雑記。弱さと愛

気がついたら涙を流しているときがある。
ふっと風に飛ばされるような体の感覚のあとに、
頬にあたたかな涙をみる。

とても悲しいことがあったとか
とても辛いことがあったとか
そういうんじゃないとき。


何気ない会話の中での、相手のことば。
ふとカフェで聞こえてきた音楽。
映画で触れることば。
銭湯のお湯にあごくらいまで浸かって湯気のゆらめきをみたとき。
散歩をしていたら、どこかの家からお味噌汁の匂いがするとき。

それは、
じぶんと、じぶん以外のものとの境界がない
という錯覚を感じているほんの一瞬のできごと。

わたしはひとりじゃないという安心感と
でもほんとうは、わたしはひとりだと知っている虚しさと
それでも、ほんの一瞬でも、じぶん以外の何かと交わる喜びと

それらが
順番待ちもしないで一気にやってくるものだから
たぶん、じぶんがびっくりしている。



ここ1週間、たったの1週間だけれど
心と体は安定している気がする。
わたしはよく、そんな日々を「凪」と呼んでいるけれど
人間というものは都合よくできていて
鬱々とひとりぼっちな夜の感覚はどんどん遠くなっていくんだ。

じぶん以外の何かと繋がる錯覚は一瞬で
もしかしたら
じぶんと繋がる感覚も、錯覚なのかもしれない。

暗闇にひとりぼっちな夜には
一番星のひかりみたいに
誰かにかけて欲しいことばがはっきり分かっているのに、
凪の上を進み出した舟の上では、なんだか朧げにしか見えてこない。
ひかりのもとでは、雲がよく見える。

「誰かにかけて欲しいことば」は
じぶんが赦していないじぶんを慰めることばだから
もし仮に実際にそのことばをもらったとしても
きっと暗闇からは逃げ出せないのだけれど。


そして今も、
真っ暗な森の中で
荒れ狂う嵐の中で
音のない海の底で
誰にも息に気づかれないように
いきている人がいて

たとえそれが
わたしにとって大切な人であったり
身近な人であったりしても
わたしには、なんてことばをかけたらいいのか分からない。

わかりたい。
ことばを。
わたしを。
あなたを。
せかいを。

あなたはうつくしいのだと伝えるすべを。
あなたの目にはどんな世界が映っているのかを。
わたしは、どこに向かって歩いているのかを。


でもときに、
「わかる」はとてつもない暴力になる。

それ、わかるよ。と言った瞬間
わたしとあなたの歩み寄りは足を止める。
「わかる」という中間地点を霧の中に見定めているだけ。


「ほんとうのわたし」はことばで表現しようとした瞬間
「ほんとうのわたし」ではなくなってしまい、
表現されたことばから受け取る
「ほんとうのあなた」は、わたしが自己満足に受け取っている
「ほんとうのあなた」にすぎない。


わたしたちは、
同じ世界を生きているように見えて
まったく違う世界を生きていて
一人ひとり、それぞれの世界を遊んでいる。

お気に入りの場所があって
お気に入りの遊具があって
お気に入りの時間がある。

でもたまには、
友だちと呼びたい人といっしょに
じぶんのお気に入りの場所で遊びたい。
あなたのお気に入りの場所で遊びたい。


それを
わたしは
どうやって表現して
生きていけばいいのでしょうか。


つくる。が いとも簡単に「生産」になり
つかう。は いとも簡単に「消費」になる
そんな世界で
わたしたちはどうやって
生きる。を灯していけるのでしょうか。



生産と消費の最強タッグが待ち受ける街で
こんなことを考えながら
いきる。を灯していく世界を
わたしの中に、わたしの少し周りに
つくっていきたいのです。


いつか、
わかる。なんて言葉がどうでもいいくらい
大きくて暖かい愛で
あなたを。
じぶんを。
包み込めるようになりたい。






じぶんのことさえ包み込めたことのない
ちっぽけなわたしが、
悲しさや寂しさがすぐに怒りに変わってしまう
だらしないわたしが、

愛とか気安く語ることは
傲慢ですか。





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