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トゥデイがイエスタデイになっても

「全世界行きますよ僕たち」

さらりと言われたこの言葉に物凄く大きな意味を感じてしまった。頼もしい言葉。切実な願い。絶対に私たちが虚しい気持ちにならない、そんな強さを持った言葉。ああどうか、願いよ現実に。夢よ叶え。いや、そんなこと願う間もなく、彼らは全世界に行くのだろうな、とぼんやり頭に浮かんだ。終わりの見えない離れ離れの生活の中でも耐えず会おう会おうと言ってくれる彼らが押し潰されないよう、世界は早くどうにかなってくれ。こんなときだけ神頼みなのも申し訳ないが、こんなにもうつくしいひとたちを見捨てるような神なんていない気がする。ぼんやりと、しかし確かに、私は彼らの言葉を信じている。この言葉を見返して底抜けの笑顔で笑える日が来たとき、彼らの瞳が変わらず宇宙のようにいてくれれば何もいらない。私たちがトゥデイを、今日を懐かしめる日を、記憶と写真が約束してくれたと、無性にそう感じながら、ライブ視聴ページが閉じていった。


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10月2日に行われたTREASURE 1st Private Stage、TEU-DAYにてマシホさんが言った言葉を引用しました。この言葉も、私たちがこの言葉を信じて進むための力すらもくれるTREASURE。初の単独コンサート、本当にお疲れさまでした。そしてありがとう。

まず最初に叫んでもよろしいですか??

TREASURE、愛してる!!!!!!

あっという間に過ぎていった2時間、笑って泣いて震えて、とても楽しかった。

今年の5月にTREASUREを推し始め、まだまだ短いトゥメ人生だけれど、湧き出た感情の多さにびっくりしました。どんな言葉を並べようとも説明できない直感的な理由で、「私はこれからもTREASUREを死ぬまで推し続けるのだ」と思いながらトゥデイ視聴ページを閉じたときの切なく熱い余韻が、まだ耳元で糸を引いています。

というわけで感想です。今回は解説とか語りとかいうより完全に感情の記録で。TREASUREへの今の気持ちを記すという意味を込めて。TREASUREへの大いなる愛を込めて。いつかこの文を見てトゥデイを想いながら、彼らのいるアリーナ或いはドームに向かうために。ちょっとした手紙を書くような気持ちです。宛先はなく、届かせる必要もない手紙を書くのが、何故か私は大好きです。


"最初"は一度きり

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TREASURE最初の単独公演は、一度しか訪れません。それを見れたということで私は一生マウントを取ってしまうかもしれません。気をつけます。とにかく、歴史の証人になったということでいいでしょう。とても嬉しい。オンラインという形で、TREASUREの大きな歴史の一部を見させてくれて、本当にありがとう。最初という言葉の取り返しのつかなさを考えながら、トゥデイを過ごせたことの喜びを噛み締めて眠りにつきたいなと思います。今から私は歴史的瞬間を見るんだ………と身震いしながら入場し、震えながらメンバーの登場を待ち……。直接会えていないかそうでないかの違いで、高揚感は現場さながらでした。今日の日を忘れない…と呼吸を整えた瞬間、トゥメである喜びが込み上げてきて………。オタクって楽しいな…。ひとりでいるのに一緒にいる、という幸せ体験。オンライン公演はこれまでにもいくつか参戦したことがありますが、オンラインとは思えないこの緊張感はやはり"最初"という言葉に宿った力のせいであるように思えます。これをお読みの歴史の証人の皆様、そうですよね。"最初"が今日終わり、"二度目"との中間に今いる。最初の終わりは、これからの始まり、これからの終わりは、二度目。そうやって続いていくなかの一番最初にいたんですよ、さっきまで。コンサートの終わりの寂しさにはどうにもスタート地点の空気があって、それが今回はいっとう強かったなあと思います。これまた最初の魔力。最初という事実も、彼らの楽しそうな姿も、どれもどれも私たちの力になっていくことのありがたさ。なんと表したらいいのやら。2回目以降も魔力は落ちることなく、色を変えていくのでしょう。今とにかく色々と置いておいても幸せすぎて困っているのですが、TREASUREがファン以上に幸せだったら嬉しいです。でも今私幸せすぎてこれより上の幸せってあるのだろうかと思ってしまいます。TREASUREはそこに自分の脚で登っていくのだろうな。もっともっと幸せの階段を登ってほしい…。私は連れてかれっぱなしで情けないな、と最初の公演から思っています。2回目に、ペンライトの光を直接届けられたらその情けなさは減るのでしょうか。

