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拝啓、さらしものへ 220507

拝啓、風薫る五月に舞い降りたあなたへ。

目まぐるしく街を染める新緑のような歌声を、ずっとさらし続け響かせるあなたへ。

あれこれと、使い慣れない敬語に込めてみようとする。


いきなりですが、伝えたいことを先に書いてしまいます。

あなたのすべてを、




………あれ、言葉にならないや。




HAPPY BIRTHDAY BANG YEDAM!

過去写真引っ張ってきてしまい申し訳ない。これ凄く好きなんです。




尊敬しています、と書こうとして筆が止まった。何かが違う。その"何か"の正体を突き詰めるのが、今回の文章のテーマの一つになるかもな、なんて思いながらぼんやりと文字を打っています。

確かイェダムって抹茶好きだったよなぁ、と思いながら朝起きるたびに色鮮やかになっていく山々を見つつ綾鷹の抹茶ラテを飲み干している今日このごろ。美味しい。皆さん綾鷹とクラフトボスどっち派ですか?私は綾鷹強火です。実は本当に今抹茶ラテ飲んでるんですよね。抹茶ラテを飲みながら帰りのバスを待っているところ。暑い。

もともとバンイェダムというひとに物凄くあたたかな緑のオーラを感じていたのでしっかりと外の景色がそれについてきていて凄く嬉しい。やっぱり人間自ら日を選んで生まれてきたりするのかなぁなんて、トレジャーの誕生日を迎えるたびに思っているのですが。


私はとても音楽が大好きで、常に音を耳に入れながら生活しているので何かしら身の回りで起こるあれこれも音楽に重ねがちです。誕生日に書いたnoteで言うと、ジョンファンの水平線やヒョンソクさんの夢追人など。いくらなぞらえれば気が済むのだという話ですが、実は今回が一番なぞらえの大本命だったりします。



まずこちら、聴きながら読んでくださると幸いです。できればイェダムにも聴いてほしいなぁって思う。サッサヒョンにでも教えてもらっててくれ。



イェダムってなかなか敬称が定まらない。一年近く迷走してきてしまった。さん?くん?呼び捨て?なんだかどれもしっくりこない。時と場合によって使い分けるのが最善かもしれないと思い始めてきた。YD〜〜!!にハマっているというのは余談。今回はできるだけそのままの名前を呼ぶために敬称略で統一します。


どこか身近で、遠くて、かわいくて愛しくてかっよくて、やっぱり遠くて、測りきれない距離感を日々繰り返してしまっている。アイドルとオタクの距離感なんて考えるまでもなくわかるはずなのに、不思議とめちゃめちゃに近く感じたりやたら遠く感じたり、そんな瞬間がイェダムには圧倒的に多いかも。


さっき尊敬、と書こうとして手が止まり、ずっと考えているけれど結論が出ない。まあ確かに尊敬している。歌い踊る姿に心の底から敬意を示したいんだけれど、何か"尊敬"という言葉に含まれる"憧れ"のニュアンスが対アイドル時には生まれない。憧れを含まぬ尊敬、って尊敬と呼べるのだろうか。よくわからない。対アイドルだからこその何か。対イェダムだからこその何か。


さらしものにだけ向く、愛のような何か。



さらしもの、という言葉、どう考えてもマイナスな方にしか取れないのでnoteのタイトルを見て眉をひそめてしまった方もいるかもしれない。


けれど、めちゃめちゃに的確だと思いませんか?


