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冷凍庫としての美術館、生ものとしての社会

現在、国立西洋美術館で開催されている「ここは未来のアーティストたちが眠る部屋となりえてきたか?」。本館で初の現代美術展となるこの展覧会は、その内容だけでなく、記者内覧では有志出展アーティストによる抗議活動が行われるなど、現代日本社会における国立西洋美術館のあり方を様々な角度から問い直す企画となっている。冷凍庫のように保存されてきた西洋美術館を解凍するような企画であると言えよう。

現代美術のアーティストを招き入れることで、現代の視点をもって解凍された国立西洋美術館の問題点として、第3章の田中攻起による展示方法への提案、また第4章では西洋美術館の持つ権威性への反応、第6章の梅津庸一による美術制度批判といったものが挙げられる。現代美術の文脈を持つアーティストからの問いかけの形で、本館に内在する問題点を膿のように出し切ることで、従来目を背けてきたそれらの問題点をここで清算しようとしているように見える、というのは穿った見方だろうか。

4章と5章の間では、弓指寛治による路上生活者を主題とした展示が展開されている。隣にいながら見ないふりをしてきた路上生活者の姿が、美術館のスペースを占拠している点で非常に自己批判的な展示と言えるだろう。しかし、積極的なフィールドワークを展開する弓指に同行する本展企画学芸員の姿には主体性がなく、こうした展示に美術館としてのスタンスは表明されない。そこに対する応答が欲しいと思ってしまうし、その姿は内覧会で展開された抗議活動に対する美術館の曖昧な応答と重なって見える。

「美術館の中だけ別世界」 ではない。本展は独自のルールで存続してきた国立西洋美術館と現代社会とを接続した展覧会と言えるだろう。接続された今、社会と対話し応答する義務が生じる。ここからまた未来へと繋げていくためにも、冷凍庫としてではなく、社会という生ものを相手にした応答を期待したい。


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