『追伸』
「嫻ー。」
自分とわかるように呼びかけながら東は扉を数回鳴らす。が、返事が無い。少し嫌な予感がしてもう一度声を掛けてから扉を開けた。
瞬間、目に飛び込んできたのは白い紙、紙、紙。そして、椅子に残る、灰。
嗚呼、アイツは。
「……馬鹿だなあ、」
思わず漏れたそんな言葉。でも、そうだろう。それ以外の言葉なんて見つからない。こんな……こんな死に様を見せられた側からしたらたまったものではないのだから。ふいに部屋に溢れた白を一つ、手に取る。また一つ、一つ、ひとつ。その手紙になり損ねた紙屑達の中身は言ってしまえばどうでもいいような、どこか他人行儀な当たり障りのない言葉の羅列ばかりで。けれどそれはまるで嫻の行き場の無い愛のように思えてならなかった。……伸ばした紙を机に置き部屋を見渡す。
この本と紙屑と最低限の物しかない部屋を見ると酷く、息苦しくなる。嫻はあの子の最後を見た日から姿を消した。夢を買ったという者にはちらほらと出会ったから生きていると言うことは知っていたけれど、でもそれだけだ。ただ生きているとわかっているだけ。何処にいるのかなんて誰にもわからなかった。
そして三ヵ月前、唐突に嫻は姿を現した。行方知れずだった数十年など忘れたかの様にいつも通りに。あまりにも変わらなさ過ぎて気味が悪い程。──あの子が死んだなんてまるで無かったかのように。フラリと東の元へ来て部屋をひとつ貸して欲しいと。それからは最低限の寝る食べる等以外はずっとこの部屋にしかいなかったようだ。実際に見ていた訳では無いが出歩いている姿も訪ねた時に部屋に居なかったことも、ただの一度も無かったから。ただひたすらこの最低限の広さしかない部屋で手紙になれない言葉達を紡いでいたのだろう。……愛しているのだと自分が死ぬその瞬間も、想いだけは消えはしないのだと言う叫びの様だった。
ふと、目線を机に戻すとあの本があった。あの子が書いたふたりの旅の全て。あの子の想いがすべて詰まったみたいな幸せな物語。
物語は確かにハッピーエンドだった。現実のふたりはハッピーエンドなんてとても言えないものだけれど。
何故あの別れの日、手を取らなかったんだと今でも思う。死ぬ間際まであの子を想っていたくらい本気だったのなら結ばれればきっとお前は幸せになれたし、あの子も幸せにできただろうに。寿命が、生きる長さが違う、種族が違う、たったそれだけの事がふたりを引き裂いたのか。けれど、同じ人では無いものだからこそ嫻の気持ちもわかってしまう。身に染みて知っているのだ。ひとり生きるというのは辛い。幸せだった時間があればある程に。
嫻と小鳥が別れたあの日、ひとりでは危ないからと小鳥を送る道で俺はずっと涙に濡れた声を聞いていた。
そっと、本を手に取る。表紙を開くと1つ、挟み込まれている白い紙。見てはいけないと思う。けれど、自分以外に誰が見届けてその想いを葬ってやれるというのだろう。ふ、と息を吐き紙を開く。
そこにはたった5文字のこれ以上ない愛の言葉。
「好きでした」
愛しているとすら、書けなかったのだろう。自分が切り捨てた選択を正しいものだとする為に、過去、あの一瞬だけは好きだったのだと思わせるように。震える手で歪んだ文字に涙で滲んだインク、その全てでお前は
「愛している」
そう叫んでいるのに。
なんて愚かなことか。
なんと、愛おしいことか。
願わくば、来世こそ
赤い糸が2人を別つことのないように
見守ることが出来たならば
それは、とても。幸福だろう
紙を挟み、本を閉じて机に戻す。
自分もひとつ、執筆などしてみようか。
題名はそう、例えば
『愚かな男の恋の話』だとか。