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華は鋭く泉のように 230520


沈んでもなお、浮き上がる。



それはちょうど、今から1ヶ月と1日前の話。


次からの文章は、ちょうどその時を迎えた私が書き記したものです。



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ボーイズプラネットが終わった。”推し”のデビューが発表されてから1時間23分が経った。計算はしていない。時計を見ただけで答えが出る。4月20日が21日になる頃、新たな看板を背負うことになった、”推し”。



リッキー。ウィエファエンターテイメント所属。生年月日は2004年5月20日で、中国出身。本名沈泉锐。華やかなオーラとステージを司る実力を持った、ボーイズプラネットの出演者であり、最終順位4位でデビューを決めた、ZEROBASEONEのメンバーだ。



華は鋭く泉のように、沈んでもなお、浮き上がる。


少し頭を捻って勝手に考えた言葉です、すみません。


様々な感情が行き来する夜、どうも我慢できなくて筆を執っています。ただただ私が私の感情を記すだけです。思いが抑えきれないなと思ったのでインターネットに頼っている次第です。


はじめてリッキーを見たのは4話の翌日だった。友人に「〇〇、絶対リッキー好きだよ」と言われ送られてきた、Backdoorの映像。上着を翻しこちらに視線を飛ばしたリッキーを見た瞬間に私の中の何かが動いてしまった。完全に一発で好きになってしまいました。サバ番なんてものは大嫌いで、意識的に見ないようにしていた私ですが、抵抗できず、いつの間にかリッキーのことばかりを考えながら生活するようになりました。

その頃は単に顔が好きとか程度の気持ちで、2ヶ月過ごして、重みの厚みといいうか、深みみたいなものは変化していったけれど、”私はどうしてリッキーのことが好きなんだろう?”という問いに、4月20日になっても私は堪えられないでいた。

けれど、4月21日になった瞬間に気が付きました。

ああ、リッキーってずっと”リッキー”だったな、と。


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ファイナルが終わって衝動でパソコンを立ち上げるもド平日の深夜、眠気に集中力が負けてしまったのでしょうか、ここで文章は終わっています。こんな中途半端な文章、お蔵入りにするつもりでしたがやっぱりこの機会に出してしまうことに。なにせファイナル直後というもう二度と起こらない瞬間に書いたものなのですから。


それに、そのときの私と今の私、感じていることが全然変化していないから。



今日も、ずっと、”あなた”である”あなた”へ。


届かなくていい手紙と、あなたを知って過ごした日々の記憶を、ここに綴ります。






HAPPY BIRTHDAY RICKY!



緑が夏の華へと姿を変えていく季節だ。


いつの間にか山の緑が絶好調になっている。いつの間にか部屋にいるだけで汗をかいている。涼しく暑く、きちんと春で、カレンダーを見て目に入った数字を見て愕然とする。もう1ヶ月経ったのかというのが正直な感想です。まだボイプラのある世界で生きてる。という余談はさておき。


5月病という言葉はあるけれど、私は前々からずっと5月が大好きで、リッキーの誕生日を知ったときはそれはもう楽しみだと胸を踊らせていた。あわよくば、デビューを決めたリッキーを祝いたいな、って。多分そのときの私の思いは”絶対”でもあったけど、口をつくのは”あわよくば”だった。



久しぶりにこうして好きなひとのために筆を取っています。近頃うまく書けないって気持ちの日が多かったけど、今日は特別。ファンたちが初めて祝うリッキーの誕生日、何もしないわけにはいかない。私から、ほんのちいさな文字列かもしれないけれど、春風に乗せてお届けします。リッキーへの想いと、私が辿った”リッキーのいる日々”の話を記してみようかなと思います。私軸の話が多くなってしまうかもしれませんが、あらかじめご了承ください。まだなんとか記憶が新しいうちに、想いの生まれていった過程を思い起こしておきたいのです。リッキーのことを知って生きていく日々はほんとうに目まぐるしくてワクワクして、できるだけ取りこぼさず覚えていたいのです。




冒頭でも述べたとおり、リッキーを知ったのは4話放送直後。友人から進められたベクドアGのステージがきっかけだった。リッキーが上着を翻した瞬間、あっ、と何かが変わる瞬間の波動みたいなものを感じた。何度でも鮮明に思い出せる出逢いの瞬間。その後すぐのパートで不敵な笑顔で顔を後ろにやるリッキーを見た瞬間完全に好きになってしまったのをよく覚えている。

