ベランダから落ちた話

人生で最初の記憶になりやすいことは、
人生で初めて恐怖を感じたことである。


子供がベランダから落ちないよう注意、
という注意喚起を見て思い出したことがある。
私は昔ベランダから落ちたことがあるのだ。

中学の頃、自分の歴史を書くという課題が出された。
引っ越したとか大怪我したとかは書きやすいが、
そうでない人も印象に残ったことを書いていいとのことだった。

幸いと言って良いのか、
怪我も引越しも経験しているので
そこに「クリスマスに大きめの箱のおもちゃを買ってもらったけど靴下に入らなかったせいか限界まで伸ばされたタイツの中に入ってた」とか
「ばあちゃんたちがニラと水仙の葉を間違えて死にかけた」とか
ちょっとしたエピソードで中身は完成した。

中身は完成したが問題は導入である。
ここはやはり人生で初めての記憶を入れたい。

最初の記憶と思われるものは2つあった。
一つはおそらく海水浴のパラソルの下でただひたすら海を眺めて
「なーーーーにが楽しいんだろ…」って思ってた記憶。

もう一つはベランダから落ちた記憶。
これは詳細というか、たいしたことない話だが経緯も覚えている。

当時アパートの1階に住んでいた。
そして姉2人がよくベランダの手すり(って名称であってる?)の上に座って話していたのだが、
私は背が足りなくてその高さの場所まで行くことができず、
いつも下から眺めているだけだった。
(注:いま考えると手すりじゃなくてその横にあった植木鉢用の棚に座ってた)

いいなあ、私もそこに座りたいなぁ

そう思っていたある日のこと、
ベランダの手すりに布団が干されていた。
母親は洗濯中で窓は開けっ放し。
布団には手が届く。
これを登れば私も手すりに座れる!!!
登ってる最中の記憶は無いが、
布団をよじ登ったのか植木鉢の棚を足場にしたのか、
とにかく私は手すりの上に登れた。

憧れの場所に登って感動していた私だが、
布団と私のバランスが限界を迎え、
布団ごとネギ畑に落下した。

やばい、怒られる。

前述のとおり1階で、更に布団ごとネギ畑に落ちたので私はノーダメージだった。
だけどどう考えても布団とネギは無事ではない。
かといって私にネギと布団を元通りにする術もない。
私はギャン泣きした…

「ってことが昔あったじゃん。ベランダから落ちたのと海水浴とどっちが昔?」

と、夕飯の仕度をしている母に聞いた。
母は、ハッとした顔でこちらを見た。
人語を話す妖怪に遭遇したかのような顔だった。

なにかまずいことでも聞いたのかと不安になりつつ聞いてみたら、
まずベランダから落下した記憶のほうが古いこと、
そしてその話は大げさに言えば母が墓場まで持っていくつもりだったことを告げられた。

どうやらベランダから落下したのはまだ歩くことすらできない時期だったらしい。
ちょっと目を離した隙にベランダから乳幼児が落下。
監督不行き届き。言われてみれば確かにそう。
父のことだからバチクソに怒るだろう。
私が布団とネギを心配してギャン泣きしたのと同様、
母も己の失態に泣きそうになっていたのだ。
頭を打ってて死にませんように…
もし大丈夫なら黙っていよう…
どうせこいつまだ喋れんし忘れるじゃろ…

そう思って10年近く隠してたらいきなり本人から言われてめちゃくちゃビビったという。
私のことより己の保身のほうが大事なの面白すぎる。

それはともかく、
母が驚いたのと同様に私もすごく驚いた。
私がベランダから落ちたのは、歩くことができない時期、
つまり1歳前後ということだ。
記憶だと、ベランダに登った理由も行動も、
全て己の理念に基づいて行動していた。
なんなら姉の会話に参加していたつもりだったし、
歩いてベランダに行ってるつもりだった。
何も考えずにハイハイ歩きで徘徊してたまたまあった布団に登ったわけではないのだ。

つまり世の中の乳幼児も、
単に直接的な喜怒哀楽を表しているだけでなく、
私同様に明確な理由があって行動している可能性が非常に高い。
彼らなりの理屈で行動しているということだ。
そして彼らの中では歩いて、喋っているつもりでいるのだ。
そういえば初めて歩いた時の記憶は無い。
おそらく自分の中では「元々歩いてる」からだろう。

それ以来私は子どもの相手は適当にしないようにしている。
なんなら裏声で「なんとかでちゅね~」とか言うのすら失礼だと思っている。
どうせ覚えているわけがねえと
日本語を会得する前の子どもの扱いが適当な人は気をつけたほうがいい。
案外覚えられてるかもしれない。


人生で最初の記憶になりやすいことは、
人生で初めて恐怖を感じたことである。

みたいな話をどっかで聞いたことある。
たまには昔のことを思い出すのもいいかもしれない。

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