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苔の緑で息する

天窓から差し込む光に目を覚ます。
寝ぼけた頭で顔を起こすと、足元に猫、背中に寄り添うようにして、また猫。グレーと三毛の2匹はなんて名前だったか。宿泊先のムッシュに何度も確認したはずだったが、フランス語でつけられた猫たちの名前は、日本人の私にはあまりに耳慣れないものだった。
名前の知らない2匹は、部屋の扉を開けて待っていると音もなく入り込んできて、気づくと隣で寝ている。

2日前に到着したこの宿で、私は残り5日ほど滞在することになっていた。1日目の晩、「扉を開けて寝るといいかもよ」と言ったムッシュ。その言葉に2匹が隠れていたと知った時、ほどよく田舎のこの街の魅力がまた1つ増して、一層この街を離れがたくなるのだった。

3階建ての古いアパートの、一番太陽に近い場所に与えられた寝床で、暖かい日差しと猫の温もりで目を覚ました朝。狭い階段に足を滑らせないように階段を降りる。日当たりのいいダイニングに降りると、すでにムッシュはコーヒーとタバコで一服していて、穏やかに声をかけてくる。
「よく眠れたかい?」
「猫と一緒に目覚める朝ほど気持ちの良いものはないね」

ムッシュが淹れてくれるエスプレッソで1日は始まる。小さなマグを片手にダイニングの大きな窓から中庭に出ると、屋根から下げられた植物に散らされた光が地面にまだら模様を落としている。タイル張りの小さなプールには掃除用のロボットが泳いでいて、街の教会から8時を告げる鐘の音が響いてくる。朝の空気を身体中に取り込んで、ようやく体が朝に慣れてきたのを感じる。

4月いっぱいまでの授業が終了し、帰国までのバカンスを過ごしにきた田舎。みずみずしい苔のふわふわとした緑の上で静かに息をしているような気分だった。
私はこうして息を吹き返していた。



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