優しさがあたりまえにある空間

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トゥデイ、とにかく"優しい"時間であったと思います。トークのとき、誰かがつっかえても笑い合って終われることって実は凄いことです。常に12人の瞳はきらきらと輝いていて、ファンに向ける眼差しがなにより優しい。オフラインのひとたちもオンラインのひとたちも一人も取りこぼすことなく公演の一部にしてくれたように感じて、嬉しかったのです。お互いに「かわいいね〜」「かっこいいね〜」と言い合っていたのも素敵だった。なんて微笑ましくて優しいひとたちなのでしょう…。公演の幸せさだけでなく日常的な優しさまで自然と溢れ出るTREASURE、今日も健やかでいてください。

音楽を愛している

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私はTREASUREの音楽を愛しています。クリエイティブな12人の音楽が豊かでないはずがない。TREASUREの音楽にある感覚的な楽しさが大好きです。今まで好きになったK-POPアイドルの音楽性を見るとちょっと異質だったりするテイストなのだけれど、わけもわからぬまま毎日毎日聴いていて。どこが好き、どの音が好き、ここの響きが綺麗、と要素を洗い出していく楽しみ方ももちろん大好きなんですが、TREASUREはそれが出来るまで時間がかかる、といいますか、なにか決定的な要素があって好きになるというよりかは、気づいたらリピートを押しているタイプの音楽であると思います。それって人間が音楽を楽しんでしまう理由の根っこを掴んでいるのではないでしょうか。彼らの声があれば楽しい、音があれば楽しい。豊かさに刺激されいつの間にか気分が良くなり体が揺れる。細かく分析しようとしても、どれだけ音楽知識がある人でも、音楽を楽しむときまず最初に使うのは脳と同じでありまた違うような"感覚"なんじゃないかな、とTREASUREの音楽を聴きながら思ったりしていました。私はTREASUREの音楽を愛しています。聴くだけで心が豊かになり、楽しい。声もなにもかも含め、音が楽しい。

TREASUREはTREASUREの音楽を愛しているのだと思います。彼らは彼らの音楽の上で歌い踊る瞬間が一番楽しそうだなあと見ていて何度も何度も強く感じました。こちらが圧倒されてしまうほど楽しそうなんですもの、私もとても楽しかった。"今"まさに彼らが音楽を楽しんでいるという喜びをこれからも何度も体験したいなあとわがままを思ったりします。12人もいれば目が足りなくなりますが、ふとした時に目に入るのは笑顔、笑顔、また笑顔。ウムのマシホさんをよく覚えています。満面の笑み。確かにウムは皆んなが満足げな顔で微笑むし、自分を開放しているように思う。でも満面の笑みで歌う曲ではないでしょう、とちょっとばかり笑ってしまいました。でもそう思っている私も実は満面の笑みでステージを見ていて、何がなんだかよくわからなかったのです。とにかく楽しそうで楽しそうで仕方がなかった。もうどれだけ私たちが楽しんでも無駄で、いつだって彼らがパフォーマンスをしているときは彼らが一番楽しいんじゃないか、そう断言できるほどに楽しそうで。私が今何の惑いもなくこう書けるほどの楽しさのオーラってやはり本当に彼らが楽しんでいないと出ないものだと思うんです。私の頭にこの考えが浮かんだ瞬間にTREASUREの楽しさが証明されたような感じ。彼らから溢れ出る楽しさの一因が目の前のファンの存在であるのは明確だと思います。歌番組と段違いですよ。ラップラインなんてもう振り付けも音源通りの音程も捨てて自由に飛び回っていて、それが嬉しくて嬉しくて。何も振り付けも正確な音程もほんとうは必要ないのですね。楽しんだもん勝ち。あの場ではパフォーマンスをする側も見る側も、TREASUREの音楽のもとで平等でした。たかが1回のコンサート。今まで他のアイドルのコンサートを何度も画面越しで見ました。でもあまりにも彼らが楽しそうなので、こういうことがどんどん頭に浮かんできたのです。アイドル、オフラインの観客、オンラインの観客、という違いも、画面も、空けた席の感覚も、何も壁にはならなかった。違う場所にいながら音楽を通して重なり合った瞬間、TREASUREもすべてのファンも私も音楽を心の底から楽しんだのだと思います。あれ、自分どうしてこんなに壮大なこと考えているんだろう。その理由すらわからないほど、やはり彼らのコンサートは感覚的に楽しかったです。

