒にもらえる春ならたくさんある。


今日という日は"春の日"。ありったけの陽の光よ、どうかあなたへ届け。




HAPPY BIRTHDAY JIHOON!



春の日はいつも遠い。物理的にも感覚的にも遠い。それと同時に、待った分だけ喜びが伴う。空気を吸い込んだだけで春だと感じられる、理屈抜きで幸せになれる季節だ。地域によってはまだまだ冷え込む3月、多分韓国は時折葉を吹き飛ばすような風が吹くだろう。けれど、その中に漂う夕飯の香りがいつもより幸せだったら、それは春の証拠。


小さな春のかけらが舞って飛んでくる。私たちが幸せになる。


ジフンさんが3月14日に生まれたということ、やまびこが聞こえてくるくらいの声量で「そのとおり」と叫んでしまう。

全てをなげ"うたず"私たちを最高のエンターテイメントに浸からせてくれるのがジフンさんというひと、プロのアイドルだと思う。



いつも音楽の中に"春"のかけらを混ぜ込んでそよそよと海の向こうまで飛ばしている。



ジフンさんは春そのもののようなひとだけれど、何も取りこぼさず完璧に"春"を説明する言葉が見つからないように、結局何が"春"なのかわからない。桜が咲いたら春か?上着を脱げたら春か?聞かれたらわからない。


けれど春には桜が咲くし、春には上着を脱げる。


芯的なものはなくて、あらゆる現象をかき集めた末に私たちの中に感覚として存在する、春。

私たちが知っているジフンさんも、"春"のかけらを寄せ集めてできたひとで、ジフンさんの核であり一番大切な何かはわからない。




だから私は、ジフンさんが好きだし、心の底から尊敬している。




ジフンさんはいちばん大切な自己を、瞼の裏に仕舞えるひとだと思うのだ。



ジフンさんの仕事と自己の切り離し方を、とてつもなく信頼している。

絶対に自分しか見ることのできない場所に、自分だけが見ていいものを置いている。アイドルはパフォーマンスを提供し、私たちはそれを受け取る。ただそれだけ、の関係性を自覚させてくれるから好き。


私たちの求めるものをいつだって完璧に提供してくれる。いつだって仕事をこなしている。人生をかけて、仕事をしている。目で見る世界も瞼の裏の世界も"自分"として取り込みながら、仕事と自己を切り離すことは容易ではないと思う。本当に凄い。


私たちが知らなくていい"春"の核を知らせない。そういうところが好き。だからなおさら春のよう。核は存在しているのだろうなあと頭のどこかでわかりつつも触れさせないし、こちらも触れようとは思わない。片方のあり方によって相互の良い関係性が生まれている、ということ。どうか私たちもジフンさんのあり方に恥じないオタクでありたいものです。


ステージ上でかわいい、きらきら、まぶしい、明るい、をしているジフンさんがいっっっちばんかっこいいなと個人的には思う。すべてがステージのために生み出されたもので、仕事で、たまらなくかっこいい。





話は変わって、そういえば、宝石箱があったのは3年前の冬だった。



春は遠い。



僕は19歳
もしここで脱落したら
次のデビュー組には入れません





宝石箱はまだ見たことがなくてこの春に見ようと思っているのだが、この言葉をどこかで初めて見たとき、あまりの衝撃と強さと、世界の残酷さと、覚悟に、頭が弾け飛びそうになった。声のトーンも何もかも一語一句覚えてしまう。





春は遠い。




現にジフンさんは最後脱落してしまう。(後にMUGNAMとなるが)それはもう、想像を絶するほど、春が遠かったと思う。



でもジフンさんは当時から見たときの"春"に今いる。春は来た。いくつもの春を今までもこれからも迎えていく。春の前には冬がある。けれどジフンさんは春を掴む。春すらも、時として乗り越えていかなければならないものになるが、ジフンさんはいくつもの春を越している。


誰よりも遠かった春を掴んだから、こんなにも春そのものなのだろうか。冬に埋もれる覚悟こそが、春を引き寄せるのか。


雪が溶けてしまえば、暖かくなれば、上着を脱げれば、何もしてないひとにだって春は訪れる。けどジフンさんはそうじゃない。重たい雪の中から地上を目指し、自分の手と足のみで這い上がり、春の光を見た。黙っていても自然と寄ってくる春、その姿が見える前から、大声で春を呼び、自ら掴む。ジフンさんはそういうひとのような気がする。



遠き春を見たあなた、今あなた自身が誰かの"春"になっていることを、知っていますか?



いつか瞼の裏に描いた春が、ジフンさんが自覚できるほどしっかりと今、存在していますように。




あなたの春に、少しでも歩きやすい花道あれ。




冬の終わりには春が来る
行く道どこにでも花が咲くよ
君に見せつけるように

TREASURE-MY TREASURE



この言葉が嘘でないことを、ジフンさんのステージ上での華やかな笑顔を見るたびに感じます。




今年の春にはコンサートがありますね。それもまた、ジフンさんの人生のたいせつな"春"。でも私たちの春はもう少しお預けかな。



いつか会える日、それが本当の春なら、相変わらず遠いけれど、多分大丈夫。


ひとまず、私たちにとって今日この日は紛れもなく春の日として存在しているし、画面の中では春風が吹いている。



"本当の"春が来るまでは、瞼の裏に、互いを描こう。


この写真リダズだけど…春を待っている感じが大好きなので使っちゃいましょ……


あなたは春を連れるひと。


暗い冬からも、自らの足で抜け出したひと。


自らの手で春を掴んだひと。



春を、かたちにしたようなひと。




春はいつも、祝福される。祝福されるべきなのだ。だから私も、ありったけの思いを書き残しておこうとしたのだけれど、なかなかうまくいかなかった。




なぜかって、何も取りこぼさず完璧に"春"を説明する言葉が存在しないからだ。ジフンさんは春なのだから、うまく書けないのだ。




とにかく、あなたの誕生は春を告げる。私たちの心に雷を落とす。それは何年経っても、その日が来れば同じだ。あなたの誕生日が、春を告げる。




私からは最後にほんの少しだけ、望みがあります。



あなたの瞼の裏にある世界と美しさが、誰にも何にもおびやかされませんように。春を描いた瞼の裏に思いを馳せて、同じ春を歩ませてください。



というわけで、私の手元にある春の香りを混ぜて、届かない手紙をインターネットの海へ吹かせることにしますね。




形にもならない、言葉にもならない、だからみんな、ジフンさんに夢中なのです。





遠き春を瞼の裏に忍ばせて、いつか瞳にもそれが映るように、生きていきましょう。





ジフンさん、どうか次の春で、お逢いできたら。


そのときは、春のかけらをこちらに投げるように、笑ってくださいね。





2022-03-14 真夜中のオタク堂