何度見ても魅力的でびっくり。サバ番なんて今まで見たことなかったうえに、ずっと嫌いだった。サバ番の仕組みそのものにも疑問を感じていたし(今も全肯定しているわけではないけれど)、自分が見るなんてありえないという気持ちが当時出逢いの波動に蓋をしかけた。けれどそこをこじ開けてきたのがリッキーだったのだ。いつの間にか釘付けになってステージを見終え、チッケムも見、本編は見ずにステージだけ見ようかなとも思っていた時期もあったのだけれどリッキーは私に「もっと知りたい」と思わせた。知った瞬間から、どんどん深みが見えていくひとだ。その深みの正体が分からないから、知ってみたいと思った。このひとはどんな性格で、どんな歌を歌うひとで、どうしてここに来たんだろう。あっという間にそんな思いになってしまっていた自分は今も健在。もっと知りたいという気持ちにさせられること、リッキーの魅力のひとつであると感じる。今もそう、毎日新しいリッキーを知る。そのたびに楽しい。知りたいと言ってももちろん表に出る範囲のことですよ、ただ、リッキーが表に出してくれたもの、教えてくれることは、全部キャッチしておきたいというような気持ち。その”新しく知ったことがら”もまた、ひとつひとつがリッキーの魅力。出逢った当時4話まで進んでいたボイプラを右も左も分からないまま見、私はさらに釘付けに。完全にハマってしまったし、「このひとにデビューしてほしい、このひとが高い場所で輝いているところが見たい」と明確に思うようになった。リッキーはあっという間に、シンキングタイムなんて設けている暇もなく、私の”推し”になったのです。余談ですが、悪編に惑わされない気持ちを持ちつつエムネットに腹を立てつつ4話まで見ていたら私はベクドアG大好き人間になってしまいました。


伝説の"華"たち

全12話、約2ヶ月半。サバ番を見ている期間はオタクはオタクなりに苦しかったけれど、たしかに楽しい瞬間がたくさんあった。リッキー以外にもたくさんの素敵なひとたちのことを知れて、趣味人生がより豊かになった。そんなたくさんの練習生たちと出逢えたのもリッキーが開けてくれたバックドアのおかげなので、そこも本当にありがとうを伝えたい。一曲分にも満たないパフォーマンスのうちのしかも数秒で、私のそこから先の放送期間、そしてさらにその先に、華が添えられることとなった。一瞬さえあればリッキーは誰かを虜にしてしまう。一瞬さえあれば充分なのに、一瞬じゃ足りないと、もっと知りたいと思わせるひと。不思議だなあ、そんな不思議を現実にしているあなたのことがやっぱり好きで、いちファンが言うのもおこがましいけど、誇らしいのです。リッキーの不思議を身を以て体験出来ただけでもう満ち足りているけれど、やっぱりこれからも、もっと知りたいな。


私の3pick…心の底から、出逢えてよかった




4話あたりまでのリッキー、ちょっと怖いっていうかクールな感じがしてそれもまた好き。知ってみたらめちゃくちゃ可愛くてふわふわでますます好きになってしまった。回を重ねるごとによりたくさんのひとがそれに気づいていっている気がして嬉しかったのをよく覚えている。

Young and rich,tall and handsomeというインパクト抜群のキャッチフレーズにキリッとしたビジュアル、低い声、パラメータを飛び出す自己評価。最初に私が知ったリッキーの要素はこれだ。ここから蓋を開けて更に知っていくとカリスマボス”ベイビー”が見えてくるわけなのだけれど、もちろん持って生まれた魅力故にでもあるだろうけれど最初にリッキーが用意してくれていたあまりに明確な”リッキー”という像が、このギャップの衝撃を強めているよなあと思う。リッキーの中にしっかり”リッキー”という自分の姿があり、芯がブレていない。今ではすっかり自己紹介でラブリッキーと言うようになったし、そもそも元々自分がキュートだってことリッキーはわかっていたかもしれない。そこも魅力だと分かっていながらも印象深い”リッキー”というキャラを用意していつも姿を見せてくれるのが好き。これは4話当時から考えていたことかも。


ヘアセットしていないところを見たことがない、という話が練習生か出たり、確かに本編で見るリッキーの姿はヘアメイクが完璧で、って、そういうところにも”リッキー”たるありかたを感じた。いつもちゃんと”リッキー”という練習生・アイドルで、私達の知っている”リッキー”で表に登場してくれる。アイドルとしての自分と本来の自分の線引きがあるタイプなのかな、という考えが浮かぶ。舞台裏、素のその人を映すはずのサバ番というコンテンツにおいても、常にリッキー像を感じることが出来たのが、全てを物語っているのかもしれない。とにかく、明確な”リッキー”を持っているところが好き、愛おしいよ。この考えが、後に私に嬉し涙を流させるという話は少し後に。





