かるたB級止まりだったあの頃のじぶんを、私は超えられるだろうか
初めて会う人と一通り自己紹介して、
しばらく雑談なんかして、
10分くらい経った頃に、こんな会話をする機会が
一気に増えた。
やっぱり、すずちゃんの袴はずるいよなあと思いながら、
こう返す。
競技かるたは、基本的にTシャツとジャージで行う。
膝をこすって札を取るから、ジャージの膝のところに当て布をしている人も多い。
正直、袴のイメージとは程遠いのかもしれない。
『ちはやふる』の映画でも
すずちゃんたちがジャージで練習してる描写はたくさんあるけれど、
あの赤い袴のイメージが強すぎて、
ほとんどの人に「袴着てたの!?」って言われる。
袴かあ、、、
着れなかったなあ。
*
このnoteは、競技かるた部だった私の高校生活と重ね合わせた、
長い長い、自己紹介である。
(「時間ないけれど、最近の私の想いを知りたい」なんていう方がいたら、目次から「かるた部としての高校3年間と、私」へ飛んでください。)
*
00. かるたとの出会いは”たまたま”だった
中学校3年生の秋、
父といっしょに志望校の文化祭を見にいった。
愛知県の田舎町から、名古屋まで。
電車に乗ることも滅多になかったから、正直それだけで緊張してた。
今振り返ると、
あの頃は今以上に、「小さなやりたい」が言えない中学生だったなあ、
と思う。
ここに行きたい、
これやってみたい、
これが食べたい。
引っ込み思案でもないし、アクティブだし、
「気づいたら飛び込んでた」
ってことは、相変わらず当時からたくさんあったけれど、
何かやってみたいことを口に出すのは苦手だった。
文化祭に行ったときも、それを発揮していた。
クラスでつくった催し物、
廊下中で勧誘の声が飛び交うけれど、なんだか緊張して入れなかった。
部活が、同好会が、クラスが、委員会が、
あっちでもこっちでも出し物や展示を準備してたけど
「これ見たい」
ってなかなか言えなかった。
そんな私が、
「お父さん、ここ、入ってみたい」
って躊躇なく言い出した場所があった。
確か、こんな看板を見かけたんだった。
父も、競技かるたに詳しかったわけではなかったけれど
結構こういうものが好きで、ノってくれた。
「体験やってみる?」
って高校生の先輩が聞いてくれたけど
さいしょは緊張して、
「まず見るだけ、、、」
って言って、和室に入った。
あんまり広い入り口じゃなかったけれど、すんなり入れた。
かるたのルールを聞いて、
先輩たちが試合してる様子を見て、
すごく、面白かった。
「せっかくだし、やってみなよ」
って父にも背中を押されて、
体験、やってみた。
わからないことだらけだったけれど、
すごく、すごく、面白かった。
01. 「競技かるた部、入部の理由は「なんとなく」
文化祭で初めて競技かるたに触れてから半年、
私は志望校に無事合格して、部活選びに胸を躍らせていた。
競技かるた、もちろん面白かったけれど
ここに入る!って決めて入学したわけでもなく。
でも家が遠いから、運動部は大変かなあとか
いっぱい興味あるものがあるから、兼部しようかなあとか
体験入部してみて、じぶんなりに色々考えてみて、
競技かるた部に入部した。
今でも理由をよく聞かれるんだけれど、
実はじぶんでもよく分からない。
「なんとなく、ビビッときた」
っていうのが、いちばん近い感覚のような気がする。
02. やるなら、とことん頑張って、楽しむ。
同期で入部したのは、10人を超えていた。
創部してからまだ間もなかったけれど、
それこそ『ちはやふる』の影響もあって人気が高まり出していた頃だった。
その中でも私は、
いちばんやる気があったと、思う。
3年間いっしょにかるたをしてきた同期から、
当時を振り返ってこんなふうに言われることがある。
たぶん、私は「なんとなく」何かをするのが苦手だ。
それは今でも変わってないような気がするけれど(笑)
何はともあれ、
純粋に、真っ直ぐに、「かるたがんばるぞー!」
って意気込んでいた私は、
入部して1週間で札を全部覚えた。
ぜんぜん、苦痛じゃなかった。
負けてばっかりだったけれど
先輩に混じって試合させてもらうようになった。
1年生の中では、ほとんど負けなしになった。
3ヶ月練習して、
初めての公式戦。
トーナメントで4回くらい勝って、いきなり昇段した。
かるたには、段位がある。
剣道とか、弓道とか、書道とか、そういうのと同じ感覚で。
級でいうと、E級から始まっていちばん上がA級。
ただ、その中でも区分が別れていて、初段、弍段、参段、、、という感じで昇段していく。
