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文学的思考のすゝめ ~シンプルが本当にいいのか~

「ロジカル○○○」。多くの学生や社会人がよく聞く単語だろう。私たちは「ロジカルに話し、書き、考えること」を求められることが多い。非常にシンプルなフレームワークで、視覚的にも表現しやすい。そのため、コミュニケーションコストは低くなりやすく、認識の齟齬が生まれにくい。

それらと関連した「システム思考」というものが存在する。「ロジカルな世界」では因果関係、特に2変数の直接的な因果が語られることが多いのに対し、システム思考では各要素の関係をシステムとして捉える。

私が本記事のテーマとしたいのは、これらと
は異なる。
「文学的思考」だ。「ストーリー思考」とも言えるかもしれない。
物語を紡いでいくように、詩を詠むように考える思考のことだと思っていただきたい。

ロジカルに、システム的に考える(図で簡潔に表現できるように考える)のではなく、物語を語っていくように話し、書き、考える。

この思考では、他の思考で削ぎ落とすような情報をあえて削ぎ落とさず、逆に要点となるようなことを削ぎ落としたりする。
メッセージは明確でなくてもいい。余白のあるような思考といえる。

「伝わる」よりも「考えさせられる」、「心が揺さぶられる」ことに重きを置く。骨組みではなく、建物、いや木々を含めた家のストーリーを伝えていく。

この思考はビジネスとの相性が良いとはいえないだろう。まわりくどく、解釈の分かれやすい思考だからだ。けれど、根拠はないながらも信じている仮説がある。
「工夫のない話は3流、論理的で明確に伝わる話は2流、ストーリ的で心を揺さぶる話は1流」
というものだ。
特に周りで人を動かす、つまり心を動かすリーダーは最後の1流であることが多いと感じている。

私がこのような考えに至ったのは、村上春樹さんのエッセイ『職業としての小説家』を学生時代に読んだのがキッカケになっている。
きっかけとなった文章は次の文章だ。

小説を書くーあるいは物語を語るーという行為はかなりの低速、ローギアで行われる作業だからです。
……
自分の頭の中にある程度、鮮明な輪郭を有するメッセージを持っている人なら、それをいちいち物語に置き換える必要なんてありません。その輪郭をそのままストレートに言語化した方が遥かに早いし、また一般の人も理解しやすいはずです。

なぜかこの文章は何年たっても頭から離れなかった。私にはどこか腑に落ちる話だった。それは「まわりくどくて、メッセージを明確に受け取りにくい、物語」に私が心動かされることが多かったからだった。

ミニマリストや断捨離という言葉もあり、シンプルが良しとされることが多いけれど、たまには複雑で余計な飾りが多いもの良いかもしれない。

シンプルではない、
文学的思考のすゝめ。

(終)

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