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私がたくさん居て、どれも私

「自分」とはなんだろう。過去の自分は、今の自分とは別物なのだろうか。

過去の私は今の私と、構成している原子や分子も代謝で変わり、考え方も体験とともに日々変わっていき、服装だって違っている。

私がカウンセリングなどでしたソマティックなワークで感じたこととしては、過去の自分も今の自分と重層的に共にある、ということだ。

25歳の今の私、3歳の私、7歳の私… 身体というひとつの繋ぎ目のなかに無数に「いつかの私」の部屋が存在していて、身体というポータルを通して、今の私は、今の私でありながら、過去の私が感じていたことを再び感じることができる。

意識が選び感じ取れるのは、せいぜい一部屋+今ここに在る意識としての私、かもしれない。

けれども、たとえ過去のことであったとしても、無数に存在するいつかの私は、気が付いていないだけで、今の私と同時に存在している。

普段は見えない幾つもの私、これがいわゆる潜在意識であり、「時間という概念は顕在意識が作り出したもの」ということなのかもしれない。

だとすると、感じることができるのは、過去の私だけじゃないかもしれない。未来の私や、パラレルワールドにいる私をも感じることができるかもしれない。(できると思う)

そう思うとわくわくしてくる。無数の私と出会うことは、本当は持っているのに忘れてしまった大切なものに気付き、再び手に取ること。私は私の可能性を信じている。全私で歌おう。


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