音楽の「楽」は楽しむの「楽」。TREASUREの音楽を通じて音楽の最も基礎的で原初的な「楽しさ」をお届けします。

とあるインタビューでアサヒさんはこのような言葉を残しました。

痺れるほどに、有言実行。

現実

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TREASUREって現実にいるのかな、とちょっと思っていたけど多分いる。絶対いる。スポットライトで浮かび上がるTREASUREの姿はトレマなんかでの姿よりずっと非現実的で実感も何もなかった。けれどTREASUREはいます。まず、あの2時間、私たちは同じ音楽のもとにいたから。そして、彼らもこの現実を少し疑っているように思ったから。疑う、というよりかは信じられるように噛みしめる、という感じ。ジェヒョクさんがすごくすごく緊張しているように見えて若干心配だったんです。MCをするときもカメラと目が合わなかったり遠くを見ているのかな、とか下を見ているのかな、っていう瞬間があって。無理ないよね、がんばって、すてきだよ、と画面に向かってぶつぶつ呟いていたのですが、あるときジェヒョクさんが喋った直後に、ほんとに直後に、少し下の方を見て手を振ったのです。わりかし公演の後半でした。さっき私が心配になってしまった瞬間も全てファンを見ていたのかな、と思って涙ぽろぽろしてしまいました。公演の後半になってもずっとずっと何度も何度もファンを見つめるジェヒョクさん。それを見て、あ、彼らも同じなのかな、と思いました。ちょっと都合よく考えすぎですが。ファンとの時間を噛みしめたくて見つめた、とも思いましたが、なんだかそうとも違うような。ジェヒョクさんの瞳には非現実感が宿っていました。私が画面越しにTREASUREって今動いているんだ、生きているんだ、と実感を探し求めるように噛みしめる瞬間って普段にもありますが、TREASUREもそれをしているのかなと思えた瞬間と重なり合えたことに、ちょっと安心してしまいました。ああ同じ非現実感の中にいるのなら、それは間違いなく現実でしょうよ。ジェヒョクさんの瞳はきらきらしていました。瞳の中には紛れもなく、無数のペンライトの光が映っていました。

はじまりの宇宙

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最後の方にファンを背に記念写真を撮るシーンがありました。その写真ってどこに上がっているんですかね。まだどこにも出てないのか?私FCは未入会です。

ああこの写真から始まるのだな。全てはここから始まったとこれから何度も言うことになるのだな。

トゥデイ視聴中の私のメモにそう書いてありました。この写真を10年後見たときに笑いたい。未来の自分からメンバーへというメッセージを送り合うコーナーがありました。その時、なんの迷いもなく"10周年のとき"というメンバーが何人もいて涙ぐんでしまいました。私たちもそれを信じなきゃ、いや信じるまでもない、彼らはそこまで進むのだ。そして笑いたいのです、あのステージの写真を見て。

狭いね、って。

充分広いのですよ、無観客歌番組の空間に比べたらあれはドームですよ。でも、あれを狭いねと呼ぶ未来が、なんとなく見えたのです。

「イェダムの歌声が東京ドームの天井をぶっ飛ばすのが見たい」

ジフンさんがそう言いました。私大爆笑。見よう、絶対見よう、と私泣き笑い。絶対ぶっ飛ばせますよ。東京ドームと比べたら、トゥデイのホールは狭い。

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TREASURE、2021年10月2日を笑い飛ばせてしまうほど、笑い飛ばしながらも大切に愛せるほど、高いところへ行こう。広いところへ行こう。前に進むたび、天井をぶっ飛ばそう。

もっともっと青くて大きな小宇宙できみたちを包みたいね。

絶対きみたちに会いに行く。会いに行ける日が来ないわけがないのです。きみたちの瞳に、私たちの光を届けたい。照らされてばかりの私がきみたちを包む光になれるなんて、そんな嬉しいことはない。宇宙が広がれば広がるほどもしきみの顔に彩りが咲くのなら、絶対に広げたい。たかがペンライト一本、されどペンライト一本。

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トレマカフェプリンス編でトゥメのおたよりを読んだり探したりしているとき、ヨシくんが「ヨシペンどこ〜…」となっていたことを多分私は当分引きずります。ここにいるよ、ね、ここにいるよ。画面越しでも彼らの音楽のもとでは平等になれる。でも何もこちらからは届けられない。そう強く感じました。だからこそ、早く"私の"光を、届けたい。宇宙を広げたい。

