『手紙』


「拝啓 初春の日差し麗らかな頃、ようやく寒さも緩んでまいりましたがいかがお過ごしでしょうか。」

僕はひとり、口に出して読んだ堅苦しい手紙に思案する。たった一言を書くためだけの前置きにするにはあまりに固すぎるだろうか。何だか無性に可笑しくなってくすりと笑い、僕は目の前の机から部屋へと体をぐるり、動かして部屋の床へと視線を落とした。


そこには、大量の白。


くしゃくしゃに丸められた手紙だったものの残骸。しかしそのどれもが、大して文字など書かれてはいない事を僕は知っている。何故なら、窓の外に降る真っ白な雪にも負けないであろうこの銀世界を作ったのは他でもない僕自身だ。

勿体ないのかもしれないが僕の最後のわがままだと思って許して欲しい。

いつか愛してるのだと言えなかった情けない男が、最後の力を振り絞って言葉を紡ごうと言うのだから。

……とは、言ったものの。実は僕はあまり手紙と言うものが得意ではない。文字の一つ一つを、言葉の一つ一つを、大切にしていたとある少女を知っているから、気軽になんて書けなくなってしまったのだ。


「小説を、書いているんです。」


出会ったばかりの頃、咄嗟に口から出た嘘がいつしか本当になった事を……僕は知っている。もしも、本になったら買ってくださいね、なんて笑っていた日を今でも鮮明に思い出せる。まさか、本当に本になって手元に来る事になるとは予想外だったけれど。

嗚呼こんな事を思い出しているとまたあの本を読みたくなってしまった。手元にある堅苦しい手紙をグシャリと丸めて放ればまたひとつ、銀世界の仲間入り。眩しい白から目を離し、机の隣に備え付けられた本棚からそっと一冊を手に取る。その本はもう、何度読んだか分からない程で内容なんて空で言えてしまう。見ると角も表紙もどこかしこも読み過ぎてボロボロで数十年と経っているせいか少し黄ばんでしまっているそれを、僕はそっと表紙を撫で机に慎重に置く。

本当はもう一度読みたかったのだけれど、
どうやら僕に残された時間はあまり無いようだから。
せめて一言だけでも残したかった。

僕は机に向き直りもう一度、筆を握る。今度はもう余計な言葉を書かないようにと筆を動かすけれど手が震え手上手くかけない。死ぬ間際だからか走馬灯の様にあの数年間の思い出が頭の中を駆け巡る。苦しいのか悲しいのか嬉しいのかすら分からない涙が零れた。身体なんてもう上手く動いてくれない。
そうして出来た手紙は何度も何度も鉛筆で書き直した跡のある涙でシミがぽつぽつとあるような、そんな手紙だった。それはとても人に贈るようなものでは無いけれどこれが僕の精一杯だった。
ついに、愛しているとは書けなかったけれど。
君の手を取れなかった僕にはこのくらいが丁度いい。

……もう、時間だ。

手紙をそっとあの本に挟んだ。

『                 君が好きだ                』