『はちみつレモンソーダ』
『今年の暑い夏にはコレ!「蜂蜜」がオススメなんです──』
とある夏の暑い日。冷房の効いたシェアハウス共有のリビングで誰かがつけっぱなしにしていたテレビからはそんな言葉と軽快なBGMから始まった特集が流れていた。蜂蜜は実は熱中症対策には最適な食材でカロリーも砂糖に比べ低く、更に健康や美容にも云々と映像と共にその効果を解説するもので、実際どの程度それが正しく効果があるのかは分からないもののアナウンサーと料理研究家という人物が実演で「簡単!手作りはちみつレモンソーダ」なるものを作り始めた時には何となく心惹かれてレシピをメモしてしまっていた。
しかしそんな何気なく目に止まったから、と言うレシピのメモなどその日の夜には既に頭から忘れてしまっていて。そのメモの存在を思い出したのは数日後の蜂谷との買い出しでその黄色い果物を目にした時だった。
「あ、」
「どうしたの?伊代田くん」
「んー.......あのさ。蜂蜜とかレモンって、苦手だったりする?」
「大丈夫だよ」
「そっか。じゃあさ」
ちょっと作りたいものがあるんだけど。目の前にあるレモンを見て思い出したレシピ。一度思い出せば途端に飲みたくなってきてしまい、許可を貰っていくつかのレモンとはちみつ、炭酸水をカゴに入れそれから本来の目的である今日の夕食の材料を買い求めた。カゴに入れた材料を見て察したのか、なんだか珍しいね、こう言うの買うの。なんて蜂谷は笑っていてそれに笑い返しながら飲みたくなったきっかけを俺は話し始める。
「へー、熱中症対策か〜」
「まあ対策が目的っていうか.......」
「ていうか?」
「あーーー、いや、うん、何でもない」
「えー気になる」
「ないしょー」
「えー」
飲みたくなった理由があまりに女々しくてないしょ、なんて言葉で誤魔化す。蜂谷は少し頬を膨らませ拗ねたポーズをとっているが本気で聞き出そうとしている訳では無いようですぐに楽しみ、と笑った。
買い物袋をそれぞれ持って蝉の鳴き声を聞き流しながらシェアハウスに帰れば2人ともそれなりに汗をかいていて、冷たいものを飲むには丁度良いと早速メモを取りだし作ることにした。炭酸水や夕食の食材を冷蔵庫に移してくれている蜂谷を横目に見つつ手を洗い、袋の中からレモンを取り出す。1つはよく洗い薄くスライスした後種を避け、もう1つは半分に切った後果汁を絞り出して同じく種を取って少し深めの小皿に移す。と、作業の終わった蜂谷から視線を感じて顔を向ける。
「なんですか」
「なんでもないです」
「そんな見られると穴が空くんですが」
「いいじゃん。俺、伊代田くんが料理してるとこ見るの好きなんだ」
「料理、って程のことしてないですよ」
「さっきからなんで敬語?」
「.......ないしょ」
「えー、またそれー??」
「もーいいじゃん!そろそろ終わるから大人しく見てればいいだろ」
はーい、とお行儀のいい子供のような返事をとなりで聞きつつ作業を再開させる。と言っても本当にあと少しで、先程のレモン汁に蜂蜜を適量混ぜてから電子レンジで20秒程加熱しグラスふたつに出来たばかりのそれを均等に流し入れ、氷をたっぷり入れたらスライスしたレモン数枚と本当はミントの葉があると良いらしいのだがそんなものをわざわざ買うのも面倒でやめて、冷蔵庫から少し冷えた炭酸水を持ってくる。もう少し冷やした方が美味しいのだろうがこちらも喉が限界だし氷も多めに入れたからそのうち冷えるだろう。プシュ、と蓋を回して炭酸の抜ける音を聞く。そのままグラスにゆっくり注げばグラスの中の蜂蜜レモンが炭酸水に溶け、底から上の方へと綺麗な黄色のグラデーションが出来上がって氷がカランと涼しい音を立てて完成を伝えた。横を見ればキラキラと輝く瞳。それを視界に入れた途端、すこし落ち着かなくなって滅多にないわりと手間のかかった飲み物に折角だからと、先日シェアハウスメンバーでお揃いで買ったコースターを使う為に蜂谷に出来上がった物を自分の部屋へ持って行くように促し先に向かわせて、自分はふたり分のコースターを持ってこもった熱を冷ますように息を吐いた。
