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関西人と「オチ」/関西弁から学ぶ関西の倫理観

最近Twitterで話題になっていたこのヘッダに用いた画像、
関西人なら一度はイジられる話なんですが、
自分なりの異論というか、ごく個人的に思ったことを書きます。


わたしは神戸出身です。
22歳まではずっと神戸に住んでました。

神戸の人って、出身地を聞かれても県名を答えずに
市の名前を答えるんですよね。
名古屋とか横浜とか仙台もそうですよね。  

関西では、神戸出身だと自己紹介すると、
一番 "丸い" というか、敵を作らず小綺麗に収まる感じがあるので、
いけ好かんなあ、とかって馬鹿にされる場面もありますが、
こういう答え方をよくします。 

あと、神戸の人間が出身地を聞かれた時に県名である『兵庫』と答えず
わざわざ『神戸』だ、と言うのには、
同じ兵庫県には、全国自治体所得ランキング上位常連の芦屋市様
あの宝塚歌劇団を擁する宝塚市様という、
全国的に有名かつ裕福な圧倒的上位存在もいらっしゃるために
へりくだる目的もあります。
兵庫です、って答えて、もしかして芦屋とかですか?
なんて聞かれようもんなら、ほんと恐れ多いので。
とんでもないです。  

ほんと、神戸はそこまで大したことないんですよ。
地方都市としてはバランスいい、って言われるんですけど、
地方都市だから、だし。
大阪さんがいないと成り立たないです。
治安の悪い地域も多いです。  

と、軽く自己紹介から始めてみましたが、
こうして、関西人はへりくだって、「自分を一段下げる」というような、
コミュニケーションの上での一種の礼儀を重んじる面があります。
間違いなくあります。 

あの "関西人" が??!
と思うかもしれませんが、順を追って説明します。



話を戻します。

わたしの母親はそういった、治安の良くない海沿いの地域育ちの元ヤンで、 当然家庭環境はリベラルからは程遠いテイストでした。
なので、土着の関西カルチャーについてはある程度馴染みが
あるわけですが、 まず結論から言って、
関西人は「ほんでオチは?!」なんてフレーズ、 なかなか言いません。
土着関西人は特に、です。 

土着関西カルチャーについて、 

「ごんた」「ちょける」「いちびり」「いきり」「ボンボン」
「お利口さん」 「ひらう」「あかんたれ」「遠慮の塊」
「シュッとしてる」「おちょくる」「はみご」


などの関西弁から解説しようと思います。 

青は「進め」・黄は「気つけて進め」・赤は「あかんけど進め」 という
関西独自の交通ルールを揶揄したジョークがありますが
(関西人が遵法精神に欠けてるという話ではないです)、
節度を保った上で適切にグイグイ行くことを求められる場面が
関西では多くあります。
大阪は特に、多くの商人によって成り立っていた街だという歴史もあって、
まず、会話・コミュニケーションを盛り上げる必要があります。
出れるとこでは自分の判断の上で出とかないと、
という商売上のサバイブ術ですね。

これを強く感じる関西弁のフレーズのひとつに「ごんた」があります。 

これは "わんぱくが過ぎるやんちゃな子供" とか、
そういう子供がダダをこねている様子などを指します。
もともとは、浄瑠璃のある演目の登場人物の名前から
派生した言葉だそうです。 由来もまさに関西っぽい。 

当然、「ごんた」は大人から叱られます。叱られまくります。
しかしながら、関西で育つ子供は、ある程度は「ごんた」であることが
求められます。
子供は元気が一番、というような通俗的な観点から、
というのもそうなんですが、 「ごんた」がいると、
大人の間での "へりくだりコミュニケーション"
とにかく円滑になるんです。 


家族の中で「ごんた」中心にコミュニケーションが成り立ちやすくなるのは
簡単に想像がつきますね。
出来の悪い子ほどかわいい、なんて言う慣用句もありますが、
「ごんた」が、年齢や間柄の上だけでなく、 その振る舞いから
家族の中でわかりやすく一段下がってくれるので
大人は「ごんた」を叱ったりいじったりしてれば
コミュニケーションが取れるわけです。

「ごんた」本人がその場におらずとも、
「ごんた」な我が子をけなす笑い話を会話の糸口として
こちらを一段下げつつ、 相手方の「おりこうさん」な子供を
褒めそやしていれば、すぐに盛り上がります。
初対面の者同士でも自己紹介などが一気に進められます。 


 大人の間でのコミュニケーションのために「ごんた」が重宝されるので、
「ごんた」本人もその恩恵を、お菓子やお小遣いをもらうなどして
受けることもあります。
うまく「ごんた」の立ち位置を維持できる子供は、
「ちょける(ふざける・おどける)」べきとこで「ちょける」
というラインをわきまえているために、
大人の輪の中に食い込めるんですね。

