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海外に長く暮らすということ
一体どれほどの人が、海外に長く暮らしたことがあるだろうか?
旅行や短期の滞在はあっても、家を借りて、近所のスーパーで買い物して、近くのカフェで店員と顔なじみになる人は、そんなにいないと思う。
でも実は、海外に長く暮らさないとわからない感覚がある。
21歳の半分を過ごしたベルリンの小噺。
冴えない留学と小さな豊かさ僕は、2019年の9月ドイツのベルリンに飛んだ。大学生活の中でも一大イベントだ
12.73kmのナイトクルーズ
人間関係で嫌なことがあり、久しぶりに自転車でナイトクルーズに出た。時刻は9時28分。
今の時期、昼間に外に出ると、春の陽光を強く感じる。4月なのだから、と思うが、それでも毎年「もう?」という感じもする。ところが、こうして夜に出てみると、空気のなかにまだ冬の分子が漂っていて、安心する。パーカー一枚で出てきたことに後悔はするが、それでもどこか「まだ季節は前に進み切っていないのだ」と思える。
ナイト
狂気・エヴァンゲリオン
*決定的なネタバレはありませんが、とある要素への記述があります。物語のエンタメ性を損なうものではありませんが、気になる方はお控えください。
エンドロールが流れる間も、僕は一時も油断していなかった。劇場の明かりがつくまで決して立ち上がってはならないと思った。そして、僕以外のほとんども、どうやらそうらしかった。
もはや、誰もが画面に縛られていた。ただ流れる文字列を必死に眺める様は「狂気」以外の何で
大学生活の1/4を失った僕らは今、1/2を失おうとしている
3月に入り、各大学は新学期の方針を示し始めた。
全科目オンライン、対面とオンラインのハイブリッド、あるいは完全対面。
大学によって対応はまちまちだが、都内の大規模な大学で全ての授業を対面で行うということはほとんど無い。
また、実験や実習の多い理系では必然的に対面が多くなり、講義の多い文系ではほんとんどオンラインになる、という文理間の格差も懸念されている。
都内私立大学の文系学部に通う私も、
世の中には三つのものしかない。必要なもの、必要ないけど欲しかったもの、そして必要ないし欲しくもなかったけど価値あるもの。
最近はコロナ禍で急増したネットショッピングも落ち着き、今はモノで溢れた部屋と頼りない額面を記した通帳が手元に残っている、なんて人はきっと多い。
僕は、ターンテーブルだったり、スピーカーだったり、中古のファミコン(!)だったりを買った。
ターンテーブルとスピーカーは、祖父から譲り受けたYMOのレコード達を生かすために「必要」だったし、ファミコンは必要ではないけど、持て余した時間をノスタルジックに
インターネットメディアを通じた感情との付き合い方を考えなければならない。
日も暮れようか暮れまいか、夕刻。ガラスの向こうで幼稚園帰りの園児が走る。買い物袋を下げた母親が追いかける。園児は目の前の「何か」に興奮して走り出し、母親はその先にある「何か」に危険を感じて引き留めようとしている、と勝手に妄想する。
まさに、これはインターネットなのではないかと思う。ガラスはスクリーンであり、外を行き交う人々は何千キロも離れた土地に暮らす人なのではないか。
このスクリーンの向こう