あのキラキラ輝く瞳は緊張して落ち着かない。今日は特に。その理由などとっくに分かってはいるのだが本人に伝えるには羞恥心が邪魔をして誤魔化しばかり口にしてしまう。深呼吸して心臓を落ち着かせ、自室への階段をあがる。部屋に入ればまたキラキラした瞳と笑顔にぶつかり視線をうろつかせながら自然を装いコースターをグラスの下へ潜らせた。コースターに気付いた蜂谷があ、と口を開く。
「これ、この間皆で買ったやつ?」
「そ。さっき思い出した」
「いいね〜夏って感じ!」
「ステンドグラスみたいで綺麗だよな、このガラスのコースター」
揃いで買ったコースターはステンドグラスの様にガラスを貼り合わせたようなデザインで、白い縁取りに色味のすこしずつ違う水色が合わさって夏らしいと思う。その上に黄色のグラデーションが鮮やかなはちみつレモンソーダのグラスが合わさればちょっとしたカフェのメニューのようにも見えないことも無い。まだレモンも残っているので後でシェアハウスのみんなに披露したら喜ばれるだろう。などと眺めていればまた蜂谷からの視線。今度は何だと見返せばグラスを退かしコースターを俺との間に持ってなにか見比べる仕草をしたと思えば合点がいったというように頷いて綺麗に笑ったその表情に目を奪われる。
「そうだ、これ買った時からずっと何かに似てるなって思ってたんだけどやっとわかった」
「え?」
「伊代田くんの目にそっくりだなって」
「は、」
おまえ、なにいってんだ。呆然と呟けば自分の中でのもやもやを解決できたせいかこちらの様子など気にもせず満足気な蜂谷が、でも伊代田くんの目の方が綺麗だけどね。なんてまた爆弾を投下してきて。本当に、勘弁して欲しい。そんなことをお前が言うから、言うつもりのなかった言葉が口をついて出てきてしまうだろう。
「.......おれも、この蜂蜜の見た時」
おまえのキラキラした目に、似てると思ってた。なんて乙女チックな理由で何となく目についたからと誰に言うでもなく言い訳しながらわざわざレシピをメモしていたことなど、言うつもりはなかったのに。ああもう、恥ずかしい。じわじわと頬が熱を持っていくのがわかる。耐えきれずやけくそ気味にほら、味が薄くなるだろ!と叫んで若干溶けかかった氷と結露で汗を流すコップを掴みストローでぐるぐる混ぜて下の黄色を炭酸水に溶かして口付ける。熱を冷ます為に飲み込んだそれは存外美味しくて、驚いた。新鮮なレモンの酸味と、ふわりと鼻を抜ける蜂蜜特有の香りと甘み。ぱちぱちと口の中で弾ける炭酸が程よい刺激となって、確かに。熱中症対策にはぴったりかもしれない、やはりテレビの情報も馬鹿にならないと思い直す。やっと心が落ち着いたところで向かいの蜂谷に目を向ければ同じようにストローで混ぜて口に運んでいたようだった。若干伏せられた瞳に睫毛が影を落とす。その瞳があまりに、
「──綺麗」
「うん、綺麗だね。蜂蜜の色かな?レモンの方?」
「ああ、いや、どっちもじゃないかな。混ぜてるから」
「そっかあ」
お前みたいに、綺麗だと思ったのは瞳の方だと言うのは恥ずかしいし何故だか勿体なくて言えなくて、自分だけのものにした。蜂谷の笑った顔がいつにも増して甘ったるく感じて、蜂蜜みたいで。次にふたりで飲むときだけはレモンを多めにしようと勝手に決めた。
すこし酸っぱいくらいがきっと丁度良い。
3053字
2021.08.04.