二人称

齢廿にしてはじめて先輩と呼ばれた。えーと、敬称ではなく二人称の先輩。端的に言って歯が浮いた(今も呼ばれたらきっとそうなる!)のだが、けっこう思うところがあったので記事にしようかなと。

多くの小学校がそうであると思いたいが、僕の所属していた地域の僕の所属していた学校はそこまでまだ縦のつながりみたいなものが明確でなく、そのために小学校で先輩と呼ばれることはまずなかった。
当たり前と信じて疑わなかったし、火山の噴火だったり交通事故だったりと同じ、テレビでしか見ない対象であった。
中高は少なからず先輩後輩の概念はあったものの、体育会の部活ならまだしも、ずっと天文学にひたりきりであった僕はそういった概念からかなり距離があった。加えて“同じことができるなら若い方がいい”“働かない先輩に人権はない”みたいなテーゼが闊歩していた環境だったため最低限の敬語などしか存在せず教員はさん付けでも許されたし、別に背丈もなかった(今もあるわけではない)しで精々さん付けがいいとこであった。

そんなこんなで大学に行ってまあ今に至る(もちろんB1では後輩はいない)のだが、先輩という二人称に慣れない。慣れないことこの上ないのである
歯がゆい。なんかこう、勝手にへりくだられている感覚がする。偉大なる弱冠の才媛にして後輩様だぞ、という声がするような気がするのだ。というかする。

敬意をもつべきはこちらのはずなのに。

ただそれも僕の感覚なので別に口にするほどのことでもないと思って放っておいて、適当に先輩呼び慣れねえなあなんてツイートしてたら見つかってしまった。見つかってしまったのでついでだから違う世界に育った違う背景を聞いてみようといろいろ聞いたら、大抵の学校では先輩というのは無条件にえらく、それが当たり前であるという、ドラマで見たような事実を呆気なく告げてくれた。わかっていながら貞子がテレビから出てくるようなものである。あれは言い伝えじゃなかったんだなあという感情になった。

そういうことがとお互いの話をして僕がひとしきりびっくりしたあとに、もう先輩と呼ばれることは減って、楽になったと言われたものの、それが気遣いによるものなのかそうでないのかを判断することはまだかなり難しい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?