たとえ自ら選んだ舞台だとしても表に出る以上あれこれを"さらされて"しまう。例えどんな綺麗な言葉で補おうとしてもその事実は揺らがない。

イェダムは眩しくて透明でマイナスな要素なんて何一つ感じないようだけれど、それは物凄く大きな覚悟でさらしものの事実を包み込んでしまっている、包み込めているからなんじゃないか。さらしものだけの何か、で包み込む。


そう言うとアイドルだったりとにかく有名人はみーーーんなさらしものだ。誰のセンイルブログだってさらしものをテーマにして書けてしまう。けれどイェダムで、どうしても書きたかった。



遡ること10年前から表舞台に出、歌声を届け、人々を魅了し、さらしものでいた貴方。人生の半分がさらしものとしての日々。


申し訳ないような、それでも感謝のほうが大きかったりする。感情がどんどんごたごたしてくる。


それでも、最後には「好きだなぁ」「素敵だなぁ」という端的で真っ直ぐな感情のみが残るのは、きちんとそれ相応の距離感があるから。



なんというか、割り切れているから。


望むことをするための代償のように、表舞台の人間は晒され、私たちは罪悪感を抱える。それでも表舞台の人間幸せを届け、私たちは幸せになる。幸せだけに目を向けるのはこの場合現実逃避にはならないと思う。変わらぬ事実を分かっていながらならなおさら。



この関係性が案外私は好きだったりして、それをひしひし感じるプロのアイドルのことはもっと大好きになってしまう。


なので今回歴10年のプロに登場してもらい、ずっと書きたかったテーマに切り込むというわけ。


でもせっかくの誕生日だから思いっきり祝いたいし笑顔でワイワイしたい。愛を最大限込めて、こちら側から見えるさらしものの美しく愛おしい姿を全力で伝えたいところである。最早祝福ってなんだろうブログってなんだろうみたいな文体になっているけれど。イェダムなら良いだろう。10年もあればきっと物凄い数の人があなたについて文字にしたり何かしらの形で画面に起こしているはずだから。少しイレギュラーなものがあったほうが丁度いいはず。


生まれて独りステージに立って
フィナーレまでは残り何公演


まさに"そう"。探せば探すだけ独りステージに立って歌っている映像が出てくる。でも近頃だと独り歌っている場面はあまり見かけなくなった。たくさんの仲間に暖かく囲まれている。独りではなくなっていく。


けれどこの間の単独コンサート。ユニット別のカバーステージが始まる前、唯一イェダムにだけソロの時間があった。しかも2曲。自作曲まで。今まで12人に分散されていた目が一気に一点に集中するところを、画面越しに見ていた。一瞬ヒュッと音が鳴ったかのように空気が張り詰め、隙間を溶かすように歌声が響き渡る。


その瞬間思った。


"あ、独りぼっちだ。"



何千何万の目が向いている。数多のカメラに捉えられている。ペンライトの光だってある。誰よりも眩しいスポットライトを浴びている。その声だけが、響いている。


それなのに、まるで独りぼっちみたいだ、そう思った。


音楽を通して人生を奏でて、たくさんのひとを繋いで、たくさんのひとを救ってきた。イェダムの歌声は、全てを包み込んでしまうようだな、とそれまで思っていたのだけれど、コンサートを見てから一気に考えが変わった。



音楽で世界を作るひとだ、と。



世界っていうのはここに今存在してる世界とはまた違って、完全に新しい世界。歌声を通して、自分の周りに小さな世界を作るひとなのだと思った。神イェダムというあだ名を初めて聞いたときちょっと笑ったけど知れば知るほど裏付けが多すぎて開いた口が塞がらない。


イェダムを軸に、小さな世界が広がっていく。時として"世界"の輪が地球全体に広がっていることもあるし、イェダム自身を包むのが限界の広さになることもあるんじゃないか。だからイェダムの姿を前にして疎外感を感じることなく笑顔でいれたし救われたし、コンサートで独りぼっちに見えたんじゃないか。


「なんてことない」 なんてことない!けど
形のない何かで交われる



感情移入、ともまた違うような。その場その場でイェダムの全てが乗り移った音楽が生まれていく。


私は3月末頃ようやく宝石箱を見たのだけれど、イェダムがあまりにも"単独トップ"のようで、そのように扱われているような気がして、少しざわりとしていて。

信頼できる素敵な仲間がたくさんいるはずなのに、歌いだした途端何者も寄ってこれないような凄さを発揮してめちゃめちゃ気圧されてしまった。常にどこか"単独"な雰囲気があったから、少し心配になってしまうほどでもあったのだけれど、全く無用だったと今になって気がついた。