「ごんた」
になりきれない控えめな子供は
「あかんたれ(根性なし)」「ぼんぼん(おぼっちゃま)」などと
揶揄されることもあります。 

 しかしながら、「ごんた」もあまりに度がすぎれば「いちびり」になり、
本気で叱られることとなり、「ごんた」としての恩恵を失います。

「いちびり」「ごんた」と同じく "お調子者" だとか
そういった意味合いですが、
 "空気が読めない""笑えない" といったニュアンスも含む、
かなりきつめの言葉です。
大人から子供へ、というような、明確に立場の差がある関係の上でしか
基本的には使われません。

もし 「お前、まじでいちびっとんちゃうぞ」
関西人から注意された場合、まじでめちゃくちゃヤバいです
ハンパなく怒ってます。  


関西で育つと、小さい頃からそういった人間関係の上でのバランス感覚を
求められる様になります。
バランスのいいふるまいを求められるのは
もちろん大人と子供の関係の上だけではありません。

たとえば、食事の際、特にテーブルを囲む人たちが
それぞれに手を付けられる大皿料理を食べ進めて、
最後に残った一口分のことなどを関西では「遠慮の塊」といいますが、
言い回しは違えど全国に同じ意味の言葉がたくさんある中で、
関西人が "遠慮" という単語を選んでるんですよ。
あの関西人がですよ?? 

無遠慮に食べきってしまうような人の空気の読めなさを許さない、
という表現だとも取れますが、
関西人のコミュニケーションの繊細さを端的に表している
おもしろい言葉ではないでしょうか。  


また、関西における最上級褒め言葉である「シュッとしてる」
これは基本的には身なりやルックスへの言及のための言葉ですが、
ヒョウ柄・スパッツ・派手髪の、過剰でギラついた、
いわゆる関西のおばちゃんファッションの典型とされているものは、
「シュッとしてる」の対極にある状態です。
手入れが行き届いて、美しく、目立ちはするが派手好みではなく
地味さ、野暮ったさを感じさせない、といった雰囲気が
「シュッとしてる」と言われる状態です。
配慮がなされていて無駄がない、ということが
良いとされる感性があるわけですね。

ちなみにですが、この関西のおばちゃんファッションは 
大阪の天神橋筋商店街を中心としたごく一部の地域の
ごく一部の人たちのファッションの傾向だそうです。 
確かに神戸ではあんまり見なかったです。 

これを話題に持ち出して関西人相手に不用意にイジると、
東京モンがなんか言うたはるわ~
と腹の中ですげえ馬鹿にされます。 


 会話に常に「オチ」を必要とする、という "悪しき風習" について、
「オチ」とはつまり、会話の区切りになる部分のことです。

会話の区切りがあることで、わたしの発言はここまでですよ、
というアンカーを打つことになります。
他の人が話し始めたり、他の話題に移ったりするなどして、
発言機会を、その場の各人の立場・トーク力などからなる力関係に応じて
適切にバランス良く配分することができます。

このアンカーの部分に "笑い" があればみんな楽しめて
なおかつ区切りが一層わかりやすくなるよね、という配慮から、
笑いを取りに行くことが多々ありますが、
本来は「オチ」には笑いは必要とされているわけではありません。


「オチ」がきっちり定められていない場合、
こういった配慮があいまいになってしまいます。
そのため、場合によっては発言者以外の全員に対して、
会話を「ひらう(拾う)」という仕事が発生することがあります。

最初の何度かは「オチ」がないことを「ひらう」ことによって
生まれる笑いを用いて、強引に区切りをつけることも出来ますが、
「ひらう」仕事は発言者以外の全員に強制されるもので、
当然まったく好まれません。

クッソめんどくさいです。
すべり芸とか基本存在しないです。しなくていいです。


「オチ」がない、配慮の能力に欠けた人が生み出す、
場のバランスが崩れかけた状況の上で苦肉の策のもと、
ひねり出されたツッコミが
「ほんで、オチは?」なので、
これは間違いなく無駄中の無駄です。

だから会話には「オチ」が必要なんです。


会話の前提として必要なものが「オチ」なので、
これみよがしに「オチ」を求めてくる関西人なんて、 場の流れ・区切りが
全く見えていない、「いきり」「はみご(のけもの)」です。

関西にいたとて関西人扱いされません。


とここまで、長い文章を通して、
関西人がさも複雑で配慮の行き届いた高度なコミュニケーションを介する
洗練された人種のように書いてしまいました。
すみません。全部ウソです。 

関西人はただのアホです。 

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