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ケーキがおいしいこと

今日は大好きなケーキ屋さんへ。大好きなのに昨年ぶり。マスクで入店し、こんにちは!と笑顔であいさつ。促されてあぁそうだったと消毒液をシュッ。今までとおなじようでそうではない世界なんだった。

お世辞にも大きなお店ではないけれど、人柄も味もどこよりも好きなお店。

パクパクっと食べればそれまでなのだが、鼻に抜けるバターのいい香り、ケーキごとに生クリームがちがうところ、良い状態のしか使わないフルーツ、クリームの絞りの美しさ、何度も足を運んでいるのに毎回感動するほどおいしい。今日"あぁ…このために生きてるんだな"とすら思った。

前に人に会ったのは

そういえば1月末は車繋がりの友人とアフタヌーンティーに行った。それ以降、家族と職場の人以外に会ってなかった。

2〜3月は友人からスイーツ会のお誘いをいただいたけど、そのときはすでに私の職場は休業に入り、"うつさない・うつされない"を意識していたので人と会わないようにしていた。

仕事もちょうど立て込んでる時期で休日出勤も予定されていたし、先のスケジュールがよめなかった。また職場は海外の方がたくさん来る場所だ。

もし友人にうつして迷惑をかけたら?もし友人からもらって職場に広がったら?そう思うと、周りの人どちらも大事で友人に会えなかった。当時は今ほど自粛の気配がなく、あの時点でそれを人に言うのはノリの悪い人みたいで気がひけた。

なんでもないことが尊い

今日はケーキがきれいに撮れた。

お昼休憩がおわり、お行儀よくないけど仕事をしながら食べようとPCの前にコトリと置く。すると、何体かのスライムが仲間になりたそうにこちらを見ているし、奥には知り合いのイラストレーターさんに初対面の日いただいた車のイラスト、友人にもらったダイキャストの車が見える。

そんな日常のなんでもない中にしあわせや喜びを感じる。

新型コロナが流行る前からだけど、時代が豊かになりすぎて世の中の人の心がそうではなくなっているように感じていた。それでも常に何かが足りないと思ったり、常に何かに怒っていたり、常にだれかの挙げ足を取ろうとしていたり。

そういう意味では、生きていられることをはじめ、医療のありがたさ、スーパーなどでの販売、物流、あらゆる職種の方への感謝、人と人との関わり合い、ケーキがおいしいこと、日常にあるあらゆることがしあわせであることを再確認でき、まわりに感謝ができる今の感覚は忘れないでいたい。不幸が起きなくても、今あるしあわせに気付ける心を持っていたいと思う。