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令和の恋人たちは

1年くらい前に書いた短編小説。
短編小説新人賞に応募して賞は逃したものの、もう一歩の作品に入ったので
ほかの公募に応募することができず。
noteで一部供養させてください(ぺこり)。

令和の元号が発表された日に付き合い始めた男女のお話です。
結婚観のちがいで別れることになってしまったふたり。

「俺たちってさ、いまはまだ恋人?」

 なにを言ってるんだ、こいつは。

 付き合っていた女が、部屋に残していた荷物を取りに来た。それなのに、別れていないとでも思っているのだろうか。

 そもそも、まだ恋人なんだとしたら、おそろいで買ったジェラピケの部屋着も、ピンクの歯ブラシも、よく使っていた花柄のお茶碗も、ゴミ袋に捨てたりしない。よくモテるこの男を、誰にも取られないようにマーキングを続けているはずだ。

 わたしは、洸との思い出を、洸を捨てるためにここに来た。

 ロフト付きワンルームのこの部屋を見渡すと、幸せだったころの記憶が蘇ってくる。

 あの淡いグリーンのカーテン、ニトリで買ったんだよな。洸は、「明かに女の子が選びました、って感じの色じゃない? 俺の家なのに」と嫌がっていたけれど、“女の子が選びました”みたいな色を選んだのは、わざとだった。この部屋に来る女たちに、わたしが特別な存在であることを知らしめてやりたかったのだ。

「ほら、夫婦みたいに離婚届とかあれば分かりやすいんだろうけど」

 そう言いながら洸は、さっきわたしがゴミ袋に入れたピンクのタオルを取り出し、「これ、まだ使えるよね?」と聞く。

「使えるとか使えないとかの問題じゃないでしょ」

「どうして?」

 「元カノが使い古したタオルなんて、みんな使いたくないと思うよ」と教えてあげようとして、やめた。新しい女が、このゴワゴワになったタオルを使って、ちょっぴり嫌な気持ちになればいい。

「ねえ、俺らってもう恋人じゃないの?」

 洸は、新体操をやっていたこともあり、身体が柔らかい。猫のようにぴょんと飛び跳ねたかと思えば、いつの間にかわたしの横にいて、「彼氏」と言いながら自分を指し、「彼女」と言いながらわたしを指差す。そして、体育座りをして上目遣いをした。

 やっぱり、まつ毛長いなぁ。洸と結婚すれば、絶対に可愛い女の子が産まれていたはずなのに。

 惜しいことをしたという気持ちを押し殺すように、「この間、わたしが別れようって言って、洸が分かったって言った日から、わたしたちは彼氏と彼女じゃないの」とわざと冷たく言い放つ。

 すると洸は、わたしを見つめながら「そっかぁ」とつぶやいた。「あとで後悔しても知らないぞ」とこっちを試すような目だった。

 この男は、どんな女も自分がキュルっとした瞳で見つめれば許してくれると思っている。というか、そうだったんだと思う。わたしも、許してきてしまった。だけど、もう今までのわたしとはちがう。

(中略)

洸がボートを漕ぎ、手持ち無沙汰なわたしはどこを見ればいいのか分からず、泳いでいる鯉を見つめることにした。
赤と黒の鯉が、並んで泳いでいる。黒の鯉がちょっぴり前を進み、赤の鯉が尻尾を追いかけるように泳ぐ。まるで、わたしたちみたいだななんて思ってクスッと笑ってしまう。
「この鯉、俺たちみたい」
「いま、ちょうどわたしも同じこと思ってた」
「黒の鯉が詩音で、赤の鯉が俺」
「いやいや、逆でしょ」
「いやいや。どう考えても、先に進んでる方が詩音でしょ。俺は、この赤い鯉みたいに、背中を追いかけるので精一杯だった」
そう言って笑ったあと、「俺なりに、頑張って泳いでたんだよ」とボソッとつぶやいた。   
わたしは、わざと聞こえないふりをした。
「せっかくだしさ、お互いの嫌だったところでも、言っていく?」
洸が、イタズラを企む子どものような目でわたしを見る。
「なにそれ」
「好きなところでもいいよ。ほら、まだ恋人なわけだし」
「なんで、別れる男のいいところ探さなきゃいけないの」
なんて言ってみたけれど、本当は探さなくてもあふれ出てくるから嫌だっただけ。わたしは洸への気持ちを隠すように、「そんなに簡単にいいところが見つかってたら、別れようなんて言ってないよ」と言った。
「好きな男でも、できた?」
こんなに自信なさげな洸の顔は、この5年間一度も見たことがなかった。だからわたしはつい意地悪をしたくなって、「好きな男でもできないかぎり、自分が振られるはずがないと?」と問いかける。
「そういうわけじゃないけど、俺たち仲良かったじゃん。ふつうに」
「ふつうに仲良くできてたのは、わたしが我慢してたからだよ」
「結婚のこと?」
「それ以外にも」
「たとえば?」
「一緒に外食するとき、ソファー席に座るのはいつも洸だった。セルフサービスの水はいつもわたしが取りに行ってたし」
洸は、「そんなこと?」と笑う。
「そんなこと? が許せなくなるっていうのは、そういうことなんだよ」
わたしは、自分に言い聞かせるようにつぶやく。本当は、そんなことどうだってよかった。洸が「結婚しよう」って言ってくれたら、別れる必要なんてなかったのに。
「もうすぐ、今年も終わるね」
洸がポツリと言う。
「今年って、何年だっけ?」
「2023年」
「ちがくて。令和」
「分かんねえ、平成のときは簡単に計算できたのにな」
わたしは心のなかで「5年に決まってんじゃん」とつぶやく。
もうすぐ、ボートが岸に着く。わたしはガウチョのポッケから指輪を取り出し、湖のなかに投げ入れた。
水面に、波紋が広がっていく。わたしも洸も、その波紋を見つめている。わたしたちが過ごした5年間も、こんなふうに跡形もなく消えてしまうのだろうか。消えるなら、ちゃんと消えてくれよ。はやく、前に進まなきゃいけないんだから。
「詩音は、どんな人と結婚するんだろうね」
「わたしのこと好き? って聞いたら、好きだよって返してくれる人がいい」
「昔は、どうかな? って意地悪してくるところが好きって言ってたよ」
「わたし、洸のこと相当好きだったんだね。相当、好きだったんだと思う」
顔を上げると、洸の頬に、一筋の涙が流れていた。
「俺、別れるくらいなら、結婚したい」
ボートが、歩みを止める。わたしは、洸からオールを奪って、「もう遅いよ」とつぶやいた。

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