弱さの中に、ひかりを願っている

信州の冬は、さむい。
じわじわと、痛い。
そして、白い。

山のてっぺんも、道路の真ん中も、枝の先も、
吐息も、ガラスも、遠く先の空気も。

「寒さ」にもいろんな種類があるんだと知ったのはつい最近のことだ。
この世界には肩をすくめるような寒さだけじゃなくて
遠くから遠くから、
じわじわと冷気が伝わってきて
気がついたら
からだを動かす熱はどこかへ出かけてしまっている、
そんな寒さがある。

今、暮らしているまちよりも
ずっとずっと寒いまちは世界中に数えきれないほどあって、
エアコンもこたつも灯油も、
ヒートテックも使い捨てカイロもなかった時代を
どうやって人類は生き延びてきたんだろうかと
時折、本気で考えている。


太陽の光。

ひかりというものは
頭の上から降り注いでくるものだと、ずっと思っていた。

明るく。
そしてつよく。

誰にも文句を言わせないくらい強く。
明るく。
ずっとずっと、光は私の頭上から降り注いでいた。

そこには当たり前のように影があり、
陰があった。

便利に、賢く生きるために
じぶんの大切なものが陰の中でしか存在できないことを
当たり前だと諦めていた。

諦めるより前に、
意識すら、していなかったかもしれない。


「みんな」が求めている、より明るい光を目指して
がんばってがんばって、歩いてきた。
自分には眩しすぎる光も、ためらうことなく浴びてきた。
たぶん。


飛んで火にいる夏の虫。


明るくて強い光は
多くの人の心を惹きつける。

そして、たぶん、
がんばって、がんばって、
人間の脳みそをたくさん使って
人間の体力をたくさん使った先には
より、明るくて強い光を手に入れることができる。

たぶん。



冷たくて痛い、真っ白な信州の冬でひとり。
毛布と布団にくるまって過ごす夜は
世界にひとりぼっち。
と思わせるのに十分だ。

私は、いとも簡単に世界にひとりぼっち。になる。
なってしまう。


そんな夜にふと舞い降りてきたのは、
世界にひとりぼっち、な私が必要としているのは
明るくて強い光なんかじゃない。

そんな、誰にも感動を与えることはないだろう、
ちっぽけな感情だった。

必要なのは、
不器用で、弱くて、ゆらめいて、柔い、
小さな、わずかな、かすかな、
一粒のひかりだ
とおもった。


耳を澄ませば聲さえ聞こえてくるような、
凸凹で、不器用で、よちよちと人生を歩く、そんな人柄がありありと見えるような、
大きな声で話しかけると、息で吹き消されてしまいそうな、
そんな一粒のひかりだ。


それを一粒一粒ひろって、かかえて、大事にだいじに生きていくことは、
勇気だともおもった。

私には、その勇気が出せるだろうか。


私たちは弱い。
弱くて、ぜんぜん大丈夫じゃなくて、きっと苦しい。

そんな弱さを、別にどうするでもなく抱きしめて、
じぶんの内側に、ポッと灯る小さな小さなひかりを
明るくて強い光に照らされて見失いながら
強い風にあたりながら
じぶんのため息に吹き消されそうになりながら

それでも、ほんの一粒だけでも、
拾い集めて暮らしていく勇気だ。


ひとりぼっちの夜がだんだんと明けていく時間に
その勇気を、出してみたいと
私の弱さが必死に訴えかけてくれている。


小さなひかりの粒を抱えて暮らしていく方法を
私はまだなにも知らない。

誰も正解なんて知らないだろう。


いや、どうか、知らないでいてほしい。
「方法」は、明るい光の大好物だ。
すぐに照らされて、
きっと、たくさんの人がひかりのたねを見失ってしまう。


音楽。
ことば。
映像。
ものがたり。
笑顔。
ごはん。
桜吹雪。
大花火。
紅葉。
雪化粧。


あの、ときめきというのか、喜びというのか。
じわぁっとして、ふわふわして、どきどきして、ぐらぐらして、
自分の境界線が視線の遠くまで飛んでいってしまうような感覚。

そこには、ひかりのたねがある。
そう、勝手に信じている。


たくさんの、愛おしい人のひかりに
そおーーっと触れながら
小さな小さな隙間をかすかに照らしながら
暮らしていきたい。

そう、願っている。



3月には、人生で2回目の上京をすることになります。

初めての上京から4年。
漠然と、明るい光を求めていた4年前の自分へ。

光をたくさん見て、たくさん浴びて、
ときに大きな影の中に入って、暗い陰を感じて、
少しずつ、少しずつ、
「ひかり」と「かげ」に数えきれないほどの種類があること、
見つめてみてください。

きっと大丈夫。


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