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続:ぼくが選ぶニーチェのエモい言葉集

はじめに

前回はこちら。『悲劇の誕生』『喜ばしき知恵』について書きました。

自分自身のアウトプットも兼ねて書いたニーチェに関する記事です。本記事は「ニーチェを何も知らない人相手に居酒屋とか喫茶店で軽くニーチェの著書の一フレーズを引合いに出す」「さりげない引用でニーチェを出す」レベルです。

ニーチェに関する解説というよりも彼の著作を読んで僕が印象に残った箇所の抜き出しです。

ニーチェ本人に関する詳細な説明についてはwikipediaの記事などをご参照ください。

本編

『ツァラトゥストラ』(上下二巻)(丘沢静也訳、光文社古典新訳文庫、2011年)

ニーチェの哲学書の中でも一際目立つのが本書である。理由は不明だが本書だけやたらと訳書が多い。本書だけ哲学書独特の堅苦しさを取っ払ってるからだろうか?翻訳のしやすさかと思い原文を少し確認したが、そんな感じは一切ないので違うと思う。訳者の丘沢氏は「"からだ"について魅力的なフレーズが山のようにある。」と評しており、"Geist"の日本語訳のニュアンスの難しさにも触れている。

また本書の特徴としては、本書をモチーフとしたコミカライズ、交響曲も製作されている。物語と似た構造のためだろうか?確かに、ヘーゲル『精神現象学』をモチーフにしたコミカライズとか意味わからんもんな・・・。サルトル『嘔吐』ならあるかもしれない。

以前は、神を冒涜することが最大の冒涜だった。だが神は死んだ。と同時に、神を冒涜する連中も死んだ。この地上を冒涜することが、いまでは一番恐ろしいことなのだ!

上巻20ページ

「神は死んだ」でました!めっちゃ簡単にいえば「もう今の時代(近代)では宗教的な観念は終わったんだよ」な言説です。本書ではここから超人の観念などの説明が始まりますので、ご興味ある方はお読みください。取り敢えず「"神は死んだ"?あ〜『ツァラトゥストラ』の序盤に触れられていたやつね」と通ぶれたら十分です。

男は女にとって手段にすぎない。目的はいつも子ども。だが女は男にとって何か?正真正銘の男は、ふたつのことを望む。危険と遊びだ。

上巻132ページ

→ニーチェはそこそこの頻度で男女関係に言及する。『喜ばしき知恵』でもそうだ。しかしニーチェの女性観は少しクセがあるというか…。ちなみにですが「ニーチェ 童貞」で検索すると芸能人たちの「ニーチェは童貞!!!」と指摘する記事が多々ヒットしますが、記憶の限りでは娼婦とはセックスしているので素人童貞以上という表現のほうが正確である。どっちも同じ?そうですか。

結婚。俺は、ふたりの意志のことを結婚と呼んでいる。ふたりがこれまでにつくったものよりも、すぐれたひとつのものをつくろうとする。そういう意志をもとうとする人間として、おたがいに畏敬しあう気持ち。それを俺は結婚という名で呼んでいる。

上巻141ページ

→読んでるときに普通に「いい言葉や…」となった。結婚予定の相手がいる方はどこかのタイミングで使ってみてください。僕も使ってみたいです( ;  ; )

勇気は、最高の殺し屋だ。勇気は同情も打ち殺してくれる。ところで同情は、もっっとも深い谷だ。人間が人生を深くのぞきこめばのぞきこむほど、それだけ深く苦悩をのぞきこむことになる。

下巻22ページ

→ニーチェといえば「深淵を覗くとき〜」だが、実は人生を覗くことにも言及している。これはあまり知られていないため「深淵〜」の話題になった時にこの一文を紹介すると通ぶれる。通ぶってどうするかについては議論の余地あり。

性欲。枯れた者にとっては、甘い毒に過ぎないが、ライオンの意志をもつ者にとっては、強力な強心剤。畏敬の念をもって大事にされる葡萄酒のなかの葡萄酒。

下巻92ページ

→ニーチェは性欲にも言及している。92~93ページだけで性欲について6つのフレーズを記載しているのだから凄い。さらに発展して支配欲にも言及している。男女関係と哲学を絡めてメンヘラに受けそうなネタを書きたい方は92ページから97ページを熟読されることを推奨致します。

人間社会は実験だ。それが俺の教えである。━━長い時間をかけて人間社会は、命令するものを探しているのだ!━━。実験なんだよ、兄弟!「契約」なんかじゃない!