これまた伝説

そうそう、自己評価の高さも、好き。自惚れなんかではないということは本編を通したら当然のように理解できて、これもまたリッキー像なのかなと思ったりする。でも本当は自分に自信がないとかではなくて、多分ちゃんと自信はあるような気がする。そういう輝きをしている。ただ、リッキーがいつも考えているのはチームのことで、リッキーがいつも話すのは、次のステージのことなのだ。



ベクドアの得点発表にて、ポジション別の勝敗で自分が勝ったと知っても顔色を一つも変えず、喜ぶ素振りをまったく見せなかったリッキー。チームのことを第一に考えないとこの対応って出来ないんじゃないだろうか。各チッケムの本人からのコメントを見てみると、いつも今回のステージの振り返りと、それに加えて次のステージの話をしている。次のステージがあるのか分からないサバ番の世界で、いつも次を見つめ、向上心を持って話す。次を見据えるリッキーの言葉に何度嬉しくなったことか。次を想定するということが余裕からではなく意志から来ているものだろうというのは、毎ステージで新しい、進化した姿で出てきてくれるリッキーを見ていたら分かるだろう。自分に自信を持ちながら、レベルアップを止めない。自惚れと自己肯定は違う。



スターレベルテストで自ら貼り付けた5つのスター。満点の4にひとつ加える、リッキーの自信はそういうものだと思う。常に完全な、ベストを尽くした”リッキー”であり、そこに魔法をかけるように自信を追加するとあら不思議、もっと豊かに輝き出す。自信を持って堂々といる姿はやっぱりかっこいいから。仲間を想い次を見据える、素敵な自信家。いつだってあなたは大丈夫で素敵で魅力的だから、プラスαの輝きの材料となる自信をどうか忘れないで。


もうひとつリッキー像、の話をするのであれば、コンセプトの消化について。リッキーがRushhourをやった、という話を聞いたとき、全くリッキーのイメージと結びつかないコンセプトだったものだからかなり不安に感じたのを覚えている。と同時にいやリッキーなら大丈夫だろうな、という気持ちもあって、あとに上げたほうの気持ちが、後に正解となった。リッキーはどんなコンセプトも自分というキャラクターに、自分の持ち味に落とし込んで、リッキー式のものにしてしまうなと思う。そこに用意されたコンセプトと自分の持っている独自のスタイルを掛け算し、誰にも生み出せない新しさをそこに創りあげている。先日のKCONで披露されたSaymynameもそれが健在で嬉しくなっちゃった。1ヶ月前、パジャマパーティーで少しぎこちない笑顔でセマネを踊っていたリッキー、一体どうなるのかな?とワクワクドキドキしていたら、期待を上回る、いや、予想を超えられた。確かに清涼感があって、でもいつものリッキーが得意とする(本人談)セクシーな歌声・表情、しっとりした甘さがそこにあった。でもミスマッチではなくていい塩梅に混ざり合っている。今まで見たことないセマネだったし、こうやって歌うことも出来るんだなというある種の学びもあったし。リッキー解釈のセマネは9人のパフォーマンスに幅を出していたと思うし、リッキーらしさが止まっていないことに最高の嬉しさを感じる。どんなコンセプトも消化でき、でもただ用意されたものに則るのではなくて、自分の持ち味を新しい輝きの中で放つための道具にしてしまう。自分に取り込み、自分にしか生み出せないものをどんどん世の中に送り出す。”リッキー”というリッキーの姿がどんな曲のときも安定しているのは当たり前のことではないし、それが大好きで、いつも楽しませてもらっている。



(そして言わずもがなover meは優勝。)





リッキーはいつもリッキーで、なんだけど、いつも新しい。

安定した同じ姿でありながら毎日新しいという、言葉としては矛盾していることを、リッキーに感じる。



放送期間中、とにかく画面に夢中になるだけで精一杯で、なんで自分は夢中になっているのかまで考えが回っていなかった。けれど答えはもう最初から出ていたのだ。ここまで話してきたとおりの内容だ。”リッキー”がブレないということ。



4月20日、ボイプラファイナル。全てのステージが終了し、順位発表のみを残した時間。8、7、6ときて5でもまだ呼ばれなかったとき、正直に言うと絶望していた。もう9位を待つしかないと思っていた(本人もそうだったみたい)。もう殆ど画面から目をそむけていたときに聞こえてきた、ずっとずっと聞きたかったその名前、目に飛び込んでくる推しの驚く顔。何もわからなくなって、め〜〜ちゃめちゃに泣いた。永遠に鮮明に思い出せる。まさかまさかの順位。ここに来てもなお、いつもどおり”予想を超える”リッキー。それに加えて、だ。

