見出し画像

書き留め ~コロナ渦中~


コロナ渦中に思ったことを、忘れないようにいくつか。


①周りの人・自分が"化け物"に見える感覚

"化け物"はここからの借り物に過ぎないけど、これは感じてしまった感覚の1つ。

友達も海外で同じように生活してきた仲間たちに対しても
そんなことは大方ないだろうと思っていても、会うことで 接触することで感染する・移される可能性があると思ったとき、ためらわれてしまう。

相手に悪意がないことは分かっていても、まるで毒物兵器のように自分を犯しはしないかと不安になる。人ー人、友達ー友達、仲間-仲間の関係ではなく、加害者ー被害者のように思われてもしょうがないと分かった。


これは人ばかりではなく自分もで、実家に帰るとき、地元にちょうど感染者が出始めたころで、自分が加害者になってしまわないかと怖かった。
悪気がなくても むしろないからこそ、自分がもし罹っていて 移してしまったら…それはとても怖い。
自分の中にもしかしたらいるかもしれない 制御不能のウイルスが、自分を悪者にしてしまうかもしれない。

前者は周りの人が"化け物"や"兵器"に見えたけど、
こっちは、自分が人の皮をかぶった化け物に見えてしまうのではないか と。



②他人の人権よりウイルスのルートを知りたい気持ち

自分の地元で感染者が出たとき、すぐさまにその人の個人情報を求める動きがあったそうな。

市役所に問い合わせが殺到したり、インターネット上では住んでいる地域・職場などが明らかにされそうになったり。


普段なら、そんな個人情報を求めるなんておかしい と思えるのかもだけど、その人の行動歴によっては自分たちにも影響があるかもしれないと思うと、そんなモラルは吹き飛んでしまうのかもしれない。
個人情報より他の大多数の安全の方が大事だと思うのかもしれない。

そんな気持ちも分からんでもないと思ってしまった。
なにせ大半の人が未体験のことで、不安でしょうがない。ワクチンもない、重症化するかもしれない、移してしまったら嫌だ、そんな感情が人々を狩りへと向かわせる。
そのときには感染者の方のプライバシーとか 人権とか その周りにいる家族・友人・仕事関係の人等々の人間性は切り捨てられる。


やはり"化け物"化してしまうのかなと思う。
ここで、自分ももしかしたら"化け物"なのかも もしくは”化け物”になっていた可能性があったのかもと思えれば、前述のツイートのように "化け物"が人の顔を取り戻すのかもしれない。



③身体の不自由


交通機関の発達で、今やどこにでも行けてしまうと思えていた。
誰にでも会えるし、何者にもなれると思えていた。

のに、今回のウイルスは人々が動くことで 感染が広がるという。
だから動くな、Stay homeしろという。


それがここまで不自由なこととは思わなかった。
体はこの通り元気でぴんぴんしてるのに、人と直接会うことがかなわない。行きたかった場所に、会いたかった人に直接会うことがかなわない。

地味に辛いなと思った。


ネットの発達で今や、どんなことも見聞きできそうだし
心はどこにでも行けそうな気がする。

でも肝心の身体はここにあるままだ。
心だけがさまよっている気がする。

体を動かすのとはまた違う疲れがある気がする。


ビデオ通話をしてみるものの、会うのとはどこかやっぱり違う。

今までどこか身体があることに依存していたのだなと思う。


海外にいたころにも、治安の悪化で自宅待機することがあった。

周りから切り離され、取り残されたような気がした。
身体は元気なのに、どこへも行けない 動けない。

治安の落ち着かない地域・国ではこういうことも日常茶飯事なのだろうなと思いつつ、これが続くのはいろいろ辛いだろうなとも思った。



この不自由さを味わった後、さらに直接会えることの貴重さが分かりそうな気がするし、その不自由さの中でどう自由をつくるか みたいな動きも出てきそう。


以前の日常に戻る。コロナがなかったころに戻れればいい。
というわけではなさそうな気がしてしまう。


この禍がなかったかのように戻るのではなくて

(むしろもうなかったころのようには戻れないと思う
だって、もうあったという事実・経験があるのだから
それをなかったことにはできない。
それがあったという経験の上に、未来は積み重なっていく。)

この経験を踏まえたうえで進んでいけたらいいと思う。



とりあえずの書き留めでした。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?