休職中無期限無計画放浪記(下)
↓の休職中無期限無計画放浪記(上)の次回予告にあった通り、北の大地に乗り込むことにしました。ノリとか勢いって言わないでね。これは"旅"です。その1文字に全てが形容されてる。思考を放棄して、流れに身を任せ、行き当たりばったりな感じが大学の頃を思い出して懐かしく感じる。
広島から仙台まで行ったら、北海道なんてほぼ誤差よね(800km、東京広島間と同じらしい)。思い立ったが吉日って良い言葉ですね。毎日思い立ちたい。
DAY.5
仙台発新千歳着の飛行機とホテル予約して、牛タンまんを最後に食べて仙台とはお別れ。北海道は人生で3度目で、前回は15年前。ホテルチェックインして、夜の札幌を徘徊する。しっかり味噌ラーメンも食べてすすきのも歩いて寝た。
DAY.6
5時起き。5時起き!????なんで?仙台に続き、この日は、阪神対日ハムの交流戦がエスコンフィールドでデーゲームだったから、当日券狙いでまさかの5時起き。5時起きて。始発て。休職期間とか関係なしに今年1早く起きた。北の朝は早い。エスコンは今年完成してちょー新しい球場で凄かったな。フードコートも合ってAEONみたいだった。
夜はホテル帰って、やきそば弁当。北海道限定のご当地カップ焼きそばでちょっと気になってた。可もなく不可もなく。旅先での大事な1食をこいつに消費したのは勿体ないけど、夜中に食うなら許せるライン。カップ焼きそばの捨てる汁を別の容器に移して、粉を溶かしてスープを作るらしい。
野球観戦しただけなのに3万歩も歩いてて足が死んだ。足死んでるのにさんぽする。相棒に電話したら「今から女の子とドライブ行くから」って断られた。年下の女の子と電話して寝た。
DAY.7
札幌から日帰りで行ける観光地で調べたら小樽が1番上に出てきたから小樽に向かう。小樽はサカナクションのボーカル山口一郎の出身地らしい。札幌から小樽の間に手稲(ていね)って駅があって、アナウンスで「次は手稲、手稲」をやんわり新宝島のサビ「丁寧、丁寧、丁寧」に寄せてる気がした。いや、山口一郎が地元小樽を思って手稲に寄せたのかも。卵が先か、鶏が先か。手稲が先か、丁寧が先か。この小樽も前回北海道来た時振り。小樽の街を徘徊したり、この旅で3水族館目のおたる水族館も含め、楽しかった。観光的に楽しかったというより、なんか、違う意味で楽しかった。写真見てくれたら言いたいことわかると思う。
この街は情報量がおかしい。こういうのを観光スポットにしろ。歴史とか文化とかいらん。シュールさで勝負しろ。なーんて、ひとりじわじわ楽しみながらおたる水族館の前にある食堂で、みんな大好きほっけ定食を食べた。食堂のお母さんとお喋りしてたら、息子さんと同世代らしく、鬱病で休職して旅をしてることを話したら優しく柔らかく温かく接してくれた。旅での出会いが好きすぎる。これだから旅はやめられない(2回目)。
観光も美味しいご飯もお話も大大大満足。時刻は17:30。どうにか時間潰して日没に灯台の方行ったら夕陽も見れるかな〜って思って、食堂のお母さんに許可もらって前のベンチで時間を潰す。港の防波堤をさんぽして、良い石を拾ってたら、雲行き怪しくなってきて夕陽は断念。んで、ここで田舎すぎ問題。次のバスまで50分。携帯の充電も心許ない。さてどうしたもんか。
そしたら、さっきの食堂のお父さんが道産子マシマシの方言で「次どこ行くの?」って声かけてくれて、なんやかんや説明したら「送ってってやる」って言ってくれた。お父さん!!!愛してる!!小樽駅までの途中で夕陽見る予定だった岬にも連れてってくれた。純粋無垢な「なまら」を生で聞けた。小樽の船とかヨットを管理するマリーナで働いてるらしく、まさかのド地元のマリーナのことも知ってて、まさか北海道で沖縄(しかも徒歩圏内)の話ができた。しかも、息子さんも僕と同じで、NYのタイムズスクエアで年越ししたらしい。また小樽に遊びに来いってさ。泣いちゃう。絶対行く。いや、また帰ってくる。マリーナのピンバッジとステッカーもくれて絶対に忘れない出会いになった。勝手に小樽のお父さん認定。家族の愛がそこに存在した。これだから旅は、、(3回目)。
札幌駅に戻って小樽の代わりに展望台から夕陽見た後、喫茶店で時間を潰す。コーヒー飲んでたら、斜め向かいのカップルが泣きながら、たまに笑ってお話してた。別れ話かな、遠距離恋愛かな。ふたりがこれまで重なって辿った線が、すぐ先の未来で分岐するのを感じて、坂元裕二監督の映画を見てるようだった。ふたりの愛がそこに存在した。
そんな色んな種類の愛を感じながら、独り旅してるって言ったらこんなこと言われる。
そんなこんなで23:00。これから夜行バスに乗って6時間半、日本最北端の地、稚内へ。
DAY.8
いや、全然寝れへんやないか。3列独立シートの真ん中、前から2番目の先で、睡魔も来んけりゃポジションも定まらん。結局、1時間程度の睡眠で朝5:30に日本最北端の稚内駅に放り出された。15年前と同じ構図で稚内駅構内の写真を撮って、正真正銘の日本最北端の地、宗谷岬に出発。
意気揚々と行き方調べたら、稚内駅から宗谷岬まで片道30km、路線バスは1日4本。最速のバスに乗っても帰りの札幌行きのバスに乗車は不可能な事実発覚。事前準備を怠たり、15年前の記憶に頼った結果がもろに響く。あれ?地図で見たら歩いていけそうな距離だったんだけどな。北海道がデカすぎて縮尺の感覚がおかしくなってた。ってことで、売店のお兄さんに紙とペン借りて人生3度目5年振りのヒッチハイク(この瞬間だけ、日本最北ヒッチハイカー)。
ヒッチハイク開始20分くらいで、道の駅を巡る車中泊旅中の北海道内の大学に通う女子大生2人組に拾ってもらった。北海道の話、千葉の話、沖縄の話、ONE PIECEの話、阪神タイガースの話、セコマの話、酪農の話、大学の話、就職の話。宗谷岬までの行きだけでなく、帰りの稚内駅まで送ってくれて、最後はバスの見送りまでしてくれた。最後の最後まで北海道で人の暖かさや繋がりを感じた。これだから、、(4回目)。
北海道最後の晩餐は、ホタテとカニの丼ぶり。ほんとは15年前と同じように稚内でカニ駅弁食べたかったけど、明らかな睡眠不足と移動キャパの過剰超過により軽食で済ませたから、おすすめしてもらった札幌二条市場大磯で優勝した。
DAY.9
最終日。札幌の通勤ラッシュに揉まれ、羽田で外国人観光客に揉まれ、広島で帰宅ラッシュに揉まれ、約2000kmの帰路に立った。飛行機も寝れなかった。
epilogue.
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?