名前を呼ばれ、仲間に送りだされ階段の方へ向かうとき、リッキーは衣装の上着を掴んでぴしっと整えた。満足げな顔をして。その瞬間思い出したのは自己紹介動画。ヤングアンドリッチ、のキャッチコピーを言いながらジャケットを整える、と言えばきっと伝わるだろう。そのときと同じ動作だ。偶然であり自然だろうけど、それを見た瞬間自分でもびっくりするくらい私は大声で泣いてしまった。ここまで来ても、高みに辿り着いても、ずっと”リッキー”なんだって。ずっと変わらずにいてくれたんだって。変化は悪ではないし、成長もひとつの変化である。けれど、リッキーがリッキーたる軸は維持されたまま、新しいものを見せてくれるのだな、と、そのときようやく気づいたのだった。今こうして振り返ると私はこのことに最初から気がついていたような気がするけれど、多分あまりにも”リッキー”が”リッキー”であることが日常だったから考えるということもなかったのだろう。私は心のどこかでリッキーがデビューしても推せないかもしれない、とそれまで思っていた。何かが思い切り変わってしまうような気がして。でもそうじゃない。変わらない。変わるけど、新しくなるけど、リッキーは”リッキー”じゃないか。


こちらで勝手にリッキー像みたいなものを作ってリッキーに押し込めたりはしない。どんなリッキーだって、いつだってリッキーだから。でもこう言えるのは、リッキーの努力と向上心と、自信のおかげだと思うのだ。いつだってリッキーから”リッキー”を感じさせてくれてありがとう、いつだって好きだなって思わせてくれてありがとう、いつもリッキーでいてくれてありがとう。1ヶ月前も、今も、同じ気持ちだ。





華は鋭く泉のように。



どんどん新しい水が湧き出る泉だけれど、水がきらめき躍動する姿はずっと変わらない。リッキーはそういうひと。さて、いよいよデビューまであと2ヶ月というところ。どんな湧き水が出てきて、泉の一部になるのかな。その水は世界にどんな豊かさをもたらすのかな。




勢いで今まで思っていたことを自分主軸で書いてしまいました、あれ、もしかしてあまり愛を綴れていない…?たしかにすごく好きなんだけど、うまく言えません。私は湧き水を泉の中に留めることが出来ないひとみたい。やっとの思いで辿り着いたような今日だけど、まだなにも始まってはいない。これから先、もっともっとリッキーを好きだと思う瞬間があったらいいな。たぶん、あるんだろうな。湧き出る想いを、特別な日でなくても綴りながら、過ごせていけたらいいな。あなたという泉が変わりゆき、維持されていくさまを一つ残さず心に込めたいな。まとまりが悪いお手紙になってしまいました。せっかくの年に一度のこの日、ああリッキーの誕生日を私はどんな気持ちで迎えるのだろう…と幾度となく心配していた過去を覆す、清々しくて愛おしいこの日、私のなかに留まっている湧き水を放出してこの手紙の結びとさせていただきます。誕生日を過ごしたら、きっとすぐにでもまた思いが湧いてまた掬いきれなくなってしまうだろうから。






リッキー、今日という日をどう迎えていますか。韓国の天候はリッキーにとってどんなものでしょうか。暑いかな、温かいかな、5月は好きかな。比較的穏やかなこの季節、あなたを木漏れ日が優しく包みますように。


あなたを知ってから本当に色々なことがあった。一概に楽しいだけではなかったし、でもその苦しかった瞬間も今は思い出なのは、あなたのおかげです。


私の人生を彩ってくれてありがとう。私の"推し"になってくれてありがとう。私の目に入るところに現れてくれてありがとう。感謝があまりにたくさんで、一度には書ききれないみたい。日々のなかで大切に心に仕舞っているようです。



”誰かのロールモデルになりたい”



この言葉をしきりに思い出します。あなたの輝きを見るたびに。きっともうすでに、あなたをロールモデルにしているひとがいるんじゃないかなって私は思うよ。沈んでもなお、さらに高く、浮き上がったあなたの姿は希望だ。予想も何もかも覆して颯爽と”あなた”であるあなたは本当にかっこいい。



あなたの軌跡は春の形見。数字も、表情のひとつひとつも、言葉も、もう言葉にならない想いも。あのときを閉じ込め夏の先へとつれていくことのできる大切なものたち。



華は鋭く泉のように、沈んでもなお、浮き上がる。




どうかその華を、思う存分解き放てますように。ここまで浮き上がってきてくれてありがとう。これからもよろしくね。また来年、ここでまたあの春を思い出して懐かしく思えますように。お誕生日おめでとう!!リッキーの輝きと同じくらいの大きさの祝福が、舞い降りますように。



夏の扉を覗きながら、その先の日々を心待ちにし、愛を込めて。






華咲く季節は、終わらない。







2023-05-20 真夜中のオタク堂