基本的には、公式戦で規定の成績を収めることで
昇段が認められる。
段位を持っていない人は、
E級かD級の大会に出られるんだけれど、
私たちの高校が初めての公式戦として出る大会には
E級のブロックはなくて、みんな、D級で出場した。
そこで、なんと私は、
準決勝まで進んでC級(初段)に昇段してしまったのである。
ちなみに、創部以来、最速だったらしい。
かるたに関することを振り返ると、
つくづく、私をよく表しているなあと思う。
なんでも一生懸命にやる。
好きなことにはとことん打ち込む。
多くのことに関して、飲み込みがすごく早い。
負けず嫌い。
この全部がつながって、
初めて3ヶ月で昇段っていう結果になったんだろうなって、強く思う。
03. 飲み込みは早い。でも、突き抜けられない私。
このまま頑張って練習して、B級に上がるんだって
心の底から思っていた。
私のかるたの話は、
本当にじぶんそのものだなあって思うんだけれど、
ここから1年以上、C級のままだった。
スランプを挟みながらも、確実に強くはなっていたし、
どんどんかるたが好きになっていた。
けっこう、かるたって奥が深いんだよ。
相手より早く取る。
言ってしまえばそれだけなんだけれど
このシンプルさの中に、ものすごい幅と深さが包含されてると思う。
強くなればなるほど、
さらにその奥が見えてくる感じ。
そして、たまに真っ暗闇の中みたいに何も見えなくなるスランプ。
それを繰り返している間に、
仲間たちは続々と昇段していった。
1人抜けていた同期の間でも、C級横並び状態がつづいた。
別に弱くなっているわけじゃない、
けれど、殻を破れないような感覚。
そうこうしている間に、同期が一人、昇段した。
B級になった。
トーナメントで全部勝って優勝。
文句なしの昇段だった。
04. 団体戦って、面白い。
この辺りの頃だったと思う。
個人としては、もがいて苦しかったけれど
団体戦が、楽しくなってきた。
かるたには、個人戦と団体戦がある。
個人戦は、その名の通り、一対一で勝負するもの。
一方で団体戦は、1チーム7人で戦う。
7人のうち5人が試合に出て、それぞれが同時に一対一の試合をする。
そこで、3人以上勝ったチームの勝ち。
すごく珍しい団体戦の形だと思う。
剣道に少し似ているけれど、剣道は一人ずつが順番に戦う。
かるたは横並びで同時の試合。
でも、試合自体は一対一。
はじめは、単純に1×5みたいなものだって思っていた。
だから、やっぱり個人の力が強いチームが勝つんだって。
でも、そんなに単純な話じゃなかった。
個人戦は、あくまでも自分が勝たないと意味がない。
けれど、団体戦は3つ勝てばいい。
そして、3つ勝たないといけない。
1人で1つの勝ちを取りにいくのと、
5人で3つの勝ちを取りにいくのとでは、
まるで違った。
それを教えてくれたのは、高校のOBの方だった。
仕事の合間をぬって、たまに練習に付き合ってくださっていた。
体は大きいし、強いし早いし、なんだか少し寡黙だし、
正直、さいしょはすごく怖かった。
(初めて試合をしてもらった時の緊張といったらありゃしない)
けれど、なぜか私たちの代は、その方にすごく懐いた(笑)
その方が練習に来るってわかったら、みんなで飛ぶように喜んだし、
対戦相手は取り合いになった。
たしかに、かるたをやっている姿は怖く見えるかもしれないけれど
ものすごく愛のある方で、
優しくて、おもしろい。
実は、個人的に今でもやりとりがつづいている。
その方が、私たちに団体戦のやり方を教えてくれた。
攻め方も守り方も、札の置き方も、送り札の選び方にも
団体戦ならではの戦い方があった。
これが、すごく面白かった。
くどいけど、やっぱり
自分の性格が出てるなあと思う。
たぶん、私はチームスポーツの方が好きだ。
でも、自分のペースはある程度自分で作りたいタイプでもある。
(すごく厄介なのです)
かるたの団体戦は、隣にチームメイトがいて、
呼吸とか掛け声とかアイコンタクトとかで
いっしょに戦略を立てていくことができる。
でも、いざ読みが始まったら、そこからは頼れるのは自分の力。
どこを攻めるか、どこを抑えるか、
自陣には何があるか、相手は何を狙っているか、
そこを自分の頭と体で考える。
そして、一緒に喜んで、お互いに励まし合って、
また次の一枚に向かう。
団体戦において、
5人で戦略を立てて、5人で3つ取りにいくのは
言葉にするほど簡単じゃない。
一枚一枚札を取りにいく力がないのなら、
戦略だけじゃ、なんの意味もない。
