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北極星だけを必死に探しても、流れ星には出会えない。||すれ違う人がもたらす"いま"
過去。
未来。
積み上げ。
将来。
私たちは、時間という概念を自由に行き来して生きているようだ。
Instagramに昨日撮った写真を投稿して「楽しかったな」と感じ、
カレンダーで明日の予定を確認して「明日は何時に起きよう」と決め、
先週見逃したテレビをネットの配信で見て、
将来の夢を考えては悩み、
過去の失敗を悔やんでは、
明日の着る服を迷う。
"過去" や "未来" のことについて "いま" 考えを巡らせ、
それによってしばしば悩んだり迷ったりする。
考えて、
悩んで。
考えて、
迷って。
"いま" じぶんがいる場所から、身動きが取れなくなるような感覚、
この歯痒くて、重たくて、不安な感覚に陥ったことがある人は、少なくないのではないか。
そのとき、"いま" という時間はどこにあるのか。
"いま" は私の過去や未来に支配されて、私の手から離れているのではないか。
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いま、何を思っている?
いま、何を感じている?
いま、何を見ている?
そう問いかけてくれる存在は、私たちの周りにどれだけいるだろうか。
「いま、ここ、私」の存在をそのまま肯定してくれるものは、どこにあるのだろうか。
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2020年3月。
このときのできごとは、多くの人にとって
人生を振り返る上でなにか目印になるものではないだろうか。
少なくとも、私にとってはそうだ。
高校の卒業式は、大幅に縮小された。
その時はまだ、卒業生全員がマスクをつけていることに、その場の全員が違和感を覚えるような頃だった。
何が起こっているのかよくわからないまま、
大学入学にあたって上京した。
上京してまもなく、外出することに疑問が唱えられ始めた。
2週間後には、緊急事態宣言が出され、
文字通り部屋に引き篭もる生活になった。
会話をするといえば、スーパーでレジ打ちをしている店員くらい。
商品を受け取るときの「ありがとう」
散歩中のすれ違い際の「今日はあったかいですね」
公園で目が合った子どもへの「何歳ー?」
暮らしに、ほんの少しの暖かさをもたらしてくれる会話の一つ一つが、
「リスク」になった。
「恐れ」の対象になった。
「迷惑」になった。
人とすれ違うことは最大の危険であり、すれ違う人は脅威になった。
私たちは、すれ違う人を失った。
そして私たちには、明確な目的が求められるようになった。
その強制力は、巨大なものだった。
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意義のある授業だけが大学で行われ、
必要なコミュニケーションだけが対面で行われた。
この力が働いたのは
コミュニケーションの領域だけではなかったように思う。
人間の全ての行動に、「明確な目的」が求められた。
明確な目的を求める圧力は、過去と未来をつなぐストーリーを生み出す圧力となった。
この授業は、対面で行われるに値するものですか。
このコミュニケーションは、必ず対面で行うべきですか。
その行動は、将来じぶんの役に立つものですか。
そのお金は、確実にじぶんに利益をもたらしますか。
この決断は、あなたのビジョンのどこに結びつくものですか。
どういう価値基準で、この選択をしてきたのですか。
これまでの生い立ちで、今の活動の原体験になるものはありますか。
あなたは、何を目指しますか。
あなたは、何者ですか。
あなたは、何者になるのですか。
私たちは、すれ違う人を失い、
綺麗なストーリーと明確な目的に支配された。
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過去から未来へと強く結びついた時間軸の中で、
過去も未来も切り離すことができない "いま" を生きる私たちは、
何者でもない、ありのままの「私」でいることが尋常じゃないほど辛い。
私たちの "いま" が過去と未来との相対関係によって定義されるからであり、
それは、"わたし" が他の人間、組織、概念との相対関係に依存しているからなのかもしれない。
「すれ違う人」を失い、ストーリーと目的に支配された社会では、
その相対関係への依存が強くなっている。
だから、私たちは予測不可能な未来に漠然と巨大な不安を抱き、
今までの自分の行動や性格を他人と比べて極端に落ち込んでしまう。
私たちは、この3年間の間に脅威と化した「すれ違う人」を
今、取り戻すべきなのではないだろうか。
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一瞬、1分、1時間、1日、1週間。
「すれ違う」時間はその状況によってまちまちだ。
「すれ違う」とは、
過去や未来から切り離された "いま" を共にすることであり、
その "いま" を共に過ごした "私たち" がお互いをありのままに認めることだと思う。
その人が今までどんな人生を送っていようが、
その人が将来何をしていようが、
その人の過去の実績が何であろうが、
その人のビジョンが何であろうが。
そんなの、私たちには関係ないよね。
でも、天気が良くて嬉しいね。
でも、落とし物を拾ってくれてありがとうね。
でも、ここで出会えてよかったね。
でも、いっしょに過ごせて楽しかったよ。
もしかしたら、人生の中でもう二度と出会わないかもしれないけれど。
元気に、笑顔で、生きるんだぞ。
「無責任な」言葉を掛け合うことができる関係性が、
「すれ違い」が、
私たちには必要なのではないだろうか。
そんな「すれ違い」を、無限に重ねていくことこそが、
じぶん自身の人生を生きるエネルギーになるのではないだろうか。
![](https://assets.st-note.com/img/1683557436906-E9KqSNXiVT.png?width=1200)
夜空に流れ星が見えた時。
私たちはその一瞬に心を惹きつけられる。
そして、願い事をするかもしれない。
そのとき、その流れ星を隣で見上げている人は、
きっと私と一緒に、ありのままの姿で "いま" を生きている。
「流れ星、見えたね」って微笑み合う。
空には、ほんとうは数えきれないほどの数の流れ星が流れている。
けれど、情報に埋め尽くされた社会の空には、かろうじて北極星が見えるだけだ。
その北極星だけを、無理して追いかける必要はなくて。
むしろ、目印になる星は、空には無数にあるわけで。
過去や未来、そして周囲を憂いていては、無数に流れる星も見つけられないわけで。
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流れ星に願い事をするように、
すれ違う人の幸せを願いたい。
過去や未来に支配された「生きづらい」社会で、
「すれ違う人」を取り戻すことが
じぶんや、じぶんから半径3m以内のところにいる人の幸せをもたらすのではないだろうか。
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この文章は、「#いまコロナ禍の大学生は語る」企画に参加しています。
この企画は、2020年4月から2023年3月の間に大学生生活を経験した人びとが、「私にとっての『コロナ時代』と『大学生時代』」というテーマで自由に文章を書くものです。
企画詳細はこちら:https://note.com/gate_blue/n/n5133f739e708
あるいは、https://docs.google.com/document/d/1KVj7pA6xdy3dbi0XrLqfuxvezWXPg72DGNrzBqwZmWI/edit
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また、これらの文章をもとにしたオンラインイベントも5月21日(日)に開催予定です。
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ご都合のつく方は、ぜひご参加ください。
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