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考えすぎじゃない?

職場の人や友達からよく言われる言葉。

どうしてもポジティブに受け取れないこの言葉。

「○○過ぎ…」

そう、「過ぎる」という言葉に抵抗がある。

考えることは良い事だけど、考え過ぎは良くない。

…とか。

優しいのは良いけど、優し過ぎないように。

…とか。

どこから“過ぎ”はじめているのかの境界線もよくわからない。


私は27歳の時に看護学校へ入学した。

上の子は6歳で下の子は3歳。

この時すでにシングルマザー。

“2人を育てるために資格とらなきゃ”

と必死だった。

社会人から学生に。

どんなことが待ち受けているのか想像もつかなかった。

「一つの物事を様々な角度から視て考えなさい」

「あなただけの考えに固執しないように」

「困った時に笑って誤魔化さないで向き合いなさい」

そう看護学生の時に学んだ。

図星だった。

私は看護学校に入るまで

なんとなく成り行き任せで生きてきていた。

深く考えたりしていなかった。

「なぜそう思うの?」

「なぜそんなことしたの?」

「どうして?」

の人からの質問にも上手く答えられなかった。

答えられないことは私が私を好きになれない原因の一つだった。

今まで成り行き任せで考えてこなかった分

看護学校に通っていた期間は

自暴自棄でしかなかった。


少しずつ少しずつ

様々な方向から物事を見れるようになっていくことで

自分の成長も感じた。

本当に何も考えないで生きてきていたんだ。

と振り返り、また考えるを繰り返す。

そうして今の自分が出来ていった。

これで良いんだ!

と、自信を持てることも増えていく。

しかし今になって

次の壁にぶち当たる。


「考え過ぎですよ!」


言われる時は決まって笑顔。

考えていることが時間の無駄と言わんばかりの

満面の笑みで言われたりする。

時には

「病んでません?」

と言われることすらある。

考えていると人は病むのか?

いやいや…

考えることは悪いことじゃない。

なぜ?

そこには私なりの根拠がある!

もしかしたらそれは言い訳なのかもしれないが

最悪な状況への対応策を考えておくことによって

あたふたしなくて済む。

前もって準備して

覚悟しておけるから。

でも、考えてもどうにもならないこともある。

どうにもならないことだとわかっていて

それをずーっと考えて

身勝手に凹むのは良くない。

それこそが考えすぎだ。

私はそう思う。

考える内容や考え方によって

対応策がなかなか見つからなくたって

時間をかけて悩めば良い。

答えが出るのなら!

だから一生懸命考えている人をみると

一緒に考えたくなるし

自分事と捉えて答えを出してみたりする。

考えることの必要性が無いのであれば

なんのための脳なのか。

逆に教えてもらいたい。


危うく考え込む自分を嫌いになりそうだった。

いや、もうそろそろ自分を認め

受け入れてあげよう。

そしてそれを

増やしていこう。

文字に書き起すことで

ぼやけていたものが

ハッキリクッキリ

明確になる。

ブログを始めて良かった。



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