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カメラと私

写真を撮られるのは大嫌いだった。
写真には関心が薄くても、カメラの仕組みは気になった。
そんな私がカメラにこんなにも興味を持つようになったきっかけのお話。
古い日記からの持ち出し。


病気と診断されて、休職し
その後、仕事自体を辞める事になり
終いには当然の義務を果たすことを放棄するように言われ
何時か覆してやる、と思いながら生きていた頃だった。

その頃、毎日は不安だらけで、外との繋がりに飢えていた。
家事をして、運動をして、
病気の診断を覆す方法と
他者を欺かなくても社会に参加できる方法を探していた。


時間ばかりが膨大にあって、図書館に通ったり散歩をしていた。
本を読む、と言っても私の場合には
自分の専門分野だとか、すぐに使える知識を学ぶような本ばかりを読んでいた。
本を携帯して公園に行き、時々飽きたら写真を撮ったりしていた。
どれだけ勉強しようと、仕事で役立てることは当面できない事に
前向きな気持ちを何度も折られた。

その頃、よく撮っていたのは、空、川、そして生き物。
特に鳥にはそれまで関心がなく、その時に初めて興味を持った。

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近所の公園にカワセミがよく来る場所があり、そこには大きなレンズを持った人達が沢山来ていた。
彼等が何を目当てにしているのかも、最初は知らなかった。
ある時、カワセミを見なかったか?と訊かれて知った。

カワセミの名は知っているが、見たことはなかった。
正確には姿を知らなかった。
何かの本で翡翠と書かれているのを見たかな、程度だった。

或る日、綺麗な鳥がいるんだなーと思って写真を撮った。
これがカワセミだったのか、と知って驚いた。
何時間も寒い場所でレンズ持って追いかけたくなるよな、と。
生き物の写真は難しくて、見たままの、感動した姿は何処にも残らなかった。だから何度も撮ろうとしてみた。

そうして、カメラに関心が湧き始めた。

何かの折、気楽な感じの空の写真のコンテストを見た。
自分も写真を出してみたくなった。
それをきっかけに、知らない人と少しずつ交流が持てて、社会と繋がる事ができない事実を少しだけ忘れさせてもらっていた。

その後、カメラを少しの間忘れていたけれど、何がきっかけだったのか
また少し撮ってみたくなった。あの頃、小さな変化を記録する事で日々の時間を感じ、それを頼りに少しの希望を温めていたことを思い出して。

そして、また写真を通じて人と繋がる事ができ、その中で写真に対する興味はどんどん増していった。

今使っているカメラを買ったきっかけは、山に行く時に植物や雲を撮るためだった。
日常では触れられない姿を見て、それを残して思い出して味わう為に。

そして、今・・・
何時かまた一人で山に出かけ、ゆっくりそれらの姿を集めて希望を感じていたい、と
そう思っていて、また新たにレンズの向こうの世界を広げてみたいと感じ始めている。
もう少し仕事や生活の力をためた後にゆっくりと、大好きな生命の姿を眺めて、希望を感じたいと思って。

今度は、歩き回る範囲や時間も、少しずつ広げてみたいと思う。
限られた時間の中で、触れられる沢山の感動を最大限に感じていたいから。

そんな事を感じられるようになったのも、カメラの楽しさを広げてくれた人たちがいたからだな、と、あらためて感じて。それがとても嬉しくて。
いつの間にか蓄積されていた時間の経過の分だけ、世界は徐々に広がるのかもしれないし、その分、見えていない場所で何かが削られているのかもしれない。

だけど、何にも代えがたい喜びと感動を味わう事ができているのだから、とても幸せな事だと思う。
これからももっと、何かを好きになりたい。


カメラを持って歩く楽しみを共有させてくれた人達へ
有難う。
撮っていて、こういう写真が私は好きだな、とあらためて思ったのは、別の生き物同士が関わりあっている自然の姿でした。

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