014 日本辺境論


皆さんこんにちは、コバチバです。

今回は、内田樹先生著の「日本辺境論」(新潮新書)について記事を書きたいと思います。

この本を読もうと思ったきっかけは、現在公開されている映画「三島由紀夫VS東大全共闘~50年目の真実~」を見ていて、その際内田先生が三島由紀夫や天皇について話をしてたのが興味深く、実家に内田先生が出筆したこの本が、たまたまあったので読もうと思ったからという回りくどい理由です (笑)


前書

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いきなりですが、フランスの画家ポール・ゴーギャンが描いた絵画に「我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々はどこへ行くのか」という作品があります。 

絵とは思えないタイトルですよね(^^;)

私はこの絵自体は全然知らないのですが、作品名の言葉を聞いたときに、この言葉こそ、人が究極的に向き合うべき課題だと感じました。

①我々はどこから来たのか→アイデンティティ

②我々は何者か→自分の使命

③我々はどこへ行くのか→人生の報い、死後

という形で置き換えて考えられると思っています。

人はこの3つの視点を人生の中で追い求めていくのかなと(特に①②は若いとき、③は老いたとき)

話がそれましたが、この本は①の「我々はどこから来たのか」を知るうえでとても興味深い本。だと思いました。

自分のアイデンティティを日本人という民族的観点で知るのにいいなと思ったからです。

本を読んで

日本人とは何か?というような自分の民族や国家に対する存在について問うならば、日本は独特の難しさがあると思います。


1つの視点から挙げると、フランスがフランス革命、アメリカがイギリスとの独立戦争、スペインがレコンキスタ(国土回復運動)という国家樹立の精神を今の国民精神の柱とするなら、2000年以上続く天皇制という形で世界最古の王朝を築いた日本は歴史が長い反面、国家・民族としての精神的始まりが見えずらいからです。


フランスを例にすると、今のフランスの国歌はフランス革命の際、当時の王朝に反旗あげた民衆たちが歌っていた歌であり、かつて王族に抑圧されていた、自由・平等・権利を自分たちの手で勝ち取り、今のフランス人に通じるという精神的始まりがあるのだと考えるのならば私たちは日本人はどうでしょうか?

1つに明治維新での大日本帝国憲法や教育勅語による、国家神道を中心とした天皇崇拝及び日本人の臣民の精神が挙げられますが、これは日本の敗戦によって失われました。なので戦後の日本国憲法の精神が私たちの国民精神かというと、GHQの影響下で制定したことなどもあり、そうですとは言い切れない難しさがあります。


という感じで私たち日本人というのは、明確な始まりの理由や時期を定義するのが難しく、常に外国の文化を取り込み改良することで作り上げた文化、思想、制度であるため、日本としての起源がない為にいつも自分たちが何者か分からずにいます。


このような日本人が何者なのかを論じたのが「日本辺境論」です

色々話はそれましたが、私自身でもある日本人とは何者か知る1つの手助けとしてこの本をオススメいたします。


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最後まで読んでくださった方ありがとうございました。

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