個人で戦うのもいっぱいいっぱいなのに、周りをみる余裕も作らないといけない。
すごく、難しい。
けれど、すごく、楽しかった。
05. 2年生の夏。全国へ。
同期が一人B級にあがって
後輩が入ってきて
それでも私はC級のままで。
そんな中で、高校生選手権の時期がやってきた。
かるたの聖地・近江神宮においての大会。
そして、団体戦の高校日本一を決める大会。
団体戦は、各県から基本的に一校のみ出場できる。
その出場をかけた県予選。
先輩なら一勝取ってくれるっていう安心感も、
自分が相手校の主将と当たったときの緊張感も、
仲間と一緒に試合ができる喜びも、
ぜんぶが楽しくて、最高だったのを覚えている。
私たちの高校は県予選を勝ち抜いて、愛知県代表になった。
だけど困ったことに、
全国大会の日程が、希望者が参加する学校の海外プログラムの日程と重なって。
このプログラムも、入学する前から知っていて
行きたいなあって思っていたものだった。
高校生活で一番と言ってもいいかもしれないくらい、
ものすごく、悩んだ。
欲張りな私らしい、悩みだったと思う。
部活に打ち込んでも、その他のことにも力を注ぐ
そんなバランス感覚みたいなものは長けているのかもしれないな、
なんて今振り返ってみても思う。
けっきょく私は、
海外プログラムに参加することを決めて
ケンブリッジ大学に研修に行った。
部活のみんなに言い出すの、けっこう勇気がいったけれど
なんだかあっさり受け入れてくれた。
仲間には、ものすごく恵まれてたなって、思う。
06. B級昇段
全国大会の結果は、1回戦突破、2回戦敗退。
頼もしい仲間と、来年もぜったいに全国に行くって決めた。
そのためには、個人の力も、もっともっとつけないといけない。
そろそろ、B級に上がりたい。
だんだん、B級の選手とも戦えるようになってきたころだった。
今回こそは昇段するって思って
昇段できなかった試合は何回あるだろうか。
トーナメントだから、負けたら即、おしまい。
勝ち残っている部員のサポートにまわっていくことになる。
このときの、試合のできないもどかしさ、悔しさや、
試合をしている仲間への応援の気持ちと羨ましさが混ざる感情は
もう複雑すぎてなんとも言えない。
そんな大会を経て、
2年生の冬、京都まで遠征して出た試合で優勝した。
やっと、B級に上がった。
一足先にB級になっていた同期は、
このころ、B級の大会でもいいところまで勝ち上がるようになっていた。
07. もう一度、全国へ
私は間違いなく、このころC級では強い選手になっていたけれど
まだB級で戦える力は持っていなかった。
競技かるたには、「畳の上の格闘技」という別名(?)がある。
なんだか強そうだけど、
でも実際そうだと思う。
知力。体力。精神力。忍耐力。そして勝負強さ。
ぜんぶ、必要。
それを一つずつ、ぜんぶ磨いていって
ぜんぶの歯車を緻密に合わせるようにして
一つずつ、ステップアップしていくのが
「かるたが強くなる」っていうことなんだと思ったけれど、
B級に上がってからは特に、
その楽しさ、そして、大会で勝つことの難しさを痛感していたように思う。
個人戦では、3年生最後の大会まで、一度も勝てたことがなかった。
けれど、相変わらず団体戦は楽しかった。
それぞれの力がついてきて、それぞれの性格や戦い方の違いもわかってきて、
お互いが自信と信頼を積み上げて行った先の県予選。
2年半、一緒にがんばってきた仲間と共に、
私たちの高校は再び、愛知県代表になった。
08. 待ちに待った全国大会
2年生のころから、私は実力はチーム2番手だったけれど
なんか、全会一致で部長で主将になっていた。
部長とか主将とかを決めるとき
ってみんなに言われた。
私?って感じだったけれど
たぶんみんなが言うからそうなんだろうって。
私は、力で引っ張っていくリーダーは向いてないと思う。
けれど、理由なく「好き」とか「楽しい」とか「頑張る」とかで
突き進めるタイプ。
それが、1人で突っ走るんじゃなくて、
なんだかみんなを一緒に走らせてしまうような何かがあるらしい。
最近、ようやく分かってきた。
それが実現するには、そんな私と走ってくれる仲間が必要なんだけれど
私は生まれてこの方、仲間に恵まれすぎている。
そう思う。
そんなこんなで主将の私は
大会の前日にある開会式と組分けに参加した。
組分けでは、
大会のトーナメントと会場がくじで決められる。
高校生最後の大会で、私はすごいのを引いてしまった。
初戦からいきなり、近江神宮 近江勧学館・浦安の間(決勝戦を行う会場)での試合。
