バナナフィッシュ
夢のなかで、あの子が死んでしまった。わたしは過呼吸になりながら布団を剥いで、垂れたヨダレを拭いもせずに、スマホで彼女の安否を確認した。夢だとわかっていたけれど、確認しないと今にも泣き出してしまいそうだった。あの子はちゃんと、生きていた。
好きな人がもし死んでしまったとき、きっとわたしはそのひとが骨になってしまう瞬間に、立ち会えないんだろうなと思う。それくらいの距離感でしか、人を好きになれなくなってしまった。それが、とてもさみしいと感じる。
ずっとむかし、夜の海でバナナフィッシュを見る夢をみた。濃紺の海は静かに揺れている。カスタードクリーム色の月が、夜の海に穴をあけている。わたしはサンダルを履いていて、時より足の裏の砂が居心地悪くてムッとする。
ほんの一瞬、海から目を離したとき、波が弾ける音がする。慌てて視線を戻すと、そこには大きくて真っ黒なサカナが跳ねては海に沈み、跳ねては海に沈み、を繰り返している。わたしは、その魚を見て、バナナフィッシュだ、と思う。バナナフィッシュはわたしと同じでひとりだった。
その日から、わたしのカラダの中にバナナフィッシュが住み着いた。わたしのカラダは海になった。バナナフィッシュが、跳ねては沈む。
バナナフィッシュが跳ねるとき、私のカラダは大きな波に飲み込まれるし、バナナフィッシュが沈むとき、わたしのカラダはなによりも静かになる。
いつか、本当に海になれたら、と思う。太陽が照りつける。海はラメを散りばめられたみたいにキラキラ光る。太陽が海に飲み込まれるとき、何もかもをオレンジ色に丁寧に染め上げる。やがて月や星が顔を出す。海は、優しい黒色でそれを食べる。
海は、なんて広くて、小さいのだろう。海は、なんでも知っている。海は、いつでもそこに居る。海は、すべてを諦観している。
嗚呼、海は、海は、海は。
バナナフィッシュが泳ぎ出す。海は、それを拒むことも、受け入れることもせず、ただそこにある。
海になりたい。バナナフィッシュと泳ぎたい。いつもひとりぼっちの、わたしとバナナフィッシュなら、どこにだって行ける気がする。わたしは泣き出す。肉体に縛られている自分が憎い。海になりたい。海になって、かもめの裏側を見てみたい。涙は絶え間なく押し寄せる。まるで波だ、と思ってすこし安心する。
わたしのカラダに、海は確かにある。バナナフィッシュが泳いでいる。ひとりぼっちで泳いでいる。
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