でも本当の宇宙は、彼らの瞳そのものであると思います。ステージにいようがいまいがいつだってどんな宝石より光り輝く、奥深く終わりの見えない神秘。

そうだ、宇宙を見せてもらっているのは、私たちのほうだった。

…ペンライトの光を、彼らの宇宙に含ませられるだろうか。いやしかし私は確かに見ました、ペンライトの光を浴びた彼らの瞳の宇宙の密度がいつもより高かったことを。

私は宇宙を持ったその瞳を見たいなあと夢に出るほどに思うのです。そして、その宇宙の中に自分がいたら…。それこそ夢見心地でございます。

今回の隙間ある小さな宇宙は、大切な大切な、TREASUREのはじまりの宇宙。はじまりの宇宙は、永遠に時の中で守られているから。どうか彼らの記憶の中でも、永遠であれ。ちょっとだけその隙間に寂しさを感じたけれどきっと大丈夫。彼らの瞳の中に入れば、全て平等にまばゆい宇宙です。

いつだってつやめく彼らのこころが何にもおびやかされないことを願って、ただ日常を乗り越えて、絶対に、次の宇宙で会おうね。


24/7、抱きしめて

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トゥデイ最後の曲は、Everyday。

Everydayのサビの歌詞が大好き。「慰めてあげる」ではなくて「慰めてくれる?」という歌詞なので初めて聞いたときは一瞬ハテナマークが浮かんだけれど、聴けば聴くほどその歌詞に涙してしまいます。

TREASURE自ら、こちらに歩み寄ってくれる。

自分から歩み寄ることが多かった最近、歩み寄ってくれるひとがどれほどありがたいか。

私は結構コンサートを見ているとき涙の代わりに震えたり叫んだりするタイプなのですが、Everydayでボロッボロに泣いてしまってティッシュの山が出来ました。

なんだか最近の大変なことやつらかったことをたくさん思い出してしまって、世界から幾度なくはみ出た生活を感じてしまって、でもそれを全て彼らが抱きしめてくれたのです。

どうも、世界からよくはみ出す。性格に生き方のスタイルにアイデンティティに、どこかはみ出してしまう気分をよく感じる。はみ出してもいいんだと振り切るのには自信が足りず、でもはみ出さないために自分を変えるのは絶対に嫌で。2つの選択肢どちらかを選べと迫られているような思いの中、そのどちらに進まずともまっすぐ前を向けば彼らが両手を広げて待っていた。そんな気がしました。自分を何も変えなくても、世間にはまった部分もはみ出した部分も、何にも触れずしてしかし全てを大切にして音楽という枠で包み込んでくれたあの日のTREASURE。あの日私は久しぶりにはみ出さなかった。

ひとりで座っていたはずの部屋に、確かに12人分のぬくもりがあって、背中のあたりがどうもぽかぽかする。気がついたら泣いていました。つらかったことはもう全て宇宙の果てまで一時的に飛んでいって、幸せ、というただそれだけの感情で。

ステージの扉が閉まっていく瞬間、いかないで、と思った。でもその直後に更に思う。絶対彼らはどこにも行かない。トゥデイが過ぎた今日の日も、私はTREASUREの音楽に癒やされているから。彼らの存在が生きる糧になっているから。TREASUREは目に見えるときも目に見えないときもちゃんと"そこ"にいる。

トゥデイは終わり、朝起きるたびにトゥデイとの時間の距離が遠くなっていく。けれどトゥデイのあの時間、あの宇宙は、ちゃんと"永遠"に姿を変えた。写真の中の彼らは息をしていて、今もそこにいる。

トゥデイがどうしてこんなにも素晴らしい公演で愛おしいかって、TREASUREの12人が"そこ"にいるからです。

TREASUREがいればいつだって、今日が完璧なトゥデイ。例えトゥデイがイエスタデイになっても。

トゥデイがイエスタデイになっても、あの日を超える日がどんどん生まれますように。トゥデイがイエスタデイになっても、ただ進む、それだけ。いつだって変わらずきみたちの幸せを祈っている。痛いところが一つもなくなにも怖がらなくて済むような日が、少しでも多くあるように祈っている。

最後に。改めて、幸せな時間をほんとうにありがとう。

さて、私は今日も私のトゥデイを生きていく。私オンステージですよ。いくつもの日々を絶対に乗り越えるんだと、画面越しに勝手に約束したので。

そのために必要なのは、心を躍らせる音楽と心を休ませる音楽と、大切なひとの存在。


TREASURE、トゥデイがイエスタデイになってもどうか、24/7、"そうやって"抱きしめて。