下巻143ページ

→「契約」という語が出てくるし、「神は死んだ」に関連するのだと思いますが詳しい方教えてください。ちなみに下巻は以降一気にキリスト教批判ともとれる文章が続く。葡萄酒、最後の晩餐など扱われるテーマはキリスト教関係のものばかりである。難解なため本記事では触れません。

『善悪の彼岸』(中山元訳、光文社古典新訳文庫、2009年)

『ツァラトゥストラ』の関連作である。出版はこちらの方があと。『ツァラトゥストラ』と打って変わって、『善悪の彼岸』は難解な内容となっている。そんな本書の面白いところは「尖っぷり」にある。序盤のデカルトとショーペンハウアー批判から、ニーチェの「既存の哲学をぶっ壊す!」という気迫を感じずにはいられない。ただしこれについては本記事では触れません。僕も理解しきれていないので。気になる方は48ページ目から読んでください。

神が物書きになろうとしたとき、ギリシア語を学んだということは味のあることだ。━━しかもあまりよく出来なかったということも。

176ページ

→訳者が注釈を付け加えているが、これはキリスト教への嫌味である。旧約聖書はヘブライ語で書かれていたがイエス・キリストの時代にはほぼ忘れ去られており、新約聖書はギリシア語で記されている。しかしこのギリシア語は古典ギリシア語と比較すると簡略化された文章であるらしい。古典文献学者だったニーチェだからこそ言える嫌味である。

怪物と闘う者は、闘いながら自分が怪物になってしまわないようにすうるがよい。長いあいだ深淵を覗きこんでいると深淵もまた君を覗きこむのだ。

185ページ

→でました!!!説明不要の名フレーズ!読んでいる時に少しテンションが上がる。

控えめな男であれば、その女の肉体を自由にして、性的な快楽を味わうことができれば、それはその女を所有し、占有していることを示す十分に満足できるしるしである。(中略)そしてその女が彼に身を任せるだけでなく、彼女が所有しているもの、所有したいと望んでいるものまで、自分のために手放すかどうかを知るだろう━━。そうなったときこそ、彼は女を「所有した」ことになるのである。

223ページ

→大学生の時に初めてこれを読んだときは「キッショいな〜」とだけ思っていたのだが、今読み返すと完全にメンヘラ男の思考で笑える(笑えない)。

黒い衣装を身にまとい、口を噤(つぐ)んでさえいれば、どんな女も━━賢そうにみえる。

339ページ

→つぐつぐ思うのだが、ニーチェは女性相手に穿った目線を送っていないか?ニーチェ本人の伝記はあまり読んでいないのだが、こと女性関係に於いては何かあったとしか思えない。当時の価値観はこんな感じだったのかな。ついでに気になったのは、近代ヨーロッパの黒い服ってどういうものがあったんだろうか。こうやって一冊本を読むと気になるテーマが5000兆個増えてアホみたいに本を買うのを9999恒河沙(ごうかしゃ)回繰り返しています。助けてください。

おわりに

またニーチェの著書を二つしか紹介していないのに長くなりました。本記事のフレーズで気に入ったのがあれば、皆様の「トークデッキ:哲学者の言葉引用」の山札に一つでも加われば幸いです。

気力があれば続きを書きます。

こうやって付箋貼りながら読むと読み返すときに捗る

最後まで読んで読んで頂きありがとうございました。

以上

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