『行方は、』 前編

鳴り止まない心臓、

滲む汗、

近い、関係


この心の行方は、



『伊代田くん?』

『はち、や』


大学1年の今年の春。大学の敷地の広さが見慣れてきて、生活にもそれぞれ自分のペースが出来上がってきた頃。唐突に迎えた淡い初恋との再会は只々驚きにみちていて。甘く柔らかそうな昔とは違う蜂蜜色に染められた髪に、昔と変わらぬ髪と揃いの色の瞳を視界に映してからというもの自分の記憶がひどく曖昧で朧気で、正直蜂谷には申し訳ないとは思うけれどその後の会話など何を話したのかろくに思い出せないくらいだった。でも一つだけひたすらこれだけは心の中で唱えていたように思う。

だいじょうぶ、会って話すのなんてせいぜい今日くらいだ。もう好きになったりしない。

それだけは頭に巡らせて決意していたのに、何を思ったのか蜂谷は同じ講義の時は隣に座っていい?なんて笑って椅子を引いては隣の席に腰を掛け、授業の空き時間にばったり会えば伊代田くんなんて話しかけてくる。講義の後が昼頃であればご飯一緒に食べようよと蜂谷とその他数人の同級生とで食堂に向かう。その表情は嬉しそうでまるで友人の様で。小学生の頃に蜂谷と友達になりたかった自分のきらきらとした感情が、中学の頃蜂谷のいるグループと距離が近くなる度にちらりと笑顔を盗み見ていたあの頃のつよい憧れと淡い恋慕が。折角やっと諦めたのによみがえってしまいそうで、こわくて。

『きみ、足はやいね!』

それでもあの日の言葉も笑顔も胸の高鳴りも、忘れられるはずがない。いっそ笑えてしまうほど今日もまた蜂谷を拒めず俺はひとり空まわる。今までに一度だってなかった近い距離に溺れて、窒息しそうだ。


まるで、枯れた花に大量の雨が降ってきたみたいに。



「伊代田くーん、お昼行こ」

「ん、ちょっと待って」

そんな蜂谷の態度にも数ヶ月経てば随分と慣れ、友人と呼べる距離感にも違和感を覚えなくなった近頃。ふたりで行動することも増えてきた俺達は周りから見ればニコイチらしく。自分がそう言われるほど蜂谷と一緒にいた気がしないし、きっと俺よりも仲のいい友人なんて沢山いるのに。よくわからないなと考えながら安くて特に美味しいと評判の日替わり定食の食券を買う。それから軽く辺りを見回せば人はそれなりに多いものの席がなくて困ることは無さそうだった。

「蜂谷、決まった?」

「うん。俺も日替わりにする」

「やっぱ美味いよな、日替わり」

「ハズレがないよね」

なんて話しながら食券を渡し定食を受け取る。空いている席に腰を落ち着け食堂のざわめきの一部になれば後は食べるだけ。いただきます、と二人揃って手を合わせ俺はさっそく目の前のチキンカツを口に運ぶ。さくり、小気味いい音と共に口に流れてくる強烈な熱。完全な不意打ちに舌を見事に焼き思わず叫んだ。

「あっつ!え、は!?やば、」

「うわ、どうしたの?猫舌だったっけ」

「いや違う。このチキンカツが見た目のわりに熱すぎる」

「えー?そんな風には見えないけど」

「蜂谷も早く食べて舌を火傷しろ」

「ひど〜……あつっ、これ確かに想像以上すぎる」

「だよな」

チーズのせいか〜でも入ってると美味しいね、と笑う蜂谷の笑顔を眺め同じく笑顔を返しながらも本当に近くなったものだと思う。諦めた途端手に入るこれを、どうしたものかと持て余している自分は傍から見れば滑稽だろうか。想像してすこしにがくなった。でもまあ美味しいものに罪はなく。料理は熱いうちにとそれからはぽつぽつと話しながらも言葉少なく昼食を食べ終え食堂を出る。これから次の授業までの空き時間に何をしようかと考えていれば上着のポケットを探っていた蜂谷がスマホ忘れた、と笑って引き返して行った。テーブルには無かったからどこかへ落としたのかもしれない。

出入口付近で邪魔にならないように壁に寄りしばらく待っているとふいに笑い声が聞こえた。顔を向けると無事スマホを見つけられたらしい蜂谷と蜂谷と同じ学部らしい数人が話しているらしい。またひとつ笑い声が響くのを聞きながら意味もなくスマホを弄る。こうしていてやっと本来の距離を思い出すのだから、ずいぶんと自分は今の距離を自然に思っているらしい。どうして今まで話さなかったのかと疑問に思うほど会話が楽しくて、気が合って、ふとした無言すら気まずくなくて。───昔からこうだったら、俺は。

「ねえ伊代田くん聞いてよ、」

「っ、え?」

思考にとらわれていたせいか、どうやら友人と別れこちらへと向かっていたらしい蜂谷への反応が遅れた。するり、肩に腕を回され思わず固まる。そんな俺の反応に気が付いていないのか気にしていないのか蜂谷は先ほどから何事かを楽しそうに話している。それに辛うじて返事を返しているものの頭の中はぐらつき、話など右から左に流れていってしまう。頭が少しでも冷静になればと、そっと吐いた息が震えているのが嫌でもわかって思わず心の中で言い訳する。距離があまりにも近いから、こんな風に肩を組むようなスキンシップはあまり経験がないから、だからこれは戸惑っているだけ、で。ふいに顔をのぞき込まれ目が合う。

「あれ伊代田くん顔赤いよ?」

「こ、れはその……暑くて」

「あーここ空調効きすぎてるもんね」

心臓が、とまったかとおもった。ああともうんとも聞こえる曖昧な頷きを返して、できうる限り自然に見えるように肩にかかった腕から抜け出して口を開く。口角をあげる。

「悪い、次の授業変更で部屋遠いんだった。先行くわ」

「そっか~残念。じゃあまたね」

「おー」

ごく自然に振舞えただろうか。足早に立ち去りたい気持ちを必死に抑え、角を曲がる。しばらく歩いてこの時間は空いているはずの講義室にそっと入る。誰もいない。もう大丈夫。そう思った途端に身体から力が抜けて扉を背にずるずると座り込む。


ああ、くそ。


回される腕、呼吸すら聞こえそうな距離、肩にある手の温度。

顔が燃えるようにあつくて、頭が沸騰しておかしくなる。勿論分かってる。蜂谷にとってこの距離が仲の良い友人との当たり前にある距離感だってことくらいよく知っている。それでも、この距離は決して自分には適用されないと何故だか信じ込んでいたから。動揺した。自分でも驚くほどに。そして嫌でも理解する。

俺はまた、きっと蜂谷希佑という人に惹かれてしまうのだと。──────ああはやく、はやく熱よ引いてくれ。誤魔化しが効かなくなる前に、この想いが恋に変わってしまう前に、はやく。きつく目を瞑った。


2616字
2022.03.03.