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沈黙の作法

はじめに

沈黙。それは自身と、対面もしくは複数の相手が誰も言葉を発さず黙り続けることだ。「沈」という文字が入っているように、どちらかというとマイナスな文脈で語られがちな言葉である。(沈鬱とかもそう)

今週木曜に『チェンソーマン』105話を読んでいると、主人公の一人である三鷹アサがクラスメイトにこう語るシーンがあった。

該当のシーン

これは三鷹アサとクラスメイトがそれぞれ並んで椅子に座り虚空をぼーっと見ているところで、三鷹アサが沈黙に耐えきれず発した言葉なのだが、彼女のこの気持ちは非常に分かる。特に何も目的の無い状態で相手が黙り込むと「え?今ってなに待ちなん?」となるからだ。

これはあくまで一例なのだが、俺個人としては沈黙とは一概にして必ずしも避けるべきもの・避けたいものではないと考えている。本記事はこの「沈黙」に関する自身の思考整理だが、お時間ある方は最後までお読み頂ければ幸いです。

本編

「何かをしながらの沈黙」

単に「沈黙」と言っても、これを深掘りすると「みんな黙ってるだけ」という単純な状態ではないことに気付く。簡単に言えば、大別すると「何かをしながらの沈黙」「何もしていない沈黙」に分けることができる。本当はもっと適切な表現があるのかもしれないが、本記事は見切り発車で書いているので(いっつもそうだが)今回はこの呼称で突っ走ることにする。

さて「何かをしながらの沈黙」の代表例として挙げられるのが釣りだ。岸壁から船上かはさておき、釣り糸を垂らして水面を眺める時の沈黙に気まずさというのは特に発生していない。この時の沈黙は避けるべきものでもない。何故なら「釣り」をしているから。

「私たちは釣りをしています。なのでみんな黙っていても、な〜んも気まずいとかないですよ」という共通認識が無意識に全員になされている訳だ。むしろ過度な会話になれば釣りを妨げてしまうほどだ。

『スローループ』

ここで留意したいのは「陶芸やってる時」とか「蕎麦作ってる時」などの作業をしている場合。この時に互いに黙っているのは「沈黙」ではないと思う。普通に作業してるだけ。作業に重心が置かれている。上手く言語化できないが、釣りは釣り糸を垂らしたら基本的には待ちの姿勢で会話などはする余力がある。もちろん釣りに「集中」もしているのだが…。この辺が作業と異なっているのではないだろうか。

そう考えると初対面の男女のコミュニケーションと出会いのきっかけで「陶芸街コン」なんて最適だと思う。黙っていても「貴方に興味が無いのではなく作業に没頭しているだけです」と認識させられるだろうし、特に女性と会話できなくても「みんな陶芸で忙しいしな!」とポジティブに考えられる。

…という考えで一度、2年ほど前に陶芸街コン(マジでなんでもあるな街コン)に参加したら「じゃあ〜男女二人でペアになって一緒に作業してくださいね!」と運営に突然死刑宣告をされたことがあります。

「片方は何かをしながらの沈黙」

俺の過去の体験はどうでも良い。この「何かをしながらの沈黙」の派生として「片方は何かをしながらの沈黙」がある。皆さんも必ず経験があるはずだ。

その代表例が車の運転。運転席と助手席(あるいは後部座席)に座っている両名の人間関係にもよるから一概には言えないが、車内では時として沈黙が続くことがある。これは気まずくて避けるべき状況なのだろうか。

これは完全に「人による」ので普遍的な内容の言及が出来ないので俺のことを書くが、俺は運転手の場合は仕事でもプライベートでも沈黙は特に気にしない。むしろ無理して会話をしようとして、2〜3回のキャッチボールで終わる会話をぶつ切りでし続ける方が避けたい。そんなんだったら俺のこと気にせず、助手席で微睡(まどろ)んで欲しいと考えている。

ただ黙る時は黙る。仙台や名古屋や大阪や東京や神奈川のターミナル駅で車を運転している時、俺はよく「ちょっと運転に集中したいから黙るわ!ごめんね!」と言う。どうでも良いけど御堂筋の運転って最初めっちゃビビりません?