"世界"の輪の範囲を考えれば、答えが出る。その頃から、音楽を通して世界を作るひとだった。そうだ、ステージから降りたあとのイェダムは確かに"みんな"の一員だった。"単独"の雰囲気すら、自ら生み出したものだったんだ。


ゼロから作り出したものを"さらす"。


イェダムの世界に絶対足を踏み入れられないまま聴いた、コンサートのWAYOの心地良さよ。本物の路地裏で想いのままに呟くような"独り"の姿を、思い切り第三者として見れることの感動よ。これもまたさらしものだけに生めるものなのかな。


もしかすると孤独は一人ではないって
いえる!


よく音楽の才能があるひとのことを「音楽の神様に愛されたひと」と呼ぶけれど、イェダムはちょっとそれとは違う気がするな、と前から思っていた。"愛される"なんてほど平坦な道のりではなかったはずだから。


音楽をするように、たくさんのひとに声を届けるように、と神様から命じられたというよりかは、"音楽をする"ことを自ら目的として生まれてきたような、そんなイメージがしっくりくる。イメージね。


それくらい、イェダム自身が"音楽"として独立しているような存在に感じて、大好きだ。音楽の才に包まれているのではなくて、自らが音楽そのものである。音楽によって奏でられる音楽。だから自由自在に世界の広さだって変えられてしまうし、あんなにも唯一無二。ある種"才能"なんだけど、その言葉で形容するのはどうにもおこがましい。イェダムそのもの、を指す言葉は"イェダム"しかないのだから。



다라라라라라리 君を見てると音楽が
君のためのメロディー


そこにいる誰かのためのメロディーが、自然と溢れてくるようなイェダム。歌がうまい、という評価はもう散々だと思うので使わないようあがいた結果。ダラリの歌詞、イェダムから音楽が出てくる瞬間のイメージ図にかなり近い。そこにいる誰かのために世界一つをきれいにラッピングしてプレゼントすることができる、才能、なのかな。オーダーメイドの"世界"が無限に存在するからみんなイェダムに魅了されるみたい。



なんとなくまとまりが悪いのだけれど、考えることは大体全部考えてしまった。


"尊敬"に代わるさらしものだけの何かを表す言葉を探していたけれど、結論、存在しない。


強いて言うなら"たいせつ"という思いに近いのかもしれない。たいせつだなぁ、と思っているから歌声で幸せになれるし、さらしものの事実に頭が上がらないし、誕生日を祝いたくなる。


でも強いて言うなら、だから的確ではないなぁ。腑に落ちない。



でも私たちは確かに"何か"を持っているのだから、"何か"のままでいいんだ、多分。



Starting off with you and I
さらしものだけの愛があるだろう

また変わらない朝を迎えられることが、幸せで、たいせつです。


望むことはただひとつ。どうかこれからも歌い続けていてほしい。けれど、望む必要なんてない。イェダムは音楽だから。世界を作ってしまうから。ゼロから作ったもので完璧なさらしものになるから。"音楽"そのもののメロディーなんて、誰にも止められない。


"何か"まで包み込んでくれるイェダムの世界にこれからさらにどんどん浸れるなんて、本当に楽しみです。


舞台の上、舞台の下、割り切れた関係性に、最大限の感謝を。




どうかこれからも、さらしもののエキストラでいさせてください。



だけど君のその世界じゃ
僕も雇われたエキストラだっけ


どうかこれからも、私含め沢山のひとの人生のエキストラでいてくださると本当に嬉しいです。多分世界のつやめきは維持されます。



同じ世界で生きているこの事実に、拝啓とつけて手紙を。



ま〜た好き写真サッと貼る私。好きです。



ありがとうと、おめでとうと、よろしく、を思いっきり込めて。


あなたのすべてを、







敬具



2022-05-07 真夜中のオタク堂