春ゆらら

桜の花が満開を迎えるのとほぼ同時に
新生活を迎えました。

ふわふわと漂って霞となっている何かのように
なんだかぼうっとしながら
ときおり荷物をどこかへぶつけながら
規則的に刻まれていく時間を吸って
息をしています。



この世界は
説明できないことで溢れているんだと
初めて認めることができた冬でした。

それは絶望に似た闇を抱えるものだけれど
塗りつぶされた黒ではなく
穏やかなひかりが通ることのできる余白が
見え隠れする陰のように見えました。


4月。
冬眠から目を覚ました虫は、
太陽の眩しい光に目を細めるのでしょうか。

実際にどうなのかは分からないけれど
それに似た感覚をひとりで味わっている春です。


ここでは、
世界のあらゆることが次々と説明されていきます。
すべての物事には関係があり、原因があり、
理の上に時間は進んでいくようです。

それはそれは見事です。




ああ、まばゆい。




真っ白な光に、まだ照らされる勇気はありません。

私はどこか少し離れた場所で、
光と、それが当たる空間を見つめています。


ときどき、
ぼんやりと異世界のことをイメージします。

どんな世界かは私にもわかりません。

ここではないどこか、
もう少し正確にいうならば、
こことは違うルールに従って動いている世界。
もしくは、
ルールに従うということが
実現しているのかさえ分からない世界です。


そうするとほんの少し、
体のどこかがぽわあっと熱を持ちます。

言葉が、音へ変わっていきます。
音が、揺れに変わっていきます。

それに気がついた私は、
ほんの少しだけ長い瞬きをします。



目を開いてみます。

さっきまでは意味をなしていなかった音が
少しずつ、関係を、原因を、理を知って
するするすると順番に並んでいきます。

整列はとても鮮やかで
それはそれは見事です。




そうやって日々、
目に見えない何かの際に触れているような気持ちです。

境目に触れる感覚を手放したくなくて、
毎日てくてくと歩いています。

てくてく
とんとん
すたすた
こつん
とっとっ

この世界では、その時間を片道45分というようです。

しばしば、それは長いと思われるようです。


私には
まだその長さはよく分かっていませんが、
一歩一歩踏みしめる足の先に
なにか大切なものが生きているような気がして
毎日てくてくと歩いています。


どこかで、つながりを見つけられる気がするのです。
諦めることは簡単だけれど
諦めてはいけないような気がします。

線を引き、
あらゆる方向へ重ね、
つなぎ、
交わりに点を打ち、
点の周りに輪をつくり、

人と触れ合えるなにかを
刻んでいきたいと
私の未練が叫んでいます。



明日へ。







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