積み上げている。ぐらぐらと。

足元が不安定なときこそ、
空を見上げてしまいます。

このまま、どこかへ飛んで行けないかと
思ったりもします。

カメラロールには
いろとりどりの空の表情が残されていて
ときおり、
そこに果てしない時の奥行きを見ます。


ぐらぐらと揺れる地面の上に立って
天に向かって積み木を積んでいるような日々です。

鈍臭いわたしは、よく手元を滑らせて
くしゃっと崩してしまいます。

風向きのいいときは
周りの人に助けてもらいながら
また、積み木を積んでゆきます。

風が吹き荒れる日には
もう何もかもが嫌になって
一番下の積み木から
ぐしゃあっと壊してしまいます。


抑えるものがなくなった地面は
いつもより大きくわたしを揺らして
それにしがみつくわたしは
歌をうたいたいと願っています。

でも上手に息が吸えないので
しがみつくのをやめてしまおうかと思います。

このまま、
この揺れた勢いのまま
遠くまで飛んでいってしまいたいと。



だけれど、
わたしには約束があります。

今のわたしは
飛んでゆきたい、と思ったときには
地面にもぐってゆかなくてはいけないのです。

積み上げることを手放した
その両の手で
深く深くへと
地面を掘り進めなくてはなりません。


その先に答えを求めているうちは、
そう易々と飛び立ってはいけないのです。



答えはそこにある
と言わんばかりの世界で
でもやっぱり答えなんかはない
ということを確かめてみたいのです。


そのためには、
どこまでも貪欲に
答えを探しつづけた方がいいのです。

高く、天まで高く
深く、地面よりも深く

答えはここにあるよ、
と囁いてくる誘惑を振り払って
その先に答えを求めるのです。



わたしが次に飛び立つのは
やっぱり答えなんてないと
心の底から認めることができたときのような
予感がしています。


生きながらえている間に
そんな瞬間が訪れたとしたら
それは言われようもない奇跡です。



だからやっぱり今は、
どんなに風が吹き荒れていても
必ず差し込むひかりを信じて
待って、待って、待って、
しがみついていたいのです。


積み木を積み上げる
その繊細な行為に
取り乱して涙する日もあります。


わたしの大切な友人は言いました。

あなたはこれから先もずっと、
不安に、怒りに、やるせなさに
きっと泣いているから
だいじょうぶだ、と。

そうか、
となぜか安堵して
流す涙の温もりを頬に感じた瞬間を
とても鮮明に覚えています。




なんども転んで、
なんども壊して、
なんども飛んでゆきたいと願った1年が
どうやらもうすぐ幕を閉じる頃のようですが


この先の1年もまた
弱さの中に、ひかりを願っていたい。



2024.05.22 →→2024.05.23
早川芽生

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