自己という空洞
とある禅僧の方のお話を YouTube で聴いていて興味深い言葉が出て来たのだが、それは「自己とは普遍的な核(コア)のようなものではなく、ドーナツの穴や台風の目と同じで空洞のようなもの」という言葉だった。
つまり穴が実在するのは確かだが穴は穴なのでそれ自体に実体はない、自己も同じようなもので確たる「本当の自分」というものは存在せずそれは他者との関係性によって規定されるのだ--ということだったと思う(お話が自分には難しかったので正直自信はないが)。
この自己空洞説を前提にして考えるけど、思うに--自己が空洞であるというやるせない疼きが、人類史にあらゆる芸術を生んで来たのではないかということだ。
「自分って何なんだろう」という問いへの答え、あるいは問いを他者と共有する手段として必然的に芸術は生まれたように思う。
と同時に哀しいかな、自分の人生は自己が空洞であることから目を逸らし、かりそめの核を本当の自己なのだと自らを欺き続けた過程だったのだなと--ずっとうっすらと感じてはいたけど--気づいてしまった。
自己と本気で格闘してないから何も生み出せてない人生なんだろう…(死にたい)
もう三十代だし自分の感性が摩耗したり硬直化しているのを感じるが、もうちょっと粘って格闘しようと思う今日この頃です。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?