はい。俺が助手席の場合、仕事では同僚が運転しているならスマホ触ったりノートPC開いて仕事したり普通に寝るなど好き放題している。相手も俺が運転している時はそうしている。先輩上司の場合は違う。仕事に関する相談や報告をひたすら喋っている。なぜなら相手は運転しているが仕事没入モードではないから。「課長〜いまよろしいですかぁ〜?」と小声でそろりそろりと席まで歩いていく気遣いが必要ない。もちろん資料を必要とする相談内容はしていないが。

プライベートの場合は相手が無言なら喋りまくるし、相手も喋るなら永遠に続く会話のキャッチボールをしている(上手くいかないこともある)。ただ、交通量や歩行者が多いところを友達が運転している時は黙り、俺自身も運転手の第二の目となるようには意識している。

こう考えるとドライブというのは距離感の把握のリトマス試験紙に最適だと思うのだが、激烈に合わなかった場合のリスクがメガトン級にヤバいので人間関係ができていない状態でトライするのは悩ましいところだろう。矛盾しているのは理解している。誰かもっと上手い説明できる人いたら教えてください。あと一応補足ですがこのドライブについては同性同士の場合を想定して書いています。よく知らない相手が運転する車に乗ってはいけない。

「何もしていない沈黙」

なんか『羊たちの沈黙』をマヌケにした感じだが、これについてはそのまんま。お互い何もしていない。カフェかなんかで対面してお互い無言な状態を想像して頂ければと思う。梅田ヒルトンプラザの喫茶店で婚活?と思しき男女がお互い無言なのをよく見るが、そんな感じ。

この状態は一般的には避けたいものだ。着地点が見出せない。こっからどうすんの?となる。基本的にはどちらかが喋るしかない。なので、俺は「この人あんまり喋んないな」となったら喋り倒す(そして「話す気がない」のか「緊張している/あまり自分から喋るタイプではない」のかを判断する)。ちなみにこれまで「話す気がない」人とは会ったことは無いが、実際に会ったら泣きます。

少し脱線した。そう、普通はどちらかが喋り始めるはずなのだ。けれども色んな人から「SNSだとよく呟くのに実際に会うとずっと黙りっぱなしで困っちゃった〜」という話を聞くことがある。しかも割と色んな人からよく聞く。なんで?自分自身もあまり喋らない側だと即席で地獄の完成だ。

もう少し掘り下げよう。と言っても俺は相手が喋るの苦手なら喋り倒すタイプなので、本質的な理解などできないので推測だが、対面での会話に於いて黙るということはボールを相手に委ねるということでもある。

思わぬ地雷を踏むこともない(日常会話で地雷になりかねない話題を初手で話すか?はともかく)。沈黙は会話に於けるリスクを回避する効果がある。

サンキュークラピカ

…と試しに書いてみたが、なんだか黙ってる側がものすごく意地の悪い人みたいな書き方になってしまった。思えば相手の外見、振る舞いなどの印象にも左右されるため、どうも簡単な問題ではなさそうだ。

当然!俺と会ってあんまり喋らない人も「うっわ…思ったよりキッショいな…」「おもんね〜」と思っており、早く解散したい気持ちで口数が少なくなっている可能性も大いにある。ネガティヴ思考かもしれないが実際そう思われることもあるだろうし、こう言う自己批判的な思考も時には大事。

本記事をお読みの方で喋るの苦手な人いたら、貴方の考えをぜひ教えて下さいね。

ちなみに仕事では?についてだが、例えば上司から「なんでこうなったの?」などと詰問を受けそれの答えに窮してお互い黙ることがある。これは沈黙というよりも「詰め」であり、今回の話には関係しないと考えている。ちなみにどうしようもなければ「申し訳ございませんでしたぁ!!!」と絶叫する力技で押し倒すしかないです。はい、余談でした。

派生形として相手が浮気しているとほぼ確信して詰め寄る場合も「(お互い)何もしていない沈黙」に当て嵌まると思われるのだろうが、俺自身は浮気とかはおろか社会人生活で一度も彼女いたことないので泣きながら割愛させて頂きます。

これ有用らしい

おわりに

なんだか中身のないことをつらつらと書き連ねてしまった。本記事をお読みの皆さんは「いや、これは違うんじゃない?」とか「じゃあ◯◯の場合は?」「お前、これ一対一のことしか書いてないよね。三人以上は?もしかしてお前って集団行動苦手?」など色々と考えた方もいると思う。

100人いれば100通りの考えが存在している。皆さんの気付きなど御座いましたら、お気軽にDMやコメント欄などに記載してください。俺はそうやっていろんな考え方を知って、物事の認識を多面的に拡大するのが好きです。

「何かをしながらの沈黙」といえば、『チェンソーマン』三鷹アサ達のように椅子を並べて、俺は満点の星空を観察するやつとかしたいな、と鳥取県で夜空を見ながら思った。ようやく涼しくなってきたしね。

余談ですが『沈黙の作法』ってタイトルの本がありました。なんか「どっかで聞いたことあるかも」とこの記事を書きながら引っ掛かってたんだよな〜。読みます。

最後まで読んで頂きありがとうございました。

以上

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