なぜ高齢者は「いい人いないの?」「子供はまだ?」とひたすら聞いてくるのか
筆者もいい年のおっさんであり、タイトルのようなことをよく聞かれるようになった(主に祖母)。
最近結婚した親族も子供について言及されていた。言われる煩わしさが表情から見て取れるのだが、高齢者世代はまったく怯むことなく同じ質問を繰り返す(主に祖母)。
結婚子作りというのは本来ナイーブな話題……というのはわりかし最近のモラルなんじゃないかと思う。祖母世代だけでなく、母世代からも(とくに憚ることなく)上記の結婚アンド子作り圧力コメントが飛んでくる。
これなんでなのかな……と思ったが、理由の一つに「親としての立場を共有したいから」というのがあるんじゃないかと思う。
結婚→子作りという一連の流れ。これを合理的な思想なり戦略があって成し遂げたという人はそう多くないだろう。だいたいが正直なところ「勢い」と「縁」ではなかろうか。
これが自分と配偶者の間のことなら別に問題はない。いかなる経緯であれ、結婚は両者の合意により成立する。ただし、子作りとなると別なのだ。
子供は親を――夫婦が形成された経緯含めて――一切選択できない。いきなり現実に生まれさせられて、気づけばどういう夫婦だろうがそれが己の親という関係性が一生涯にわたり続く。
実際に「生まれる」という表現をもって誕生した人などおらず、現実にはすべての人は「生まれさせられている」と言っていいのではないか。つまり強制である。
親という存在には根底に「生まれさせた」側としての負い目というか罪の意識が大なり小なりあるんじゃないか。
目の前にいる自分の子供は、子作りの地点まで遡れば本人の意思に関係なくこの世に生を受けてしまった存在だ。しかも年を経るごとに理性を増していて、親子関係の合理性には、年々懐疑的になっていく。このままではヤバイ。そうだ! おなじ加害者としての視点を共有させてやろう。そうすれば「生まれさせた」共犯者になれる。
(余談だが、「生んでくれてありがとう」という感謝も、親の罪悪感を微妙に察しているからこそ、子供がそのすべてを免罪してやりたくて言ってるんだと思う。この言葉を言う前に近年片親が死んでしまったことが、筆者の心残りだ)
以上の考察があまりにひねくれすぎているのは自覚している。親になろうという人たちには申し訳ない。
まあ、こういうことを年始に考えているような人間だから、今年も孤独だろうと自分で思う。個人的には自分の子孫というか、配偶者を得るということにほぼほぼ諦めがついているから、こういうことを言えるのかもしれない。
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