そして、対戦相手は、まさかの前年度優勝校。
珍しく弱気な私は、ちょっとだけ泣いた。
今までがんばってきた仲間に申し訳ないって思った。
一緒に来ていた後輩に、励まされていた。
次の日、会場入りした部員たちは、頼もしかった。
「私に聞くまで知らなかった」
なんていう芝居を打ち出したのである。
私は単純だから
本当に知らないのかと最初は信じ切っていたんだけれど(笑)
もちろん、みんな事前にネットで知っていた。
それでいて、
とか
とか口々に言ってる仲間を見て、ああ大丈夫だって思った。
結果から書こう。
私たちは負けた。
2-3だったから、私が勝っていれば、チームも勝っていた。
そんなことを言っても仕方ないのだけれど。
私たちの高校の勝ちはどちらも
相手のA級選手から奪ったもので、すごく、かっこよかった。
私は、段位は相手が格上だったけれど
同じB級選手に負けた。
4枚差だった。
すごく、悔しくて
一回戦なのに、たぶん引くくらい泣いた。
たぶん、他の高校が引くくらい、
私たちの高校の部員は泣いた。
すごく、悔しかった。
けれど、全力を出せて、清々しくもあった。
そして何より、
大好きなかるたを、大好きな団体戦で、大好きな仲間とともにできて
すごく、楽しかった。
ちなみに翌日の個人戦は、
なんとか1試合だけ勝った。
逆に言えば、2回戦で負けた。
後悔は何ひとつもなく、3年間やり切った私の実力はここだと、思った。
かるたの大会には、さいしょに少し書いたように
基本、Tシャツやジャージで出る。
でも一部の大会では、
A級の試合だけ和装規定があることがある。
つまり、袴を「着ないといけない」。
高校生選手権には和装規定はないのだけれど、
とにかく、私は高校3年間では袴を「着れなかった」人。
特段、袴自体にこだわりがあったわけではないけれど、
でも、A級になるっていう夢は、最後まで捨ててはいなかった。
だから、初めて競技かるたのことを詳しく聞く人に
「袴着てたの!?」
なんて聞かれると、ほんの少しだけ、苦いような苦くないような味がする。
袴かあ。
着れなかったなあ、、、
かるた部としての高校3年間と、私
ここまで何回も書いてきたけれど
やっぱり、
かるた部としての高校3年間は、私をすごくよく表しているように思う。
やると決めたら全力でやる。
大抵のことは、すぐに飲み込んでコツを掴む。
友だちが大好き。
気づいたら、素敵な仲間たちに恵まれている。
頭と体を、同時に動かす。
始めるときもそうだった。
私は、「決断」とか「決心」とかすることなく、
「なんとなく、ビビッときて」
かるた部に入った。
自分との相性の良さを察知して、
その環境にすぐに自分の身を置ける力。
私には、何かに突出した天性の才能なんてないと思っているけれど
こういう力はすごくあると思う。
飲み込みの早さも相まって、
”そこそこ” のところまでは達するのは早い。
すぐに、C級に昇段したように。
そこからがんばってB級まで上がって、
でも高校3年間ではそこまで止まりだった自分。
その頃のじぶんと、今のじぶんが
ものすごく重なって見えるときがある。
”B級止まり” だったあの頃のじぶんを、私は超えられるだろうか
コロナ禍とともに東京大学に入学してからというもの、
私はこの2年半、とにかく突っ走ってきたように思う。
キャンパスに通うことができなくなって
想像していた大学生活とは全く違ったけれど
オンラインでできるサークル活動に打ちこんだ1年生。
リモート授業だからってパソコン持って、
地域に飛び込み出した2年生。
大学を飛び出して地域社会に出ていくと、
そこには見たこともない世界が広がっていた。
すい込まれるように、その世界を駆け回って。
たくさんの人に出会ったし、
たくさんのことを知ったし、
たくさんの自分に気づいた。
ビビッときたものに飛びつく、
とにかく、全力でやってみる。
その性格はいつまで経っても変わらないのかなと思う。
誰かが言い出してくれたことに乗っかって、
クラファンでお金を集めて本をつくった。
クラファンで、さらにたくさんの人と出会った。
その人たちに会いたいから、
まだ知らないたくさんの地域を知りたいから、
旅しようって思った。
東大。理系。3年生。
ただでさえハードなスケジュールと両立できる未来が見えなかったから
大学を休学した。
いろんなところを、
ご縁とタイミングをだいじにしながら、飛び回ってきた。
どこにも「決断」なんて仰々しいものはないし
どこにも「なんとなく」生きた時間なんてない。
こうして、
いろんなことを吸収して
