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大切にしたいことって?

今日は研修だった。研修に向かう途中、自転車で派手に転ぶというプチ事件が発生したのだけれど、今日も今日とて良い日だった〜〜!!!!!刺激に溢れすぎてた1日だった。笑

まず哲学対話。
私たちのグループは「良い大人とは?」について考えた。
私にとって「良い人」に入るのは「謙虚な人」。
皆にとっての良い大人を共有して、自分で1番しっくりきたのは「誰にでも平等に接せられる人」。謙虚や平等っていうのは私が1番目指している姿でもある。
その他に与えられる人、相手のために何かしてあげられる人、与えることで喜びを感じられる人、大人になっても子どもみたいな表情ができる人、親しい間柄でも礼儀がちゃんとなっている人など
全部全部納得できた。その中で「自分にとって都合の良い人」を良い人って呼んでるのでは?という問いが生まれた。じゃあ自分にとって都合の悪い人が悪い人なのか?
「皆」にとって「良い人」って?考えた結果「皆に対して平等である人」という結論に達した。

1人が良い大人は「自ら嫌われ者になれる人」だと言った。それを聞いた時、ドキッとした。私はなれないなと。未だに自分は嫌われたくないのだと。承認欲求が未だにあるのだと。誰にでも平等に接せられる人もそうだけど、「嫌われ者」になるってそう簡単にできることではないなと。相手にどう思われても良いと思って叱ったりできるってことだと。愛がないとできないことだなあと。
それをシェアメイトに共有して、良い大人ってなんだと思う?って聞いたみた。そしたら「我がない人」という答えが返ってきた。我がない人=自分がこうしたい、ああしたいがなくて、人のことを見れる人。自分のことは一旦置いておいて、その人の本当のことを見て助言してくれる人。
ちゃんとその人のことを思って叱ってくれる人、愛がある人、「嫌われ者になれる」ってつまりは「我をなくせる人」。
自分がやりたいようにやっていたら周りが振り回せれているからそれを止める人がいない。良い大人であればそれに気がついて治せるはず。自分がやりたいことをやっているだけでは「良い大人」とは言えない。
またまた一つで私の中の芽が増えたなあと。

「幸せ」についても少し話した。
私は前にも書いた通り、幸せとは、「他者から必要とされていると感じることができること」と考えていた。でも、色々議論を重ねていく中で、この考えは承認欲求に基づいていないか?と思うようになってわからなくなっちゃった。
自分にとっての幸せをそう位置づけるのであれば、やはり自分が幸せと感じる瞬間が他者から必要だと感じられた時だということだし、なぜ他者に必要とされたいか?といえばやはり承認欲求があるからなのかな?と思った。
でも今思ったのは、「他者から必要とされること」とはまた別で、相手が自分を必要としているということを「感じられた時」なのかなあとも思った。となるとまた話は別?
相手が自分を思ってくれていると感じられた時って言った方が私の考えとは近いかも、?
それが「伝わった」時。相手からの思いやりが感じられた時。そういう時に私は「幸せ」を感じるのかもしれない。となるともはや相手が自分を必要としているかどうかは関係なくて、相手が自分を思ってくれて、気にかけてくれて、優しさを感じることができるだけでもう私は十分なのかも。日常でそう感じる瞬間が多いからこんなに幸福に満たされてるのかな〜。(?)

最後に。価値観トーク。
1番時を共に過ごしていて、お互いのことをよく理解しているであろうシェアメイト達と行った。たくさんの項目の中から3つ自分の「今大切にしているもの」を選ぶ。そして残りのメンバーがそれを当てに行く。これも面白かった。
まず選択肢が多い。どれもこれも大切にしている、大切にしたいものばかりでなかなか決まらない。自分が大切にしているものって改めて聞かれるとすっと答えられない、自分のことを理解しきれていない自分と向き合わざるを得ない。

結局私の選んだものは
1. 受容 2. 成長・学び 3. 奉仕・支援

こうやって見れば見るほど本当にこれなのかわからなくなる。現に、1位とした「受容」を2人の前で発表した時めちゃめちゃ驚かれた。じゃあ違うのかな?って益々わからなくなる。
なぜこれを選んだのか?「今大切にしているもの」に基づいて選んだはずだったんだけれど、私は「大切にしたいもの」との違いがあんまりわかっていないかも。大切にしているものより大切にしたいものが遥かに多いのは確かなんだけれど、私は「大切にしたい」から「大切にしている」のであって、離して考えることができないというか、「大切にしている」の延長線上に「大切にしたい」がある感じ?
今振り返ってみて本当に「受容」が1位なのか、、?という問い。なんで1位にしたんだろう。
受容:共感を持って柔軟に状況や相手を受け入れること
成長・学び:知識、経験、スキル、人間性を高めていくこと
奉仕・支援:人を喜ばせ満足させること、他人を支援し元気づけること

今思えば、「自分らしさ」(周囲に流されず、自分の興味や価値観に従って生きること)や
「挑戦・チャレンジ」(リスクをとり、未知へ挑む意志、冒険をする勇気)
がやっぱりしっくりきて、本来ならばこの2つが入ってくるはずなんだけど、これはもはや「大切にしている・したい」じゃなくて染み付いているというか、本能的にそう動いている、無意識でそうなっているから「大切にしている」価値観には入らなかったんだと思う。気づいたら自分の価値観に従って生きていたし、結果としてそれが未知な道へと冒険することに繋がっていた。
「大切にしている」って意識していることだと思う。多分選んだ3つの価値観は、私が「大切にしたい」という感情が大きくて意識しようとしているもの。
受容、特に「相手を受け入れる」というのは私が最も大切にしたいことの根底にある価値観なのかもしれない。
私が1番嫌いなこと。それは相手に否定されること。そして大嫌いなのは相手を見下すこと。相手を受け入れようとする姿勢が好きだし、自分もそうありたいと思う。誰にとっても寛容でありたいし、気に入らないことがあってもまず「受け入れる」心の器の大きさを持ちたいと思う。だから選んだんじゃないのかな。
成長、学び。前から触れてる成長問題はさておき、やっぱり自分は成長したいと思っている。特に、「人間性を高めて」いきたい。受容を大切にしたいのは私の中でそれが人間性を高めていくことに繋がっているから。そしてそれは、奉仕・支援も同じ。
受容のその先にあるのは奉仕・支援。自分が1番なりたい姿かもしれない。私は「他者に見返りを求めず与えられる人」になりたい。そして「人を喜ばせる」のが好き。
奉仕の気持ちを持って人のことを支援することができるのが私の理想だな。与えられる人になるには、まずその人のことを「受け入れる」ことが大切だと思う。受け入れることは与えることだと思う。なぜ人間性を高めていきたいかと問われれば、それが私の人生の大きなテーマであり目標だから。3つとも離れているようにみえてたけど実は全部繋がっていたんだなあ。

こうやって一つ一つ選んだことを振り返って見れば、まだまだ浅いけどそれらを選んだ理由や考えがわかってきた。けれど、その選んだ場においてはなぜ選んだのか答えられない。自分の考えをすっと口にできるシェアメイトに感化され自分を見つめ直し考える。私も彼女達のように選んだ価値観を深く口で説明できるようになりたいなと思って思考を巡らした一日でした。

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