いろんな地域で友だちをたくさん作って
「何か」に近づいている感覚がある。
このまま頑張ったら
なんとかなるような気がする瞬間もある。
でも、ここで慢心したら
またB級止まりだ。
B級でまともに勝てなかったあの頃の私と、
たぶん、今の私は同じところにいる。
B級にすら上には上がいて、
A級なんてもってのほかで、
A級の中でも、計り知れないくらいに上には上がいる世界。
私には、まだ見ることのできていない世界が
果てしなく広がっている。
それを、見てみたい。
ここでしているのは、
誰かと比べて勝つ負けるとか
強い弱いとか、そういう話じゃない。
もしもパラレルワールドがあるならば、
未来の自分がどんな世界を見ているのか。
できることなら、より広い世界を見てみたい。
ただ、それだけの、シンプルな話だと思う。
あの頃のじぶんが超えられなかったもの
今までのままの自分だったら、
B級止まりの私を超えられないと思う。
そこからさらに先に行くために、
超えないといけない壁がある。
そしてその壁を、今なら超えられそうな気がする。
高校3年生の夏、今からちょうど3年前。
かるたは大好きだったし、
何ひとつ後悔はなかった。
けれど、あのときの私は
「自分の武器」をきちんと信じることができていなかったように思う。
小柄の私は、
とにかく素早く、そして潜り込むように
敵陣を攻めるのが得意だった。
でも、それを磨き切ることができなかった。
自分のやり方ではダメだ。
けっきょく、天性の才能なんてないし。
けっきょく、最後はすばしっこさに任せたスピード勝負だし。
これだけじゃダメだ、これだけじゃダメだと、
自分にはできない他の人の技を盗もうと練習した。
戦略も、取り入れられるものは取り入れようとした。
それが間違いだったとは思わない。
自分に足りないものを、人をみて補っていくことはすごく大事だ。
けれど、自分の得意を
自分だからできることを信じ切ることができなかったな、と
今、思う。
私だから、できること
だから、そんな自分を、超えてみたいなと思う。
そして、超えられるかもしれないとも思う。
「私だからできること」を磨きたい。
そう思う。
今までは、楽しく充実した毎日の中にも
少しだけ後ろめたさがあった。
東大には、私よりも論理的思考力に長けた人がゴロゴロいる。
地域には、私よりも突拍子もない生き方をしている人が山ほどいる。
それに比べて自分は、
面白いのか面白くないのかよくわかんないな、
中途半端なのかな
って思ってきた。
でも、この1ヶ月くらいで、その感覚が変わってきた気がする。
別に学問の頂点に立つ必要はないと思う。
そもそも、寡黙に学問を極めることが得意じゃないから。
別に、誰も見たことのない生き方をする必要もないと思う。
根はマジメだから、「堅実さ」も混ざった生き方の方が居心地がいい。
けれどこれからは、
ひたすらにポジティブに、アカデミックと現場の間を行き来したいと
思えるようになってきた。
そのように生きる人たちと出会う回数が
多くなってきたからかもしれない。
その生き方が自分に合っているなと、実感するようになった。
二つの間でいい感じにバランスを取るのではなく、どっちにも振り切る。
私の得意な「とにかく全力でぶち当たってみる」をここで生かす。
そして、ヒントが一つある。
それは、私が個人戦よりも団体戦の方が好きだったということ。
1人で1つ取るのと、5人で3つ取るのとでは全く違う。
そして多分、私は後者の方が好きで、得意だ。
なんだか分からないけれど、
私はものすごく、周りの人に恵まれていると思う。
自分ひとりで何とかできることなんて、ほとんどないけれど、
周りにいる、リスペクトできる大好きな人たちと一緒なら
できることがたくさんあると思う。
だから、進みたい方向が少しだけ見つかったなら、
周りの人たちを巻き込んで、周りの人たちに巻き込まれて
自分は、じぶんの得意なことを磨いて、
走っていこう。
誰に宣言するわけでもなく、そう思う。
私の性格とかこれまでの人生とか
そういうものを見事に表しているような
競技かるた部での3年間。
ものすごく楽しかった高校の3年間で、私は "B級止まり" だった。
あれから3年経って、
これまでにないくらいの経験をして
これまでにないくらい考えて
少しずつ、自分との向き合い方も覚えてきた。
*
そんな私は、B級止まりだったあの頃を越えられるだろうか。
越えてみたいなって、思う。
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